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「頭を使う」ことへの苦手意識を克服する方法

“頭を使う” って、大変ですよね。
得意なことならまだしも、慣れない分野に頭を使うのって大変。
ときには思考がストップして、何も考えられなくなることもあります。

ですが世の中には、どんな問題にも果敢に立ち向かっていく人もいます。
そういう人達と、思考停止してしまう我々。

同じ人間のはずなのに、何が違うのでしょう?
《地頭》 なる謎スキルを持って生まれたかどうかの違い?

――いつもお読みいただきありがとうございます。
または初めての方も、この記事を見つけてくださりありがとうございます。

私は、身の凍るような冷たい雨の降る世知辛い巷にて、エンジニアなどという気苦労の多い仕事をしております中島と申します。
この 絶対バグらないシステム作ろうぜの会 では、バグの出ないシステム・問題を起こさないチーム運営のやり方などを、なるだけ面白く・分かりやすくお伝えする主旨で記事を配信しております。


1. “頭を使う”のが苦手な人が勘違いしてること

ケース1. 「早く答えなければ」と思い込んでいる

クイズにしろ実生活上の問題解決にしろ、人間というのは何らかの出題に対して「なるだけ素早く答えたい」という気持ちを持つものです。
なぜなら答えるのが遅いと、周囲から「内容をそもそも理解していないのでは?」と疑われる可能性がありますからね。

とりわけせっかちな人の中には、「考え込んでいるように見える人は、だいたい何も考えていない」という身勝手な考えを持つ人もいます。
そういう人は会話相手がじっくり考え込むことを嫌うため、答えを焦らせる傾向があります。
近親者にそういう人がいると、人は「素早く答えるに越したことはない」と考えるようになります。

またビジネス書などにも、『咄嗟に考えたアイデアと、じっくり考え抜いて出したアイデアとではクオリティに差がないという統計がある』なんてことが書かれていることがあります。
この文面に過剰適応した人は、「常にいつだって素早く答えるのはいいことなんだ」と覚えてしまうこともあるでしょう。

ですが言うまでもなく、実際の社会では必ずしも素早く答えることが正しいとは限りません。
素早く答えなければいけないのは、そうすることでアドバンテージが得られるときだけです。

また早く答えるのがいいとは思ってなくても、「深く考え込んでいると疲れてくる」と感じる人も、答えを焦る傾向があるかもしれません。

どちらにしろ、世の中は早く答える方がよい “場合だってある” だけで、常にいつでも素早く思考すればいいわけではありません。

ケース2. 「カンニングは悪いこと」という考えに過剰適応している

学生時代のテストでは、当然ながらカンニングは悪いことです。
でもこれは、“そういうルールだから” という理由に過ぎません。

学校のテストのカンニング禁止ルールは、『自身の記憶と経験以外、一切なににも頼らないことを正しいとする』という理念に基づくものです。
ですから、この理念が成り立つ状況では、社会のどんな場面でもカンニングは悪いことです。

仮にこの考え方を 《経験至上主義》 とでも呼ぶことにしますが、この理念は “常にいつでも必ず100%絶対に” 正しいでしょうか。
そんなはずはないですよね。

経験至上主義は『己以外、全部敵』といった孤立無援の状況では効率的に働きますが、実際の社会ではそんな極端な状況がそうあるわけがありません。
むしろ協力者をうまく探す能力が求められることの方が多いです。
つまり実際の社会では、カンニングさせてくれる協力者を探す能力の方が、カンニングしないことよりも重視されるケースが多いのです。

今あなたは、仕事・プライベートを問わず、また重要か下らないかも問わず、様々な問題を抱えて生きているはずです。
『仕事が巧くいかない、損失が出そう』といった重要なものから、『プライベートルームの家具の配置が納得いかない』といった小さなものまで、いろいろあるでしょう。
そしてそれらの問題は、他者の協力を得た方が解決が早いものが大部分なのではないでしょうか。

つまり通常多くの状況では、カンニングを『悪いことかどうか』という軸で考えるのが、そもそも間違いなんです。
それ以外の場合は、カンニングをすべきかどうかは『自力のみで成し遂げたい気持ちがあるかどうか』で決めるものです。

