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RENTとハースト

RENTとダミアン・ハーストの『桜』展を見に行ってきました。
考えさせられる事が多かったので、感想を書いていきたいと思います。

RENT

まずは、RENT。あらすじと感想です。

あらすじ

1989年12月24日から、ちょうど1年間のニューヨークのイーストヴィレッジが舞台。元ロックミュージシャンのロジャーと、ルームメイトで自称映像作家のマークは、スクウォッターハウス化した倉庫ビルを占拠してボヘミアン的な日々を送っているがビルのオーナーのベニーから滞納している家賃(作品名『レント』は「家賃」の意)を支払うか退去するよう求められている。なお、ロジャーとマークは性的指向において「ストレート」である。

前述の二人を中心に、ゴーゴーダンサーで薬物中毒者であるミミ(彼女の性的指向もストレートである)、大学で「コンピューター時代の哲学者」として教鞭を取る知性を持つゲイのコリンズ、ストリートドラマーでドラァグクイーンでもあり名前のとおり天使のような性格のエンジェル、アングラパフォーマーでバイセクシュアルのモーリーン、ハーバード大学出身でレズビアンのエリート弁護士のジョアン。以上が主要登場人物である。

彼・彼女らが「叶えきれない夢」を追い「自分たちではどうにもできない」ようにも見える「現実」に辟易しつつ貧困や病魔に苛まれる日々の生活の中に「愛と生きることの喜び」を見い出していく。

主要登場人物の中にはゲイやレズビアン、ヘロイン中毒、そしてHIV陽性の者もおり、社会によって「マイノリティ」の枠に属さざるを得ない背景を持つ登場人物たちの個性、そして彼・彼女らが歌う「革命的」とも評されたラーソンによる劇中歌によって1980年代終わりのニューヨークの世相と今では失われた「ボヘミアン イーストヴィレッジ」の世界が鮮やかに描かれていく。

主要登場人物のなかのカップルの関係破綻や友の死により、これまでずっと固く結ばれてきた彼・彼女らが共有してきたお互いへの愛情は、一旦は壊れかける。血縁関係がある家族よりも、家族だったはずなのに。どうしてこんなことになったのか、と彼・彼女らは悩みつつも「別れ」が訪れる。

しかし劇中ラストに差しかかる直前に起こった或る出来事により、彼・彼女らは失いかけた友情と愛を取り戻す。今日を生きるしかない、だから前を向いて生きてゆく。以前は見ることができなかった「自分たちの未来」が見える。
(出典:Wikipediaレントミュージカルhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88_(%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB))

感想

あらすじなどを全く知らず、作中歌の『Seasons of Love』だけしか知らない状況で鑑賞をしましたが、登場人物たちを通してミュージカル全体の強いメッセージを感じることが出来ました。

マイノリティとして生きづらくても、自分たちの中における愛を見つける。そして、いつ死ぬか分からないから、今日を生きるしかないという強いメッセージがありました。

このメッセージの中で、特に「マイノリティとして生きづらくても、自分たちの中における愛を見つける」という部分が考えさせられたポイントでした。メッセージの大事な部分は、「自分とその周りの人との関係において、意味を見出す」という事だと思います。一人で抱え込んでしまったり、人と距離を置きがちな自分にとって、人との関わり方や人の巻き込み方の参考になります。
いくつか自分に置き換えて考えていきます。

以前、私は筋トレを頑張っていましたが、一旦休んでいます。ただ、また改にやり直す意味を見出すことができて、始め直したところです。約1年ほど休んでいる中で、今年に入ってからまたやりたいとは思っていましたが、一人だときっかけやモチベーションの部分で、再開するには至りませんでした。ところが、一緒に筋トレをやっていた友人が筋トレを再開し始めて、自分も再開してみようと思って、やり直しているところです。

もう一つお話があります。去年、富士山に一度は登頂しておきたいという気持ちで友人と二人で登りました。しかし、天候に恵まれなかったため、今年はご来光を見に行くと決めています。それを聞いて、一緒に登りたいと言ってくれた人がいて、今年は4人での登頂を考えています。

孤立無縁にならずに、周りを巻き込みたいとき、周りと何かをしたいときのきっかけに、「自分とその周りの人との関係において、意味を見出す」を自分で考えていきたいと思います。二つ自分のお話をしましたが、現在の人との関係性を考えなおしたり、これから新たに関係を作っていくときにも役立つと思います。考えたことを話せる仲でも、話せない仲でも、自分がどうやって人と関わりたいのか考えることで、より自分と相手の納得と満足感を上げられると思いました。

ダミアン・ハースト『桜』


(左)Precious Moments blossom (右)Kanji blossom

お次はダミアン・ハーストの『桜』展です。ハーストの概要と、印象に残った作品、そして感想をどうぞ。

ハースト概要

ハーストは1986年から89年にかけてロンドンのゴールド・スミス・カレッジで学んだ。卒業後すぐに、「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBAs)」の代表的な作家として認識されるようになった。ハーストは、死んだ、あるいは生きた虫、薬、ホルマリン漬けになった動物、そしてダイヤモンドなど常識を覆す素材を用い、極めて多様な彫刻やインスタレーションを展開した。彼の作品は、死や生、科学、宗教について深く考察するのである。

