『歴史の見える丘』より
盆休み中日だし、久しぶりに呉までクルマを走らせた。
当分、呉には行っていないし、あの巨大クレーンを一度見てみたかった。
早朝5時半過ぎに自宅を出て、ゆっくり走っても7時過ぎに『大和ミュージアム』に到着する。
もっとも、今回の目的地ではないので、クルマを停めるだけにする。
『大和ミュージアム』から目的地の『歴史の見える丘』までは、バスで行くのが普通だが、早朝でそんなに暑くないので、散歩を兼ねて歩いて行くことに。
(『歴史の見える丘』には駐車場がない)
私の足で、15分ほどで到着。
林立する塔型クレーンに「大きいなぁ😀」と圧倒されるかもしれないが、本当にシャレにならないくらい大きい。
ただ、一番見てみたかったのは、このクレーン。
私が知る限り、日本最大の(走行する)塔型ジブクレーンである。
元々その存在は知っていたが、実際にきちんと見る機会が無かった。
このクレーンは、実際に吊り上げられる最大重量(『定格荷重』という)が400tもある。
それだけでも最大級なのだが、この400tを吊って持ち運びできる範囲が77mもあるという、超バケモノ級の代物なのだ😈
呉までクレーンを見に行く。
“呉(クレ)”と”クレ”ーンをかけているわけではない(;´Д`)
造船関係で禄を食んでいるので、『大和ミュージアム』以上に、同業他社の工場に興味・関心が強くなってしまう😑
ジャパン・マリンユナイテッド(JMU)呉事業所は、旧海軍工廠を起源としており、かの戦艦『大和』など数多の帝國海軍艦艇を生み出してきた。
巨大クレーンが林立しているなかで、一基だけポツンと古くて小さなクレーンが佇立している。
このクレーン、足元をよく見ると・・・、
『石川島 昭和七年製造』とある。
昭和七年は1932年。人間でいうと、92歳になる年だ。
『石川島』は、当時の『石川島造船所』のことだろう。
後の石川島播磨重工業(現・IHI)の源流である。
彼も、建造中の戦艦大和を目撃していたのだろうか・・・。
IHIなのに、住友か・・・。
先述の通り、終戦後の海軍工廠は、様々な変遷ありながらも石川島播磨重工業の主力造船所として稼働し続けてきた。
世界初の10万トン級・40万トン級タンカーなどを送り出すなど、民間企業となっても、その高い技術力は衰えなかった。
『石川島播磨重工業』は造船が祖業だが、上記のようにクレーンなどの運搬機械などでも数多の実績を残してきた。
各種クレーンも得意としてきた石川島なので、同社の旗艦工場の一つたる呉工場の塔型クレーンは全て同社製・・・、だった。
現代の最新鋭造船所だと、門型の”ゴライアスクレーン”と呼ばれる形式のクレーンが主だが、呉工場など大多数の歴史ある造船所では、この形式のクレーンを設置できない。
昔ながらの”塔型ジブクレーン”と呼ばれる形式のクレーンしか設置できないのである・・・。
この写真、運転席のあたりをアップしてみよう。
この写真を撮っている時の作業半径が84.3mで、重量が8tと表示されている。しかし実際には何も吊っていないので、この8tは、荷物を吊るフックの重量を指す。
普通、荷物を吊るフックは運転室より小さいのですが・・・。
また、84.3mという作業半径、艤装用の小さなクレーンではたまにあるが、200t・300t級の主力クレーンでは中々お目にかかれない。
(この半径が最大半径かどうかも分からないし・・・(;´Д`))
長い歴史を通して、石川島播磨重工業からクレーン部門などが切り離され、石川島運搬機械㈱(IUK)という別会社になり、今はIHI運搬機械㈱となっている。
呉に話を戻そう。
2017年頃に最大の定格荷重を有する400t塔型クレーンがJMU呉事業所に設置された。すなわち、呉工場の旗艦クレーンと言っても過言ではない。
しかし、これだけは住友重機械搬送システム㈱製である。
IHI運搬機械㈱(IUK)になってから、(顧客から見て)同社に様々な問題が噴出した模様。