経験至上主義を当てはめるべき場面でもないのに、いつでもどこでも常にカンニングを自分に禁止し続けていたら、そりゃあ生きづらくもなるってものでしょう。

2. 頭を使うことに苦手意識があると解けない問題

では、「頭を使う」ことの苦手意識を消していくために、1つテストをしてみようと思います。
ニューヨーク=ル・アーブル問題というテストです。

有名なテストなので検索すれば答えは出るかもしれませんが、ここは1つ、経験至上主義的に(ヒントを見ずに)考えてみてください。

ある運送会社は、アメリカのニューヨークとフランスのル・アーブルに1つずつ港を持っている。
船は、各港から正確に正午に1日1便出港し、きっかり7日間で向かいの港に到着する。

さて、今日ル・アーブルを出発した船は、航行中(寄港時は含まない)にニューヨーク発の船と何回すれ違うだろうか。



モノの本によると、この問題は『7回』と答える人が多いのだそうです。

ただし、間違えた人にぜひ気を付けていただきたいのですが、この問題は『理屈が分かれば簡単なのに、多くの人が間違う例』だということ。
つまり意図的に間違わせることを目的とした問題なんです。

ちなみに、この問題の正解は13回。

まず、あなたがル・アーブルから出港した時点で、海上にはすでに6日分の船が存在しています。
なおかつ、船は互いが双方向に同じ速度で進んでいるため、すれ違いは1日1回ではなく、半日に1回のペースで起こります。
ですから『1日2回 × 7日分』、
なおかつ、寄港の瞬間にすれ違う1回を引くと『13』となります。

ですがこの問題は、まず設問文内に船の速度に対する言及がありません。
『7日間』という数値はあくまで1回の運用期間であって速度ではないため、「設問文中の条件を満たすためには、全ての船が同一の速度で運行している必要がある」点にまず気づく必要があります。
ここでまず頭の集中力が少し奪われます。

そこへきてもう1つ、物語が「ある運送会社は、」と突然始まっているために、会社が今日まさに新装オープンしたかのように錯覚する点にも注意が必要です。
これゆえに、『海上に全く船がない状態から計算開始』であるかのように感じるんです。

ですがよく読めば、『すでに営業開始して久しい運送会社』の話をしていることが分かります。
なぜなら、船の出発時刻と到着時刻は綿密に管理されており、なおかつ安定して運用できていることが前提となっているためです。
この前提を満たすためには、『6日分の船が海上に浮いている状態から計算開始』でなければ、辻褄が合いません。

3. 頭を使うのが得意な人が最初にやっていること

若い頃の私なんかもそうでしたが、頭を使うのが不得意な人はクイズというものに基本的に素直な答えを出す傾向があります。
なぜなら、問題を出された瞬間に『クイズに早く答える』ことが目的化してしまうためです。

そのような人が多い社会傾向を反映してか、昨今のテレビのクイズ番組は “知っているかどうかを問う問題” が圧倒的多数で、頭をひねる系統の問題がほとんど出ません。

ですが、ここで1つ立ち止まって考える必要があるのは、『そもそもクイズとは?』の定義を紐解くこと。
クイズは、誰でも簡単に答えられてはクイズとして成立しません

つまりクイズとは、もともと “素直な人に間違えさせることが目的のもの” なんです。
意地悪クイズは意地悪な人だけが出すものではなく、そもそも何の意地悪も罠もない問題はクイズにならないわけ。

なおかつ、クイズがもともとそういう存在であることを、これを読んでいる大部分の人はあらかじめ分かっていたはずです。
問題文を見ても罠の内容に気づくことはできなくても、“罠が隠されている可能性を考える” ことはできます。

それなのに素直な発想の仕方をしていたら、それは地雷原であることが予め分かっている道をまっすぐ歩くのと同じです。
そんなことしたら罠にハマって当たり前でしょう。

これはクイズだけでなく、一般的な社会問題や、あなたの会社の業務上の問題を紐解くときも同じです。
素直に考えれば正しい答えが出るのなら、物事はトラブルに発展したりしません。
社会問題や業務の問題は、“罠” の部分を発見するのが難しいから問題化するんです。

