好きなことを好きと認められるようになった“社会人1年目”の私へ
「実は、書く仕事をしたいの」
「へえ、そっかー」
正直うろ覚えで、そんなような会話だったと思う。いつものように、深夜にLINEで長電話をしていた。今の会社を辞めたいとかなんとか愚痴まじりの話をした時に、軽い感じで言われたような気がする。相手は”自分の好きなことを仕事にしていく”ことを疑わないタイプというか、現在進行形で目指しているような人だったから、自然に相槌を打っただけだと思う。それでも、「あ、肯定された・・・」と思ったのを覚えてる。
ただただ、嬉しかった。
最初にはっきりと「作家になりたい」と思ったのは、小学校5年生の夏休みだったと思う。10巻くらいある本の最終巻を、ベッドの上で読み終えたのは深夜の2時とかで。その翌朝には母親に「私、作家になりたい!」とかなんとか話をしていたと思う。その時は、「まあ、厳しい世界だからね」とお茶を濁されたような気がする。少なくとも、私は自分でそこから先に進まないという選択をした。
高校生になって進路を考える頃には、”大学の文学部に進学する”という選択肢を意識している自分がいた。それでも文学部のある最寄りの国公立を受けるには、理数系の偏差値が壊滅的に足りなかった。そこで私は最寄りの私立大学で、”一番偏差値の高い大学”を目指すことにした。周りの友人のおかげもあって、ひたすらに受験勉強に没頭した。その結果、”希望の偏差値の大学”に合格した。
目的意識を持って大学に入学してきていた同級生と比べて、なんとなく大学選びをした私は自分の薄っぺらさに内心いつも焦っていた。それでもすぐに行動に移したりはせずに、キャンパスの芝生に寝っ転がっていたり、屋上でずっと喋ったりしながら授業に出たり休んだりしていた。朝方までカラオケをしたり、カフェに行ってのんびりしてみたり。目の前の向き合うべきことから目をそらしていたから、楽しい時間がすぎていった。
当時は大学3年生の秋頃にはキャンパス内で就職説明会が開催されていて、早い人はもうスーツを来てシューカツを始めていた。私はようやく目を背けてきていたことと向き合うフリをし、急にまた焦り始めて闇雲に会社説明会に参加した。自己分析をしないまま、自分の本当にやりたいことと向き合うこともしなかった。はっきり言って、怖かった。
「チャレンジしてみて、ダメだったら・・・」
そんな私は、内定をもらった会社に就職するという選択をした。
一度転職をして、30歳になった私はいまだに「書くことで生きてみたい」と漠然と思っている。思うだけで、これまでずっと文章も書かずに目の前の仕事に夢中になっているフリをしていたのかもしれない。数年前にようやく一歩踏み出して、それなのにチャンスから逃げてしまった過去さえある。そんな自分にいい加減嫌気が差して来た頃の、冒頭の長電話だった。
「実は、書く仕事をしたいの」
「へえ、そっかー」
本当は、
小学校の頃に読書感想文を褒められたことが嬉しかった。
本当は、
高校の頃に研修記を褒められたことが嬉しかった。
社会人1年目というのは、やりたいことに向かって歩き出した人が多いのかもしれない。もちろん、そうじゃない人だってたくさんいると思う。
10年近くの時間がかかってしまったけれど、自分が好きなことをようやく認めることができた。そんな今が、私にとってはようやく”社会人1年目”なのかもしれない。
真新しいスーツを来ている人たちが増えた4月のある晴れた日に、ふと心からそう思えた。
そのくらいの気持ちで、進んでいきたい。
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