ここではそれについて触れない。その間にIUKのライバルである住友重機械搬送システムが着実に造船所向け塔型クレーンで実績を積み重ねてきた。
その間に、定格荷重400tの塔型クレーンを開発・実用化したのだ。
これまでは300tが最大で、かつ造船各社の主流だったのだが、新造船の船体ブロックの大型化に対応した、より高い能力のクレーンが求められるようになっていた。
住友は見事にそれに応え、今では400tが最大かつ主流となっている。
(300tと400tとの間に、価格差がほとんど無いというのも大きい理由)
ちなみに、現時点でも400tクレーンを製作できるのは住友しかない。
ただ、呉に住友製が納められたのは、それだけが理由ではないだろう。
400t以降、呉事業所内の天井クレーンでも住友製が納められたという話も聞くので、IHIの故郷とも言える呉が住友に乗り替えたのは、時代の流れとはいえ、寂しい印象を禁じ得ない。
最後に『大和波止場』から
『アレイからすこじま』まで歩いて写真を撮ったりして、再び歩いて『大和ミュージアム』まで。
なんだかんだ寄り道しても2時間程度。ちょうど良い長さですね。
『大和ミュージアム』脇の『大和波止場』などからも見てみよう。
左のIUK製300tクレーンがスマートに見えるが、スマートなりの・・・😑というワケでしょうね(意味深)。
一方、住友のクレーンは円筒形の胴体だが、この形状は最も強度が強い。
この形式を開発したのも住友さん😐
なお、最近のIUKが納めるクレーンもこの円筒形。ほらね・・・。
良い設計は、他社も参考にする好例です😀
また呉に戻って・・・、
以前、某メーカーの設計担当者と話をする機会があったが、「昔ながらの『スイングレバー』・『ローラーパス』式の構造(この写真のクレーン)が最も頑丈」とのこと。
しかし、その分だけコストもかかってしまう。
それに代わる新しい技術や方法が実用化されると、そちらが主流になっていったとの由。
一基チョコンと小さいクレーンがいます。
これが普通の大きさですよ(*゚Д゚)
まわりのクレーンが大きすぎるだけです(゚Д゚)
定格荷重12t。能力的にはちょっと小さいかな・・・。
あと・・・、円筒形のボディですな。
呉のこれからを思う。
呉の歴史とともに歩んできたJMU呉事業所。
一方で、近所の『日新製鋼』は昨年ついに閉鎖され、同じくご近所さんの、長らくボイラーを製作してきた『三菱・呉工場』も昨年最後のボイラーの出荷を終えた。
一大産業都市として栄えてきた呉市も、現在の”立派な”市庁舎が完成してからは、こんな暗いニュースばかりだ(市庁舎に罪は無いが・・・)。
造船業でも、長い間苦しんできた『神田造船所』が新造船事業から撤退し、今では常石造船グループに入り、修繕船専業とする『神田ドック』となった。
造船業で大きな会社は、もうJMUしか呉には残っていない。
しかし、この工場の先行きも不安だ。
この長い歴史そのものが足枷になっている。
細長い地形に沿って、かつ長い歴史を通して、その都度新しい設備を追加・増築していったので、レイアウトに無駄が多い(これは日本のほとんどの造船所が抱える課題)。
レイアウトの無駄は、そのままコストの無駄に直結する。
近隣の日新製鋼跡地を、自衛隊の拠点とする構想の実現に向けて進んでいるが、その過程で、自衛隊などの艦船の修繕のみに特化していくのだろうか・・・。
そうならないためには、新世代の技術に対応した船舶に向けてさらなる設備投資が必須になる。これには莫大な予算と工期が必要になるが、それに持ちこたえるだけの体力を持っているだろうか。
もっとも、その際に新しいクレーンを導入するとしても、住友が納めるのかも知れませんが・・・。
こんなに巨大で、高い技術の集まったフネを造れるのだから、いつまでも踏ん張り続けてほしいと強く願う。
『大和』の故郷という名に恥じないように。
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