見出し画像

努力するって、具体的には何をするの?

おばんでございまする。ゼバ会です。
本日は前回に引き続き、プログラミングから少し離れた自己啓発的な内容でお送りします。

世の中、「努力しろ、努力しろ」ってうるさいけど、具体的に何やりゃいいのか分からないことが圧倒的に多数です。
上司の命令に従ってりゃいいのかと思ったら「そういうことじゃないでしょ?」って言われる。
人生と命を賭けて自分を追い詰めればいいのかと思うと「そういうことじゃないでしょ?」
効率よく作業して効率的に金儲けすりゃいいのかというと「そんなの努力じゃないでしょ?」
えっちぇとら、えっちぇとら、、、

じゃあ「努力」って具体的になんなの?😠
って、激おこぷんぷん丸もフルスイングで殺意まっしぐらの人もいるはず。

てなわけで、誰も教えてくれなかった努力の定義。
ズバリ言っちゃいましょう。
今回はこれです。(じゃじゃん)

1. 成し遂げたい何かがあるとき
2. その手前で我慢すること

これが「努力」の定義です。
もちろん、言われてイメージするビジュアルが人それぞれ違うので、上記とは違うことを努力と呼んでる人もいます。
それはさすがに人それぞれでしょう。
ですが個人的なおすすめとして、上記の定義を仮に正しいとしておいた方が身のため、と言わせていただきたく思います。

とりわけ、世の中には「努力」という言葉が嫌いな人もいて、極端な場合は辞書から消してもいいと思ってる人もいるようです。
俺に言わせれば、そういう人達のイメージする努力は努力じゃありません

そういう人達の言う努力のことを、私個人は奴隷の発想と読んでいます。
奴隷のように付き従う、何でも命令を聞く、やれと言われたからというだけの理由で命まで危険にさらしてでもやる。
そのような行為には正式な名詞がありません。
古い日本人にとって、あまりにも当たり前のことすぎたからです

ですから、現代人はその当てはまる動詞のない行為のことを、「努力」と仮に呼んでいるのです。

でも、そんなものは本当の努力じゃありません。
名状できないゆえに仮に努力と呼ばれている何かでしかないのです。

努力とは、本来自分が好き好んでやることです。

〇 「努力」の間違ったイメージ例

それから、努力という言葉のイメージがあまりに巨大すぎる人もいますね。

オリンピックとか世界のトップスターとか、そういう「世界規模の目標に取り組むこと」だと思ってる人。
それから、ノーベル賞受賞者みたいな「同じ目標を数十年以上維持し続けること」だと思ってる人。
はい、みんな大げさすぎ。

そういうイメージの人は、「責任」とか「正しい」といった言葉の定義も壮大な傾向がありますね。
まぁ、要は努力とか責任とか正しさなんてものを、あまりにも巨大すぎる敵と認識しちゃってる人達ですね。

当たり前だけど、これらは間違いです。
オリンピックやノーベル賞を目指すことが、歴史に残る大きな努力であることには違いないけれども、そんなの日常的にみんながやることではありません。
そういう規模のものじゃないと努力と呼べないんだったら、世界中の大部分の人には努力は不可能です。

そうじゃなくて努力とは、何か成し遂げたいことがある人が、その手前で我慢することを言います。
朝にとても弱いYさんが、明日の朝だけはちゃんと起きたくて個人的に創意工夫して、翌日ちゃんと時間通りに起きました。
たった1日だけど、眠いのを我慢して一生懸命がんばりました。

これが努力です。
(なお私の妻のイニシャルがYであることは、当件とは無関係です)

努力って言っていいんだよ。
小さなことだからおこがましいとか思わなくていいの。

「早起きを成し遂げたい」という目標に対して、眠いの我慢しました。
ちゃんと定義を満たしてます。
努力です。

そんで努力の結果ちゃんと成し遂げたわけだから、その人100点満点なわけですよ。
いいんだよ、それで。

それから他にも、努力の定義が「ツラい思いをすること」になっちゃってる人も多いですね。
テストの点数を10点アップさせたいという目標のために、嫌いだけど我慢して勉強時間を1日5分だけ増やしました。
これも努力です。
最低1時間はやんなきゃ努力じゃないとか、そんなことはないんです。

たった5分かもしれないし、そのくらいなら全然ツラくはないかもしれないけど、でも目標があって、その手前で我慢してるじゃん?
ちゃんと努力だよ。

これがもしツラくないから努力じゃないことになるのなら、勉強に2時間集中できるようになりたいという目標に対して、毎日同じでいたいのを我慢して1日あたり30秒ずつ時間を増やしました
って、これも努力じゃないわけ?
だって、1日あたり30秒だよ?
この人の集中時間は1年後には2時間に達してると思うんだけど、それでもダメ? 認められない?

