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養鶏家、松本 啓さん。|生きる行脚#11@佐賀

 僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
 そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
 生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。
一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
 このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。


 11月半ば、大規模な肉用牛や養豚の現場に行ってみたいと思い短い期間で色々な会社さんにアプローチしてみていたけれど、ことごとくいい返事をもらえず、行き先に困っていた。

 そんなとき、以前お世話になったほんま農園の本間さんに紹介していただいた松本 啓(さとし)さんという養鶏家さんが頭に浮かんだ。本間さんからは「伊万里に新卒で養鶏を始めたすごい人がいるんだよ。」と聞いていて、啓さんと直接会ったことはなかったものの、SNSを通じてつながらせてもらっていた。
 そこで、「大学を卒業したあとの自分をイメージしたり、残りの大学生活を有意義にできるようなヒントを得られるかもしれない。」と思ったし、これだけたくさんのところにアプローチしてもどこからもいい返事がもらえないということは、「啓さんに会っておきな。」とどこからともなく導かれているような気がした。
 そして、「ここでだめだったらもう本当に手札がない。」といういっぱいいっぱいな自分の状態も相まって、連絡をした。
 すると、奥さんの出産が迫った大変な時期だったのに啓さん・美和さんご夫婦のご厚意で「来ていいよ」と言っていただき、研修させていただくこととなった。(落ち着いて振り返ってみれば僕はヤバいことをしていたと思う。話を額面通り受け取ってしまうのは悪い癖だと思う…。ごめんなさい。)


衝撃の幕開け


 佐賀県伊万里市の片田舎で平飼い養鶏(鶏をケージに入れず自由に地面を歩き回れるようにした飼い方。)を営む松本 啓さんは、現在就農3年目を迎えたばかりの若干25歳。

 3年前の大学生活も大詰めを迎えた頃、悩みに悩んだ末、名の知れた大企業の内定をすべて蹴って、大好きなおばあちゃんと中学・高校時代を過ごした伊万里の地で農業をすることを選んだ。

 4月1日。多くの新社会人はドキドキとワクワクで胸を膨らませるであろう社会人初日、啓さんは

            「俺の人生終わった。」

と思い、とりあえず近くの温泉に入りに行ったという。

 大学時代の農業との実践的な関わりは、農業をすることを決めてから3週間ほどベビーリーフを育てる農家さんのところへ研修に行ったくらいで経験も技術もほとんどないに等しかった啓さんだったが、「土地を探す」という本当に何もないところから農業を始めた。

 そして、どうにか見つけた土地は、ゴミ捨て場かイノシシのぬた場としか思えないような雑草が生い茂ったひどい荒れ地だった。また、鶏を飼い始めるまでの数カ月間は毎日毎日ひたすら草刈りとゴミ拾い、鶏舎の建設に明け暮れ、その間どこからも給料は出るはずもなく、雑草(食べられるもの)を売ってなんとか生活していたときもあった。

寒冷紗をはがすためにビニールハウスの上に初めて上がったときの写真。見ての通り鶏舎は山に囲まれた場所にあって、天気がいいと景色がきれいですごく気持ちよかった。


すごい人だって、普通の人。


 大手の内定を蹴って、新卒で、自分で0から農業を始める。それだけを見れば、23歳という若さにして一世一代の大勝負をかけたような感じがして、「すごい」としか言いようがない。
 だけど、もちろんそれはすごいのだけれど、実際に啓さんと会って色々な話をしていると、すごいと言われる人に対しても親近感が湧いたというか、「すごい人も自分と同じ人間なんだな。」と思った。

 啓さんは、「したい、やりたい」と思ったことを「した方がいい」と言い換えると言っていた。
 何かをしたり、新しいことを始めるとき、「したい、やりたい」という想いとかその場の勢いだけで突っ走ろうとすると、人間はそんなに強くないから、自分に負けて怠けてしまったり、怖さや不安を感じて勇気を出して「一歩」踏み出すのが億劫になってしまう。だけど、「した方がいい」と言い換えるようにするとそう言うだけの理由をつけるようになって、それを自分の中で何回も反芻していくうちに漠然とした不安とか恐怖心がなくなったり、行動に移しやすくなるそうだ。