ハーストの〈桜〉シリーズは、桜の抽象性と19世紀後半から20世紀の重要な芸術動向に対して転覆を図ると同時にオマージュを捧げていることを特徴とする。印象派の画家が始めた、様々な色の絵の具をそのまま画面に載せ、色彩の鮮やかさと明るさを保つ。また、〈桜〉シリーズでは、カンヴァスのサイズも大きな特徴として挙げられるが、スケールの大きさに加えて、技法的な面においても戦後のアメリカの抽象絵画とも接続している。
(出典 ダミアン・ハースト「桜」展パンフレット)

印象に残った作品

Fragility blossom

Fragility Blossom 、邦題「儚い桜」です。
入口に入ってすぐの作品で、桜の表現方法と、桜っぽさにひときわ目をひかれていました。木の部分を上から修正した後が残っていて、描かれた痕跡も見られます。全体だけ眺めて見ると、巨匠の完璧な作品だと見て取れます。ただ、細部を細かく見て行くと、桜や葉の描かれ方、書き直しの後など、人の手によるものだと実感できます。

Sakura Life Blossom

Sakura Life Blossom、邦題「生命の桜」です。
真ん中が中心となって、左右に力強く枝を伸ばし、桜の花、ところどころに緑が見え葉が描かれています。ひいて撮っているため、写実的な桜に見えます。

感想

完全な模写だけでなく、近くで見れば点であるのに、遠目から見れば桜っぽくありました。会場に入った瞬間、真っ白い部屋の中で、桜が咲いてると一瞬見間違うほど綺麗な景色でした。

『人がものを見る方法として、断片的に垣間見るというのがあるだろう。「全体は見えないけれども、顔や足が少しだけ見える」、つまりキュビズムみたいに。頭の中にイメージを構築するような感じで...。鼻、顔、全体を見まわして、その断片の集合体があなたを作っているんだ。』

ダミアン・ハースト ティム・マーロウとの対話

ハーストの作品は模写ではなくて、本質を見極めて描いたのだと感じました。
また、ハーストとマーロウの対話の中では、「ある日、散歩をしていて木を見たら、緑だけじゃなくて、日の光を浴びて、黄色とか赤にもなっていたよ。」という事も語っていました。

ハーストの作品を見て、自分は何かをやる時には、真似ごとだけにならないためにも、物事の本質を捉えていきたいと改めて思えた機会でした。よりアウトプットも、自分の行動も本質を捉えていきます。

もう一つ感想があります。
ハーストは問いとして、「生と死」をテーマとして捉えています。その中で、「桜」に「生と死」を見出していました。ただ、これに関しては、理解出来る部分もありますが、違う見方があることを、この文章を読んでくれている方にお伝えしたいと思います。確かに、桜が咲き誇って散る姿に「生と死」を見出すことも出来ます。しかし、桜は一年をかけて花を咲かせる準備をしています。なので、花が散ったら死ぬという表現は適切ではないと思います。花を咲かせている瞬間だけが桜ではなくて、桜は一年をかけて準備をしていて、春の一瞬に注目を浴びるやつだと。

染物を作るために、桜から桜色を取り出そうと、桜の花びらから色をとろうとしたけど、桜の桜色を抜き出せるのは、実は、枝・幹の部分からであることは知っていましたか?
以下、志村ふくみ著の『一色一生』の抜粋です。

 まだ折々粉雪の舞う小倉山の麓で桜を切っている老人に会い、枝を頂いて帰りました。早速煮だして染めてみますと、ほんのりした樺桜のような桜色が染まりました。
 たまたま9月の台風の頃でしたか、滋賀県の方で大木を切るからときき、喜んで勇んででかけました。しかし、その時の桜は3月の桜と全然違って、匂い立つことはありませんでした。
 その時はじめて知ったのです。
桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです。
 ―中略―
 植物にはすべて周期があって、機を逸脱すれば色は出ないのです。たとえ色は出ても、精は出ないのです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのものでは染まりません。
友人が桜の花弁ばかりを集めて染めてみたそうですが、それは灰色がかったうす緑だったそうです。幹で染めた色が桜色で、花弁で染めた色がうす緑ということは、自然の周期をあらかじめ伝える暗示にとんだ色のように思われます。
―中略―
 本当のものは、見えるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。

『一色一生』志村ふくみ

「本当のものは、見えるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの」というメッセージは、ハーストも志村も一致していると思います。
突然現れる「生と死」ということを、現実にあるものや亡くなったもの、桜を用いて表現したハーストや、桜の枝から桜の色、精気を見出した志村。

本質を見極めることは、自分のテーマになっていきそうな気がした感想でした。

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