でしょ?

でも、逆にこういうのは努力じゃないですね。

ウクレレが上手になりたくて、1日に10分の練習時間を確保したものの、楽しくてつい毎日30分以上やっちゃう。
これは努力じゃないですね。
別に我慢をしてないから。
ウクレレはねぇ。ヤバいよ。時間ブッ飛ぶよ。マジ。

もちろん楽しくてついやっちゃうのって、理想的な頑張り方ではありますけどね。だから「そういう頑張り方が理想的である以上、努力という言葉は本質的に必要ないはずだ」なんて乱暴なことをいう人もいますね。
そんなわけナイナイナイwww

そりゃ楽しくてついやっちゃうのは理想かもしれないけど、世の中の全てを我慢しないで楽しくやるなんて不可能です。
俺だってプログラムを組んだり、絵を描いたりとかって好きだけど、でもそれは作品作りを達成するのが楽しいだけです。
別にその過程で努力することまで楽しいことばかりではありません。
むしろ、本気で取り組んでいることほど、たとえ楽しくてやっていることであっても、練習の最中はやっぱりツラいことが多くて、ウクレレは片手間だから練習も楽しいってだけの話だったりするんです。

さて。
あなたは努力できない人ですか?
何かを成し遂げるために何か我慢してることないですか?
1つくらいありますよね。

つまり、あなたはちゃんと努力できているということです。

〇 「努力の必要性を自認する」って難しいよね

ただ残念ながら、目標を明確に自覚していない場合、それを努力と呼んでいいのかは微妙です。
本当は活字嫌いなんだけど、何となく毎日5分ほど新聞をチェックしてる。目的は自分でも分からない。これは努力かというと、、、???
もちろん全く努力と言えないわけでもなく、グレーゾーンって感じですかね。

目標は当然ながら自覚的な方が望ましいので、その意味では、大部分の人は無自覚でグレーゾーンな目標しか設定できていないのが世の中の現状でしょう。
なぜ世の中がそんな無自覚だらけになってしまったのでしょう?
意識が足りないから?
違うよね。

現代社会には目標を自覚している人は少数派という風潮がありますが、これは非常にシンプルな理由で、目標設定を明確にすると否定されちゃうからです。
目標を口に出した途端、「なにそれ下らなくない?」とか「たかだかその程度?」とか「すごーい、くすくす」とか「おまえはその程度じゃねぇ!」とかイランこと言う人がいるんですよ。
で、周りが全部そういう人ばっかりだと、いつしか周囲の人に自分の夢を語るのを止めて、そのうち自分でも思い出せなくなって、最初から夢なんてなかったことになってしまうわけです。

「いるいる、そういう人いるよね」って、思うよね。
まったく、好きにさせてくれればいいのに。

でもさ、うなずいてるそこのあなたも、1つくらい以下のようなことやっちゃってない?

子供の目標管理能力の育成を阻害する要因一覧
1. 良い行動をした人を褒める習慣がない
2. 「目標がある人」ならいいが、「夢を追っている人」という言い方だと否定的なイメージが浮かぶ
3. 他人からの評価など気にすべきではないと思う
4. 「自分で考える」とは「他人の意見を参考にしない」ということだと思う
5. 常々「型にはまってはいけない」という想いがある
6. 他人に縛られるのは悪いことだと思う
7. 夢はどうせ持つなら大きい方がよい
8. つまづいている人は、自分に助ける力がなくても助けたい

上記は、私個人が自分の目標を明確に自覚するまでに障害になった出来事の一覧です。
私の場合はシステムクリエイターという夢があるワケですが(ワケですがって、別に誰にも話したことないけどそうなのよ?)、この夢を明確に自覚するまでに実は35年かかってるんです。
一般には夢というのは15~20才頃には自覚するのが望ましいとされてるわけですから、夢追い人としてはかなり遅咲きです。

