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修行の終わり際に気づいたのは「いろんなことが複雑で、わからない」。だから結局、最後は「自分」なんだと思う。|生きる行脚#延べ17@長崎

 僕は大学で学んでいることや「大学」という環境、自分の将来のことなど、いろんなことについてとにかくもやもやを感じていた。
 そんな中REIWA47キャラバンでの株式会社ポケットマルシェ(現:株式会社雨風太陽)のCEO、高橋博之さんとの出会いをきっかけに、大学3年生(2021年度)の1年間を休学し、日本各地で一次産業を生業とされている方の隣で一緒に作業をさせてもらう旅、「生きる行脚」をすることを決めた。
 生きる行脚とは、一次産業を生業とされている日本各地の漁師さん・農家さんのところに住み込みで1週間~1か月ほど滞在し、漁師さん・農家さんが普段やっているようなことを隣で一緒にやらせてもらう修行の旅である。一次産業という産業のなかで物理的に命を扱ったり命と向き合ったり、一次産業を生業とされている方の生き様などを通して「生きる」とはどういうことなのかを感じたり、考えるため、2021年の3月8日(火)から2022年の3月28日(月)までのおよそ1年間、この「生きる行脚」を実施した。
 このnoteでは、この1年間で日本各地の漁師さん・農家さんのところへ行かせていただいたときに僕が見てきた景色や、僕が感じたことや思ったこと、考えたことを綴っている。


 以前行かせていただいた農場で分娩に立ち会わせてもらったり、子豚舎(離乳したての子豚がいる豚舎)で作業をさせてもらったとき、自分が想像していた以上に子豚が亡くなることを知って、「もうちょっとどうにかできないかな…」と思ったことがあった。そこで、「動物に優しい」というイメージだけで、放牧であればどうにかできるのではないかと思った。また今回行かせていただいた味菜自然村さんでは病院や介護施設から出た野菜くずやご飯の余りなどを主な材料としたエコフィードを餌として与えている(残飯養豚)ということで、身の周りで手に入れることができる資源を餌として利用しているというところにも興味を持ち、1週間ほど研修をさせていただいた。

地域にある数カ所の病院や介護施設から回収してきた野菜くずや作りすぎたご飯。爪楊枝や袋など豚が食べるのに危ないものが入っていないかを手で確認した後、水を加えて薪で焚き上げ、一晩寝かせ乳酸菌を加えて4~5日ほどおいて発酵させると手作りの餌ができあがる。軽トラを80km近く走らせて野菜くずや余ったご飯を回収し、1トンもの餌を毎日作っている。
餌やりの時間になって餌箱を放牧場に持っていくとものすごい勢いで豚たちが寄って来て、地面に置いた瞬間に我先にと食べ始める。人間が食べるものから作られた餌なので見た目は雑炊みたいだし、人間が食べているものと同じ匂いがするので普通に「うまそう…」って思っちゃう。


いろんなことは複雑でわからない。結局、「自分はなにを信じたくて、なにを大切にしたいか」ってことだと思う。


 冒頭でも述べたように「放牧」というと、僕のなかでは動物に優しいイメージがあった。だから、放牧をしていれば豚が亡くなる確率も低くなるものだと勝手に思い込んでいた。そして、「放牧=いい、一般的な豚舎飼い=好ましくない」みたいな何となくのイメージが今までの僕のなかにはあった。

 母豚が子豚を産んだあとの分娩後の経過について、一般的な豚舎飼いでは、生まれてから離乳するまでの約3週間~1か月を母豚が寝転んだりする際に誤って子豚の上に乗ってしまって子豚が圧死するのを防ぐために母豚と子豚のスペースが柵で区切られた「分娩ストール」という小さな檻の中で過ごすことが多い。この方法については、子豚が圧死するリスクは軽減できるが、母豚の動きは制限されるため母豚にはストレスがかかるとも言われている。
 一方で、放牧などの自然に近い環境で育てるところでは出産や分娩後の子育ても母豚の持つ母性に委ねたいといった理由から分娩ストールを使わないことも多く、それによって分娩ストールを使った場合と比べると母豚にかかるストレスは軽減されるものの、それと引き換えにっていう言い方も難しいところだけど、生まれて間もない子豚が押しつぶされてなくなってしまうことも少なくない。

