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健康に対する新しい認識⑩『バランスと全体性』について

 ナグです。

 先週末の東京は、良いお天気が続きましたね。“梅雨”の時期には雨が降らないと真夏に水不足の心配があったり、でも、局地的な豪雨とかは遠慮したい。・・・って人間は結構わがままだと思ってしまいます。

 雨が降りすぎても困る。降らなさすぎても困る。

 これも「バランス」なのでしょうが、何もかもが”ちょうど良い”というのは贅沢なのかもしれません。

 贅沢といえば、「モノが豊富にあること」も一つの贅沢と言えるのでしょうけれど、“自然界におけるさまざまなバランス”というのは、過不足なくちょうど良いところへ収まっていく、というものなのでしょう。

 ということで、今回は「健康」ということを考えたときに、見えてくる「バランス」とそのバランスを維持している「全体性」について、記事にしていきたい思いました。

 身体の健康、ということで考えるといろいろな「バランス」があると思います。先ほどの梅雨の雨、という感じでいうと多過ぎず、少な過ぎず、高過ぎず、低過ぎず、というものですね。

 例えば、血圧や体重(体脂肪)とかもそういうものになるでしょう。

 血圧なんかで言えば、ある程度の年齢になってくると「高血圧のお薬」というのは、日常的に服用されている方も多いのでは無いでしょうか? 

 一般的に病院などで「高血圧」とされる基準も時代や年代によってずいぶん変わってきています。

 歴史を紐解いてみると、世界初の血圧計は1896年にイタリアの医師によって発明されたそうです。そして現在のような電子血圧計ができる前は、水銀の血圧計と聴診器を用いて血圧測定が行われていたといいます。

 高血圧症が「健康のリスク」であると注目されるようになったのは、1950年頃で、最初は医療ではなく、保険会社が保険金を設定するために余命と血圧の関連性を調べたことが始まりだったそうです。

 現在では、高血圧の基準値として140/90mmHg以上、というふうに定められているようですが、今までの推移を見ていくと、どんどん上限値が下がってきているんですね。

 1960年代、日本における死因の第一位は「脳梗塞、脳溢血」などの脳の血管系疾患でした。当時から血圧が高いと脳や心臓の病気が増えることはわかっていました。1970年代になるまでに、薬の開発なども進んできて、次第に脳血管疾患による死亡率も減少してくるのです。

 1980年代後半からの推移を見てみると、1987年の高血圧の基準は、180/100mmHg以上、2000年には140/90mmHg以上となっています。

 2000年当時は、年齢ごとに基準に違いがあり、70代は150mmHg以上、80代は160mmHg以上とされていましたが、2004年にはこの「年代別」という基準が撤廃され、65歳以上も他の若い年代と同じように「140/90mmHg以上」が高血圧とされるようになりました。

 僕は医師では無いので、極端に専門的なことは述べることはできませんが、自然な肉体の老化や年齢の重ね方というものを考え、そして血圧ということを考察したときに、思い当たるのが「ゴムホース」が思い浮かびます。
そう、夏の暑い時に庭に水撒きをするときの、あのイメージです。

 新品のゴムホースは、しなやかで柔軟性もあり、目一杯蛇口を開けても、ホースが蛇口から外れる、ということはありません。しかし、古くなってくるとホースのしなやかさがなくなり、ホースの先を潰してブシャーっと水を撒くのが困難になってきます。

 人間の血管も、年老いてくると柔軟性がなくなっていくし、心臓の機能も低下していくわけですから、血圧が上がってくるのは仕方のないことです。まして、心臓よりも高い位置にある「脳」へしっかりと血液を送ろうと頑張るわけですから必然的に若い世代より高くなるのは仕方のないことですね。

 血圧が下がりすぎると、十分な酸素が脳に行き渡らなくなるので、めまいのような感じになったり、ぼーっとするとか、そういうことも起こると思います。

 血管の状態、血液の状態、心臓の機能の状態、そのほかいろいろな要因があって、「血圧」というのは決まってくると思います。

 もちろん、ある一定の「ここからここまでが許容範囲」というものはあると思いますが、どんどん下がっていく「高血圧の基準」には少し疑問を感じるところもあります。

 医療の基準が決められる背景に、純粋に人々の健康のことだけを考えている。と楽観的に信じられなくなってしまっている自分がいることも事実なのですが(苦笑)。

 一例として「血圧」ということを題材にお話ししてきましたけれど、人間の体というものは「自然の産物」だと、僕は思っています。

『そういうふうにできているもの、なんでそうなのかは知らんけど。』

的なもので、全体的なトータルバランスによって成り立っているのだろうと思うのです。

 本当に健康である時は、人は自分の体について考えることはしません。

 そして、それが本当に数々の要素のバランスの上に成り立つものであれば、一部分だけを切り取ってみて、健康不健康を判断するのは早計であるようにも思います。そういう意味では「全体性」ということで、もしかしたら、ある人にとっては血圧が180mmHg近くあっても、それが「良い状態」である可能性もあるわけですから。

 「全体性」ということで話を展開していくと、僕が霊的な側面を実感している人たちによく話すことがあります。

「ヒーラー」とか「ヒーリング」という、お医者さんに言うと途端に眉をひそめられる言葉なのですが、スピ界隈では日常用語です(笑)。

 その「ヒール(Heal)」の語源について、ヒーラーを目指す人や、ヒーリングに関心を持つ人に話すのです。

「heal」の語源は、古英語の「hǣlan(カタカナで書くならヘーラン)」に由来していて『元気を取り戻す』というのが元々の意味であり、「元気」という言葉から分かるように、それは単に「肉体だけ」のものではないのです。

 そして、「肉体と、精神と」という観点に立ってきた時に、よく日本語で「心身ともに」という言葉があるように、それは全体としての健康が「元気である」ことにつながっているのではないでしょうか?

 またその全体性は現在でも「ホリスティック医学」と言われるように、循環器、消化器といったように各分野で詳細に分化していった医学の進歩を、今度は総合的に再統合していくプロセスの中で再現される全体性というものが大切になってくると感じています。

 それは、医学の専門分野だけが正しく権威のあるものではなく、日々の食事や運動、それこそ生活に根ざした「農業」や文字通りその土台となる「土」をはじめとする自然環境の“健康”(健全さ)というものが見つめ直されていくようになると、感じているのです。

 自らの健康、というものを考えていった時、結局全てに「つながっている」ことを強く実感するようになるのは、僕だけではないはずだと思っているのです。

 次回は、ちょっと趣を変えて、健康と美容についてお肌のこと(日焼け気になる時期ですからね。)を書いてみたいと思います。

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