とはいえ、上記 1. ~ 8. のそれぞれの原因となった人物は、みんな1人1人はいい人達だったんですよ。
私の人生に影響を与えた人で、悪い人なんて(そんなに)いません。
上記のリストも、必ずしも悪いことが書いてあるわけでもありません。

だとしても、にもかかわらず、これらの人々から少しずつ影響を受けた結果、私は10代まで、目標というものを全く持てない人間に育ってしまっていました。
目標を持つと怒られるという認識すら持っていたのです。

そのことを「結局は自分の意思のせいじゃん」って言うのは簡単だし、それ自体は確かにその通りなんだけど、これらの影響を私が実際に受けたのは5才10才のときなわけですよ。
自分の意思をちゃんと持った大人として振る舞うことが5才の時点でできたかというと、絶対に無理でした。

さすがにそのレベルを求めないで。
自慢じゃないけど当時のワシ、めっちゃすぐ泣くからね?
(ホントに自慢にならん、、、)

〇 この教訓を業務の目標管理に置き換える

さて、ちょっと話が大きくなりすぎる前に、話題を日常的な努力の件に戻しましょう。
上記で記載した一覧から、試しにビジネスフレームワークを作ってみましょう。

まず、ある社員が、何の外的要因もなく自ら進んで目標の自己管理をするような社会人に自然に育つためには、本人が以下のような順序で思考する必要があることになります。

1. 常日頃より良い評価をくれる人が周りにいることに気づく
2. 「褒めてもらえるのなら、何かやってみたい」という思考に行きつく
3. その目標が十分な大きさかどうかは、周囲の人々からの評価で決まることに気づく
4. それゆえに、良い評価を得たいと自ら願う
5. より良い評価をえるためには、成果の内容が分かりやすくなければならないことを知る
6. 得意なことで評価を得ていくことこそが、自分の生きる道だと気づく
7. 適切な評価の大きさを具体的にイメージしようとする
8. 得たい評価の内容から、行動方針を逆算して作ろうとする
9. 具体的な行動をとる

意外とステップが多いですよね?
これ、一足飛びに「やりたい! ⇒ やる!」ってワケにはいかんのでしょうか?

そう、もちろんステップ数自体は人によるんですが、一般に自分にこそ努力が必要なのだと、1人で勝手に悟るケースは、誰かに教えてもらう場合に比べて長大なものになりがちです。

ですので、仮にあなたがこの社員の面倒を見る上司または先輩だったとすると、大事なのはこの人物の思考を邪魔しないことです。
もし一切なんの邪魔が完全に入らなければ、この人物は何もしなくても自然に大きな目標をかなえて立派な人物になるでしょう。
だって、この人物が心を病んでさえいなければ、良い評価を得たいと思っていないわけがないですからね。

ですが現実には、上記各手順の全てに何らかの妨害があるものであり、この人はその全てを自力で乗り越えていかなければいけません。
また、ここでいう邪魔をしないとは、必ずしも本人に何のアプローチもしないことを意味するわけでもありません。
必要なアプローチをしない(褒めるべきタイミングで褒めない等)ことが邪魔をしたことになるケースもあるので、だから子育てにおいて親のアプローチはとても大切なのです。

他にも、
・評価してもらいたがってる人に「他人の目など気にするな」「他人に縛られるな」と言ってしまう
・より良い練習プログラムが欲しい人に「型にハマるな」と言ってしまう
なんてケースもありますね。

まぁ、みんながみんな私と同じではないですし、今日の話は多少個人的な妬みつらみ・被害妄想も入ってるとは思うんですが、でももっかい言っとくとこれ5才10才のときの話ですからね?
ポイントは、私は夢を持つことに対する妨害を1人の人物から受けたわけではなくそれぞれ別人からちょっとずつ受けた点と、加えてみんな1人1人は正しいことを言っていた点です。
つまり、これらの妨害が全部正論だったからこそ、私は小さい頃はつまづきがちな子供だったわけです。

ゆえに、これらの話が仮に部下や後輩の実際の状況だったと仮定すると、上司・先輩がこんな人だったら、その人の人生はうまくいっていたことになります。

1. 常日頃から褒め言葉をよく口にする
2. どんなにワケが分からなくても、その人の行動を否定はしない
3. 悪いことにはすかさず注意する(=常に人の目があることを指導する)
4. 日々の小さな目標達成に、日々の小さなヨイショを欠かさない
5. つまづきは小さいうちにアドバイスを送る
6. 時には自ら協力を申し出る
7. 小さくて無難な夢をバカにしない
8. 指導が具体的
9. 必ずしもお金で解決するばかりではないことを指導する