 農業をすると決めたときもそうだった。もちろん怖かったし、色々な葛藤があった。だけど、

「この歳で、この新卒ってキャリアであえて農業をするからこその価値がある。」

といった色々なことを考え、理由をつけることで最終的に「農業をした方がいい。」と自分で自分を説得して、伊万里に戻って農業をすることを選んだという。

 自分が休学を決めた直後、思い返せば啓さんが言っていたように真っ当そうな理由を考えて、それを自分に言い聞かせるようにしていたことを思い出した。だから、啓さんの言っていることが自分と重なるところがあってなんとなくわかるような気がしたし、当時の自分の気持ちを啓さんに言語化されたような感じがした。

 また、啓さんはものすごく本を読む。本を読むとなると朝4時に起きて読むくらいの熱量だ。
 そんな啓さんでも読書をするようになったのは大学3年くらいからで、それまではあまり読んでおらず、最初のうちは習慣づけるために500円と本だけ持って1日中スタバにこもって強制的に読書せざるを得ない環境を作って読書していたという。そしてたくさん本を読むようになった今でも、「読書は鍛錬」と思いながら本を読んでいるそうだ。
 僕は全くと言っていいほど読書をしないから、読書する人はみんな読書が好き好きでたまらないものだと思っていた。だけど、啓さんの話を聞いて読書する人みんながみんな好きでやっているとは限らないのだと気づかされ、僕も鍛錬だと思って読書をしようと思った。(今年に入ってから既に何冊か読んだけど今はちょっとお休み中…(笑)。)

 そしてこの旅が終わってから啓さんと電話をしたとき、僕は
「1人で何かを考えてやるっていうのはそれなりにできると思うんですけど、プロジェクトみたいな周りを巻き込んでやるようなことがたぶんあんまり得意じゃないんですよね。」
みたいなことを話した。
それを聞いた啓さんは、
「プロジェクトなんて僕も得意じゃないよぉ(笑)!でもやるんだよぉ!」
と言っていた。
 僕は自分がやれることの中からやることを選んだりするけれど、啓さんはやれないとか、不得意だと分かっていてもやろうとするところが今の自分とは違うな、と気づかされて刺激を受けた。

 啓さんの話を聞いて、

最初からできないとか、何かを始めるときに怖さや不安を感じるのって、誰にでもあることなんだな。すごいって言われるような人も、その部分だけ取り上げられるから傍から見ると恐怖心や煩わしさがなかったり大変な思いなんて何一つしてきていないように見えるけど、普通の人と同じように漠然とした怖さや煩わしさと闘ったり失敗して痛みを抱えていて、そういった感情とかと対峙したときに能力とか元々の素質うんぬんの話じゃなくて、『どうにかしよう』って諦めないで歯を食いしばって自分なりに考えてやってみるか、早々に考えることをやめて諦めて、全てを投げ出すかってことだけが普通の人と違うところなんじゃないかな。」

と思った。

 だから僕は、「すごいと言われる人と自分を『分けて』考えていた」ということに気づかされた。そんなことはないはずなのに、「すごいと言われる人は雲の上の存在というか、住んでる世界が違うんだ。」って勝手に決めつけて、「自分にはどうせ…」って諦めていたんだと思った。

 そして世間的にも、すごいと言われる人と普通の人は「分けて」考えられることが多いような気がする。だけどそれは、多くの人がすごいと言われる人のことをイメージで捉えて、決めつけて、自分とは違う世界にいる人だって無意識に遠ざけているだけなんじゃないかな、と思った。

ビニールハウスの上に上がって作業をする啓さん。これは…、何の作業をしていたときだったかな…。


まっすぐに。ひたむきに。


        「YouTube見ながら養鶏やってます!」

って言っていたのが印象的だった。初めて会った人に自己紹介をするとき、啓さんはこんな風に言っていた。初めて鶏舎を作ったときも今も、啓さんはあらゆることをYouTubeやネットで調べて見よう見まねでやっている。また、啓さんが営む素ヱコ農園では100%国産飼料(ほとんどは近くの地域で集めることができるもの。)で鶏を育てているが、その自家製の餌を作るのに必要な材料を集めるときもGoogleマップで近くのお店を検索して直接交渉に出向いたという。「ネットとかYouTubeに情報がいくらでもあって調べれば誰でも簡単に情報にアクセスできるようになった今の時代、『やり方が分からない』はやらないための言い訳だと思うんだよね。」と啓さんは言っていた。

