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自分も統合失調症患者だけど、自分は基本的に統合失調症患者の事が好きではない

嘘を吐く

自分もまた統合失調症患者ではある。
しかし、自分は統合失調症患者の事がいまいち好きではない。
という訳で、今回はその理由を書いて行こうと思う。

まず統合失調症患者は嘘を吐く。
と言うか、嘘だらけで何が本当なのか分からない。

明らかに嘘を吐いているとしか思えないのだが、当事者はその嘘を相手が信じていると思っている。
そして、そういう自分を正しいと思っている。
嘘に何の正当性があるのかはこちらからは分からないのだが。

嘘であるという事は、本人がそうであると言っているのだとしても現実には違うという事だ。
だから、意味はない。

現実がそうであるのならば、それはそれで幸福な人生を送れるのかもしれない。
しかし、それが嘘である場合には何の意味があるのだろうか?

思い込む

統合失調症患者には、強固な信念がある人がいる。
無根拠に自分には才能があると思い込んでいる。

しかし、現実的にそうではない場合はただの妄想である。
重要な事は現実だ。
統合失調症患者には、何が現実かが理解されていない。

それが強固な信念(妄想)になっているようだが、ある意味他人から見ればただ怖い。
この人何で現実じゃない事を現実だと思い込んでいるのだろう、としか思えない。

或いは、それは嘘と繋がっているようだ。
自分で嘘を吐いて、それを信じていたりする。

自分で吐いた嘘なので、普通は初めから嘘だと分かる筈なのだが。
結局、自分がただ凡庸な人間であるという事実が受け入れられないのだろう。

そういう人は、誰からも評価されない才能を誇示したりする。
当然、客観的には評価されない。
自分だけが評価しているのならばそれはただの思い込みだ。

パクる

パクりは、他人の才能である。
パクって自分に才能があると思う人間は普通はいない。

しかし、統合失調症患者はパクっておいてそれが自分の才能だと思い込んでいる。
パクり、つまり盗用だ。

他人の才能を盗んでいおいて、他人に対して上から目線だったりするのは完全に錯乱である。
精神病であると診断されても仕方がない。

ここでも、統合失調症患者は自分が凡庸な人間であるという事を認められない。
自分の認識において自分は才能があるという事になっていて、しかしそれが実現しないから他人の才能をパクったりしている。

と言うか、今日この記事を書いていて気付いたのだが、嘘を吐く、思い込む、パクる、そういう事をする前に結局自分が凡庸な人間である事を認める必要がある。
それを認める事が、一般的な人間としてのスタートである。


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