ですので頭を使うのが得意な人が最初にやるのは、罠があることを前提として、「この問題のどこに、どんな罠があるだろうか」を考えることです。
頭を使うのが苦手な人は、シンプルに考えたいがために「本当に罠なんかあるの?」というところから考え始める傾向があり、これは明確に時間の無駄です。

4. 業務における罠の例

ケース1. 言うとおりにしてるのに納得してもらえない

たとえばあなたが、とあるテナントビルに勤めていたとして。
3階建てで、1階にはエレベーターホールがあるだけの、昭和気質で小さな雑居ビルです。
そんな場所で、ここ最近『エレベーターホールがうるさいです。静かにしてください』の張り紙を見かけるようになったとします。
しかも張り紙の主は相当トサカにきているようで、2日置きに少しずつ文面が乱暴な言い方になっていく、と想像してみてください。

これを読んだ多くの人は、エレベーターホールを静かに通り過ぎるよう、心がけることでしょう。
そして考えるのが苦手な人は、こう考えるのです。
「すでに静かにしているのだから、自分には関係ない」と。

ですがここで考えないといけないのは、そもそも雑居ビルのエレベーターホールというのは、もともと騒ぐような場所ではないということ。
なおかつ、1階は小さなホールしかない――つまり、『張り紙の主がホールを常時監視するような予知はない』のです。

にも関わらず、張り紙の主(おそらくビルオーナー)は常に騒音に悩まされていて、相変わらずクレームは続いている。
そうなると、「この文章に罠があるのではないか」と考える必要性が出てきます。

たとえばですが、『エレベーターホールが~』というその記述が、本人の勘違いである可能性があります。
安普請のマンションなどでは、上階・下階の騒音源を上下間違えることも多いからです。

張り紙の主がエレベーターホールの音だと勘違いしているその音は、実は上下が逆で、『3階のコミュニケーションルーム』の音なのかもしれません。
そうなると、張り紙には『エレベーターホール』とはっきり書かれているため、3階で騒いでいる人達はとりたてて注意を払わないことになります。

そして、あなたがその騒いでる1人だとしたら、それでもあなたは「エレベーターホールだと書いてあるのだから自分には関係ない」といえるでしょうか。

ケース2. 無関係な物事を安易に結びつける

『統計上、犯罪者の98%はパンを食べている』という有名な笑い話があります。

ある統計学者が、犯罪者が普段食べている食事の傾向を調査した。
すると犯罪者の大部分が、日常的にパンを食べていることが分かった。
「そうか! パンを食べると犯罪率が高くなるんだ!」

まぁ、これ自体は最初から笑い話として作られたものですが。。。
ですがこの話は、人間はこういう低レベルな勘違いを日常的にしているという主旨のものです。

スタンフォード大学の心理学者ウォルター・ミッシェルが行った有名な心理学実験で、マシュマロ実験というものがあります。

子供達をたくさん集め、全員に1つずつマシュマロを配った。
「これを食べることを15分間ガマンできたら、もう1つ追加でマシュマロをあげよう」
15分後、子供達の中には、ガマンできた子とできなかった子がいた。
その後の成長傾向を調べると、誘惑に勝った子達は学力も優秀で、肉体的にも健康に育つ傾向があった。

で、これを根拠にミッシェルは、「ガマンする力が健全な肉体を育てる」と主張しました。
昭和時代には、日本国内でもこの実験がけっこう正しいものとして扱われてた。。。。んじゃなかったかな。そんな記憶があります。

ですがこの実験には、実は続きがあるんです。
タイラー・ワッツらのチームが、最近になってこの実験をやり直してるんですよね。
その結果、めちゃくちゃシンプルな結論を導き出しています。

ガマンできなかった子は、『貧しく』『大人が嘘をつく』環境で育った傾向があった。

まぁ、そんな環境で育ったら、常識で考えてマシュマロをガマンできるわけないわな、って話。
素直にガマンしていたら、最終的に大人にマシュマロを取られた。
そんな経験を多くしている子達です。

つまり、ガマンする力・学力・肉体的健康といったものは、健全な育成環境で育つことによって同じように同時並行で伸びる能力なだけ。
最初にガマンする力あったうえで、その力が学力・健康を伸ばしているわけではなかった、ってことです。