 「やってみたい」とか「こうしてみたらいいんじゃないかな」と思ったことをとりあえずやってみて、やっていく中で修正を加えて自分の理想や思い描いていた形に近づけていくのが啓さんのスタイルだ。そんな啓さんを見ていると、考えることよりも突拍子もなくとりあえずやってみることがいかに大切か思い知らされたような気がした。

 そして、思ったこととか考えたことをそのまんま行動に移すのって、「起こる可能性が低いであろうリスク」を考えすぎてしまったり言い訳にしてしまってなかなか難しいことだと思う。
 それに、やることが分かっていてもだらけてしまったりサボってしまったりして、思い通りそこに向かってひたむきに走り続けることって簡単にできることではないと思う。だから、自分で考えたこととか思ったことを、変に回り道しないで、文字通り至ってシンプルにそのまんま行動に移すまっすぐさとスピード感、自分で考えて修正しながらコツコツとゴールに向かって走り続けられるところが啓さんのすごいところだな、と僕は思った。

2つ目の鶏舎を作るために柱を立てる僕。僕は今までDIYやものづくりと縁がなかったけれど、柱の固定の仕方も、番線の絞め方も調べたりYouTubeを見ながらやってみると、思いのほかできてしまった(?)


「人間らしさ」に人は集まる。


 2週間啓さんと行動を共にさせてもらっていると、色々な人が鶏舎を訪れるし、啓さんも色々なところへ足を運んでいて、啓さんの周りにはたくさんの人がいることが分かる。初めて鶏舎を作ったときもSNSで呼びかけて来てくれた人たちと一緒に作業をして作ったし、奥さんの美和さんと付き合う前の初デートは、ビニールハウスの周りで鉄パイプを切るという、他に類をみないであろうデートだった

 こんなにも啓さんのところへ人が集まってくるのは、啓さんが「完璧じゃない」からだと僕は思う。
 啓さんは得意なこととそうでないことがはっきりしているらしく、れっきとした農家さんなのに「僕、農作業みたいな細かい作業得意じゃないんだよね(笑)。」と言っていた。
 だけど、完璧じゃないなりに、目の前のことをどうにかするために一生懸命頭を捻らせて、悩んで、ひたむきにもがき続ける全力な姿には、その道のプロ“じゃない”からこその「泥臭さ」とか、何か心に訴えかけてくるような、人間的な「美しさ」があるから、啓さんはたくさんの人に応援されているんじゃないかな、と思った。
 また、挑戦する人が少ないこの時代に、「自分は完璧ではないから、1人で何でもできるわけじゃない。」と分かっていながらもあえて挑戦する姿が、周りをワクワクさせて、周りから感心を集めて、周りに元気とか勇気を与えるから、啓さんはたくさんの人に囲まれているんじゃないかな、と思った。
 だから、啓さんを見ていて「『人間らしさ』に人は集まるんだな。」と思った。

 そして、自分と歳の近い世代では「誰かの・何かの役に立ちたい」という人はたくさんいると思うけど、「自分がこんなことをやりたいから、みんなに力を貸してもらおう!」みたいに挑戦する人はあまりいない気がするから、啓さんという人との出会いがすごく新鮮に感じられて、自分の中でこれまで見えていなかった新しい生き方とか世界が拓けた感じがした。

飼料用米の稲刈りが終わった日の夜。


おわりに


 啓さんは、「みんなの度肝を抜くようなことがしたい。」のだという。そんな啓さんの夢は、養鶏を誰かに引き継いで伊万里市長になった後、出家して人生の教えを説きながら旅をし、最終的には大企業の会長になること。
 きっとその夢も、啓さん自身は夢よりももっと現実的な、がんばれば手の届くようなところにあると本気で思ってるんじゃないかな、と僕は思う。

3年前、「俺の人生終わった。」と絶望の底にいた松本 啓さんは、今では軽トラのハンドルを握りしめながら「僕の人生、悪くないと思うんだよね(笑)。」と言って手応え十分、充実感でいっぱいの爽やかな笑顔を見せてくれた。


 大変な時期だったにも関わらず受け入れてくださったり、温泉やご飯を食べに連れて行っていただいたり、いろんな話をさせていただいたりと、2週間お世話になりました。啓さん・美和さん、スエ子おばあちゃん、本当にありがとうございました。

 佐賀は案外すぐ行けることが分かったので、また会いに行きたいな。


記念撮影をしようと思ってスマホを渡したら啓さんが勝手に自撮りを始めた(笑)。このとき以外にも、いろいろ奇行を繰り返していた(笑)。



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