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心の中、フィルムの中にある東京 ヴィム・ヴェンダース「東京画」

ヴィム・ヴェンダースが1983年の東京を訪れ、崇拝する映画監督、小津安二郎の映画の世界を探すドキュメンタリー

映画は小津安二郎の「東京物語」の冒頭のシーンから始まる

ナレーションはヴィム・ヴェンダース自身

彼は「東京物語」の描いた「東京」が現在の東京に残っているか
それを探しに来日した

映像は公園で花見に興じる人たちを映し出す
ある日は、日本で人気のスポーツとしてゴルフ練習場にいる人たちを映している。そこではゴルフは穴にボールを入れるスポーツだが、ここにいるほとんどの人たちはそれを忘れてしまっている、と冷めたナレーション
またある日には、昼食に入ったお店のショーケースにある食品サンプルに興味を持ち、それを作っている会社に行き、製作途中を丹念に映す
かと思えば、パチンコ屋に1日滞在し、黙って台と向き合う人々を映す
時々に東京の今(83年)の風景を映す

ああ、今から40年前の東京の風景はこうであったのか、こんな人たちが生活していたんだとノスタルジーを感じていると、83年の笠智衆が突如現れる
そうだった、この映画は小津安二郎の「東京物語」の世界を追うドイツ人映画監督のドキュメンタリー映画だったのだ

笠智衆は言う
「東京物語」の撮影中は小津先生が納得する芝居はどういうものか、しか考えていなかった。小津先生とは死ぬまで教師と生徒のような関係だった
多くの小津作品に出演した笠智衆は、この役ではこう演じようなどということは一切考えず、カメラの横にいる小津が思い描く世界を実現するために、その場にいたのだろう
北鎌倉で電車を降りた笠は、小津が眠る墓を参る
そこには名前はない
「無」と書かれた墓石を見つめる笠の姿

そして再び、カメラは83年の東京の今を映し出す
小津の作品には列車がよく映る
カメラは東京を走る新幹線を映す
そこに「東京物語」の東京は感じられない

小津の作品で撮影監督をしていた厚田雄春が登場する
超ローアングルで知られる小津作品の撮影の実際を説明してくれる
ロケ撮影のときに使われた特注の三脚が出てくる
撮影監督はゴザを常に持ち、撮影の時には地面に敷いて、寝っ転がってアングルを探るのだ
どのような構図にするかは小津が実際にカメラをのぞいて決定する
構図が決まると、かっちりと固定して一ミリでも動かしてはいけない
厚田は助手時代から小津に随った
撮影監督になってからも「私はカメラマンではない、カメラ番である」と言う。「それは誇りだった」と涙を流す。

小津を慕い、小津を崇拝している人たちの目の前にもう小津はいない

ヴィム・ヴェンダースが見た東京に「東京物語」の東京はもうない

しかし、彼らの心の中、映画フィルムの中にはしっかりと小津安二郎の映画が存在するのだろう

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