 放牧で豚を育てている他の農場に行かせてもらったときのことも思い出してみると、肌感覚ではあるけれど、ストールがある豚舎飼いの方がストールがない自然に近い環境で飼うよりも亡くなる子豚は少ないように感じた。
だから、放牧とはいっても確かに母豚が感じるストレスは軽減されているのかもしれないけど、まったく死ぬことがなくなるとか、亡くなる子豚の数が大きく減少するわけではなくて、動物に優しい=亡くなる動物の数が減るということ「ではない」のだとわかった。

豚舎飼いの豚だと人間が近寄ると一目散に逃げて人間と一定の距離感を保とうとするけど、放牧で飼われている豚はかなり好奇心旺盛で、人間が放牧場に近づいてもビビることなく、むしろ豚の方から近寄ってくる。
今回お世話になった味菜自然村の林 拓生さんが、生まれつき体が小さかったりうまくミルクを飲めない子豚にミルクを作って飲ませてあげている様子。手前に写ってるのが母豚なんだけど、他の農場に行かせてもらったときは子豚に近づこうとすると母豚がすごく怒って近づけない感じだったので、母豚と子豚と同じ空間に入って拓生さんがミルクをやる光景を見てとても驚いたし、こんな風に母豚が拓生さんに子豚を委ねられるのは拓生さんと母豚の日ごろの信頼があるからなのかもしれないと思った。


 だから、「完璧ってないんだな。なにかを選んだら、その代わりに手放さなくちゃいけないものもあるんだな。」ということに気がついた。 そして結局、良くも悪くもいろんな要素がそれぞれにあるなかで、今回お世話になった味菜自然村の林さんが「なるべく自然な、豚本来の営みの中でストレスを感じることなく育ってほしい」っていう想いから放牧というやり方で豚を育てることを選んだみたいに、実際にそれをやる人が「なにを大切にしたいのか」っていう想いからやり方を選んで、そのやり方を通して想いとか、考えとか、自分っていう人間だったりを表現してるんじゃないかな、と思った。

 だからなんか、いろんなことに対して「良いか悪いか」「白か黒か」みたいにはっきりさせようとするのって違和感を感じるな、って思った。
こうやって実際の様子を見る前は農業とか畜産に限らず、いろんなことに対して「こっちの方がいいからこうすべきなんだ!」みたいに言い切っていたと思うけど、そんな風に「これがいいんだ」と信じて疑わずにいれたのは自分にとって都合がいいというか自分が信じたいところしか見てなくて全体が見えてなかったからで、いろんなやり方を見てきたからこそ自分が「こうすればいいのに」って考えていたことはそんなに単純じゃないというか一筋縄ではいかなくて複雑だってことに気がついたから、「なにが良くてなにが悪いか」なんてわからなくなって、簡単に言い切れないと思うようになった。

       自分のなかで、いろんなことが曖昧になった。


 ここに書いたことは、今回林さんのところに行かせていただいたからというよりは、この1年間を通していろんなところに行かせてもらうなかでなんとなく思うようになっていったことの1つって感じだ。
 この1年間でほんとにたくさんのいろんなところに行かせてもらってきたことで、総じて、僕はどっちつかずで、もやもやしてて、はっきりとした答えをすぐに出せない曖昧な人間になったと思う。だけどこれが悪いことだとは1ミリも思っていない(必殺、開き直り!)。これまで考えたり想像だけしていたことを実際に自分で見て、話を聞いたりしたことでリアルに見れるようになったからこそのことで、前よりもそれだけ自分が更新されたってことなのかな、と思っている。

 だから、これからも自分で足を運んで、自分で見て、話を聞いたうえで「なにを大切にしたいの?」って自分に投げかけ続けて、当たり前のことだけど、自分が大切にしたいものを大切にしたい。そして、自分が選ばなかった方の選択も理解しようとして、受け容れていけたらいいな。


 忙しいのにも関わらず日程を調整して研修を受け入れてくださり、いろんなお話を聞かせていただいて、作業も一緒にやらせていただいた拓生さん、約1週間ほんとうにお世話になりました。ありがとうございました。またご飯や洗濯の面倒をみてくださったはなえさん、お母さん、ご飯おいしかったです。ありがとうございました。そして「おにーちゃん!おにーちゃん!」って言って一緒に遊んでくれためいちゃんといっくん、旅してた1年も終わりかけでなかなかしんどい時期だったけど、毎朝めいちゃんといっくんに会えたから、すごく癒されて毎日がんばれたよ。(小っちゃい子の持ってる力って不思議で、ほんとにすごいなって思った。) 仲良くしてくれてほんとにありがとう。         

             また行きたいな。



最後の記念撮影。いっくんは逃走を図ろうとするも、僕にキャッチされる。



味菜自然村のホームページはこちら


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