日本の企業でも、とりわけ昭和気質な考え方の人は、今でも
「ガマンが先」⇒「結果は後ろについてくる」
と安易に結びつける人は多いです。

じゃなくてこの話は、『健全な環境で適切な営業活動を行うことで、社員のガマン力・営業力は必然的に、かつ同時に伸びてくる』と言い換えることができます。

なんでもガマンしてりゃ巧くいくわけじゃないのです。

ケース3. 邪魔だというから消したのに、それが苦情となった

ある開発チームには、サポートチームから「邪魔な機能があるとの苦情があった」という話がよく寄せられていた。
その苦情がそこそこ多いため、開発チームは削除すべきと判断した。
ところが、削除処置に対してそれ以上の数の苦情が殺到した。

こんなことがあると、考えるのが苦手な人は「言う通りにやっただけなのに!」と途方に暮れるかもしれません。
この話の罠は、「邪魔だ」というそのクレームが、『サポートチーム経由で寄せられたものだった』点です。

通常多くのサポートチームは、開発チームとワンツー体制で密着しているわけではなく、それぞれ別々に運用されていることも多いです。
そのような体制だと、サポートチームは “自分達で対応可能なサポートは自分達だけで完結させる” という考え方になります。
で、それができない場合だけ、開発チームに連絡を取る流れになります。
当然ですよね。

それゆえに、開発チームまで届く顧客の声が、“クレーマー気質で面倒くさいユーザーからのもの” だけに偏重してしまうことになるんです。

コンピューターシステムの機能の中には、一見すると面倒だけど、でもやっぱり必要な機能というのがあります。
本来であれば、そのような機能が必要なくなるようにデザインするのが正しいのですが、でも人間は完璧な生き物ではないので、どうしてもそういうケースは生じてしまいます。

そのような状況では、「邪魔だから邪魔だと言って何が悪い」と考えるような安直な人達の意見を取り入れると、それ以外の多くの人達の声を無視してしまうことになります。

5. 罠を避けるには

ここに挙げたような、日常業務で日々発生しうる “罠” を避けるにはどうしたらいいでしょうか。
失敗したらそれを糧に頑張る?
まぁ、それも重要です。

でも、人生におけるあらゆる “罠” 全てに引っかかっては失敗し、引っかかっては失敗し、その方法論だけで生きていたらどうなるでしょうか。
“罠” の中には、人死にを出してしまうような重大なものだってあるわけですから、いつかきっと大惨事になってしまいます。

ですので罠を避けるうえで重要となるのは、
『大きなトラブルは、“小さなトラブルの芽を見過ごす” ことで起こる』
という社会の一般原則を大事にすることです。

もしかすると、今までずっと「不幸は突然訪れるもの」と思ってきた人達にはすぐには信じられないかもしれません。
でも世の中は、大きなトラブルが突然降ってくることはないんです。
絶対にです。

あなたがもし大きなトラブルに見舞われたのなら、その原因は常に必ず絶対に『小さなトラブルの芽を見過ごしたから』です。

ある日突然、平和な世界に魔王が降って湧いたりなんてしません。
安全運転を大事にする善良なドライバーが、ある日突然なんの前触れもなく大事故は起こしません。
温和で優しい奥さんが、理由もなく急に三行半を出したり絶対しません。

魔王の降臨を許したのは、封印が解けたことに気づかなかったか、偵察隊の襲来を見過ごしたからです。
ドライバーが大事故を起こしたのは、ただ善良なだけで注意力の足りない人だったからです。
奥さんが急に離婚届を突きつけてきたのは、普段から不満が溜まっていたからです。

ですので大きなトラブルは、芽を小さいうちに摘むことで避けられます。
また大きなトラブルよりは、小さなトラブルの方が予測も対応も容易です。

そして現時点で回避不可能なトラブルは、「これを解決するために、今の自分達に足りない情報は何か?」と考えることで、防ぐ確率を多少なりとも上げることができます。

ですから世間にはびこる罠を効率的に発見するには、大きなトラブルをドンと身構えて待つよりも、小さなトラブルの解決法を日々考え続けることの方が効率的なんじゃないかなと、私なんかは思うわけです。

ではまた。

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