もっとも、こんだけ完璧にできたら、その先輩がむしろ完璧超人ですけどね。。。
でもだからって完璧にできないから何もしないとかありえないわけで、できるところからコツコツとやるのが大事です。

また、これを読んでいるあなたが部下の立場で、目標管理のやり方がイマイチよく分からないのだとすると、そういう人に大事なのは自分に降りかかってくる妨害のうち何を拒絶すればいいのかを明確に意識することです。

親が毒親だったり上司がパワハラ野郎だったりしたとしても、それらの人々の存在自体を否定してもあなたの目標は達成できません。
それは無意味です。

あなたが目標を達成していくためには、拒絶を適切なタイミングで適切にやることがポイントです。
たとえば、あなたが「配管工」になりたいという夢があったとすると、心無い大人はそれが小さすぎて愚かな夢だと馬鹿にするでしょう。
だって、配管工って聞くからに地味な仕事ですからね。

会社の日常業務であれば、「本当にそれでいいの? 絶対?」とか「いや、うちとしてはもっとこうしてほしいんだよね」とか言われるわけです。
そういうタイミングのときは、それらの意見をきちんと拒絶して、気にせず目標を設定します。

世の中には分相応で無難な目標を馬鹿にする人とかいますけど、当たり前だけど「目標は分相応なのが一番」なんです。
具体的にいえば、人間の分相応は「今の実力 × 1.2」くらいの目標値です。
これくらいの目標値を日々叶えていくことで、「× 1.2 × 1.2 × 1.2 × 1.2 × 1.2 ....」で、やがてデカい夢が叶うのです。
別に誰もが「分相応 × 百億万兆円」とか大きな夢とか見なくていいし、そういう夢は それくらいが俺の分相応だ と思う人だけ見ればいい。

ですので、目標設定フェーズでは、他人からの意見は全て拒絶すべきです。

ですが、目標を設定し終わって、次に具体的にどのような評価を得るべきかを考えるフェーズでは、他人の意見を全て拒絶していたら話が進みません。
ですから、自分が人からどう見られているかを日々の会話から推察します。
このタイミングにおいては、否定的な意見を完全に拒絶するのではなく、分析対象となる客観データとして用いることが重要です。
ありとあらゆる意見をあらゆるフェーズで拒絶しても意味がないし、それは支配からの卒業とかしたつもりになってるだけだからね。

それと、否定的な意見をよく言う人が近くにいる場合、そういう人に個人的におすすめなのは、マネーフローに関する調査を先にやることです。
マネーフロー調査ってのは、要するにその目標でどうやって「マネタイズ(金儲け)」していくのか、一般にはどうやってやるのが普通で、対して自分の場合はどうするつもりなのか、あるいはマネタイズ手段は全く別の物を用意するのか。
こういったことを、将来に備えるとでも思って、あらかじめ先に勉強しておくのは結構オススメです。
人の目標を深く考えず否定する人は、堅実で現実的なマネーフローを考えられる人を嫌う習性があるからです。

そういった他人の意見を拒絶したり受け入れたりを、適切なタイミングで行っていくことが、達成したい何かがあるから我慢するという行為を上手にやっていくポイントです。

〇 次回予告

さて、自己啓発ネタが2回続いたので、ブログの雰囲気がおかしくなる前に軌道修正しましょう。
次回はちゃんとプログラミングの話です。

前々回が「ていねいとは何か」そして今回が「努力とは何か」だったので、この2つのスキルを使ってできることの話をします。
タイトルは「動作確認未完了のまま次のメソッドを作るな」です。

具体的に何をすれば、プログラミングをていねいにやったことになるのか。
人から褒めてもらえなくても自分で判断できるようになるために、その知識を吸収しましょう、ってわけです。

といっても、多分だけど次回の話題は当たり前すぎて当たり前と感じる人と、無茶を言ってるように聞こえる人と、真っ二つに分かれるんじゃないかなと思うんですよね。
なぜならコードは1つ書くごとに都度テストしろという内容だからです。

単に説明を聞くだけだと大回りで面倒くさいことのように聞こえますでしょ?
でもこれやると、実はメチャクチャ楽になるし、開発スピードもむしろアップするんですよ。
ホントよ。

次回はその証明を試みます。
お楽しみに!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?