【言語化】002 全力を出すと、意外と疲れない。

昔、中学吹奏楽部の顧問をしている時、
コンクールが近く練習日を増やしてあげてほしいというお願いに対して
当時の中学校校長が、

「吹奏楽部は勝たないといけないんですか?」

という質問で返してきました。腹が立ちました。

先日、科学オリンピックの案内が来たので、
各学年の生徒にまわすための案内文を作成しました。
その文章の末尾にある次の文言に対して、訂正を入れるように、
次期中学校校長が指示してきました。その文言は以下の通り。

〇〇〇(学校名)は、科学オリンピックに出場する生徒を全力で応援します。

この「全力で」というところを抜くように


という指示でした。

意図としては、「全力で」という記述だと、
教員側は何でも引き受けないといけなくなるよということでした。

どちらも、熱い気持ちに冷たい水をかけられたようで、すごく残念でした。

もちろん、経営的に考えて、リソースが限られていることはわかります。
少ない人手で作り上げている学校現場で、1人1人の教員が自分の好きなことだけをやるのは間違いです。
彼らの主張にも一理あるというのは重々承知です。

けれど、この残念な気持ちをもう少しだけ考えてみようと思います。
将来もしかしたら私が部下を持つ時に、冷たい水をかけなくて済むように。


まず感覚として、全力を出すと意外と疲れないのになぁ、というのがあります。

これはもちろん、同じ1時間を過ごす場合の話ですよ。

人から言われて嫌々やる仕事もあります。学校の業務にはそういうことが多いです。これは時間以上に疲れます。

けれど本当に必要だと思った仕事は、自然と頭も体も動くもので、あまり疲れません。いや家につくと疲れているのかもしれませんが、ストレスは多くはありません。

経営者には、おそらくこういった「良くない疲れ」と「良い疲れ」を測れる人が良いなぁ。と思います。
自分は、そういうのを感じ取って仕事を「振り分ける」のではなく「信じて任せる」「やってもらう」ような上司になりたいです。そのためにも、今のうちにいっぱい経験を積もう。

次にこの文章を書いていくと、思いついたことがあります。きっと自分は出過ぎる杭だったのだろうな、と。そして新旧校長から打たれた。

これってむしろ光栄なことだな、と思いました。

喧嘩は全く好まないですが、でもこういう指摘を頂けるということは、その人の目についたということです。

よーしもっとやってやる。

僕が所属していた研究室の教授は、良い仕事をするのはスタート時点で、それをいかに伝えるかが大切だ(だから英語は大事だよ)と言っていました。

良い仕事をして
それを生徒や周りの教員に伝えて
(時に批判もされて)

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