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陰キャラコンプレックス論 第一講 「陰キャの矜恃」

「陰キャ」という単語を皆さんは耳にしたことがあるだろうか。正式名称は「陰キャラ」、Twitter、2ch…等々を拝見するような方で有れば、一度は聞いたことがあるのではないか。
簡単に説明すると、この単語は主に一部の人を指す場合、ネットでよく用いられる「蔑称」みたいなもので、noteを書くような方々は縁のない言葉かもしれない。(こんな単語に縁なんて無い方が良いと個人的には思う)
しかしながら、私にとっては大変馴染み深い単語と化してしまっている。何故なら私自身、陰キャラだからである。
「は?」と思ったそこのあなた。まあ一回落ち着いて聞いてほしい。色々と疑問に答えよう。
まず、この言葉について考えていく前提として、「黒人差別」や「民族差別」などとは別のものである事を理解してほしい。あれらは「私」が生まれた時から、外見的にも血統的にも付き纏う、言わば、「私」の根幹となるものを構成するうちの一部だ。おまけにそれらは基本的には不変、且つ、生きていく上で否応にも他人から見られる、認識してされるものだと理解してほしい。
対して、「陰キャ」なんて単語は、ネット上のやり取りのみで他人が一個人に向けて放つ、罵倒、レッテルに過ぎず、言ってしまえば「スラング」程度のものだ。なので、上記の差別とは根本的な部分が異なることを理解していただけるとありがたい。
では、話を戻そう。じゃあ何故、私は「陰キャ」を自称しているのか。皆さんも感じただろう。他人が貼るレッテルに過ぎないものならば、わざわざ自称する必要は無いのではないか。何より、自称しているあなたこそ、「陰キャ」という蔑称を広めている、諸悪の根源ではないのか。
確かにその通りだ。私自身が「陰キャ」という単語に囚われている側面があることは否定しないし、側からみれば、下らないことで勝手に騒いでる、愚かな奴にしか見えないだろう。
しかし、私があえて自称しているのには、「陰キャ」=恥ずかしいもの、という認識を改善したい、という気持ちがあるからだ。
何故、自称することで改善されると思ったのか。単純だ。別に「陰キャ」だのなんだか知らないけれど、スラング如きで私、あなたのアイデンティティは揺らぐことはない、という事を証明したかった。その為には、何が一番効果的かと言えば、「開き直り」だった、というだけだ。
変にコソコソ隠したり、「オレ、陰キャなんかじゃねーし」とアッピルしたりするから、益々、「陰キャ」という単語が悪いものに聞こえてしまう。だったら、「別に陰キャだか何だか知らねーけど良くねーか?」と、認めたの方が幾分楽ではないか。もちろん、本当に心から認める必要はない。レッテル程度に過ぎない単語だと理解した上で、軽く遇らうくらいが丁度良いと私は思う。

第一講はこの辺りにしようかと思う。こんな下らない記事、普通の人は読まなくて良いが、もし、「陰キャ」なんてしょーもない言葉を他人に使われたり、「陰キャ脱出するわ!」と、脱出も何も、そもそもそんな穴にハマっていないのにも関わらず、変に気張っている方々がいらっしゃれば、その方達への、エール、助けになればこの上なく嬉しい。

第二講はいつになるのかは不明!だけど、恐らくシリーズ化します。

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