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ずっと、「誰かの期待にこたえ続けること」が大事だと思ってた

つい最近、実感として分かったことがある。”新しい生活様式”になってから、自分だけの時間も増えて改めていろんなことを考えるようになった。そんな試行錯誤していく日々の中で、ようやく学んだことがある。それは、「自分の人生は、自分で考えて選択して切り開いていく必要がある」ってこと。めちゃくちゃ当たり前でシンプルなことなんだけど、私はそれを蔑ろにしていた。

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前提としてなんだけれど、私は学生時代いわゆる真面目な優等生タイプで社会に出てから改めて挫折した。それは自分の人生の舵取りを、じぶんでしてこなかったからだと思う。選択のたびに自分の頭で考えて、自分の意志で行動をすることを続けてきていたらこうはならなかっただろう。その場の空気に流されたり、誰かに合わせたつもりになってみたり。誰かの期待に応え続けている(つもりの)自分に、満足さえしていたかもしれない。昨今話題になりがちな、社会人感覚と学生感覚の話を思いおこせばすぐに分かる。その思考回路が、間違ってたって。

学校だと先生の言うことをちゃんときいて、決まりを守れてって人が優等生になる。社会にでると自分で考えて、自分で道を切り開いていける力が鍵を握るし重要視される。”優秀であること”の価値観が変化する。ここの違いってめちゃくちゃ大切で、ここに気がつけるかどうかが分かれ目になってくる。

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いわゆるガチガチの優等生タイプだった小学生の頃は、その方がスムーズに物事が進むのになぜそう振る舞っておかないのだろうとさえ思っていた。先生と生徒がほとんどの環境で、生きやすくするにはまず先生と良好な関係を築いていた方がイイよねといった打算もあったかもしれない。環境に疑問を感じても、打開策を考えることをサボっていたのかもしれない。この頃からの思考のサボり癖は、今思うと本当にもったいない。

そう考えるようになっていったのは、私の家庭環境の捉え方にも問題があったかもしれない。優秀な兄弟がいて、私は兄弟と自分を比べてずっと焦っていた。中学校・高校と学年が上がるにつれて、その劣等感は大きくなっていった。実際に家族へ八つ当たりをしてしまっていた。中学校のとある企画でもらった親からの手紙にも近い内容が書いてあったけれど、誰も兄弟で比較しようとかそんなことは思っていない。それぞれがそれぞれらしく、生きていたらそれで充分だった。

当時の私はその手紙を読んで、「絶対にこれは”家庭内お世辞or社交辞令"のようなものだ」「できない私のことを、慰めているに違いない」と意固地になっていた。もしくは、兄弟よりももっと抜きんでたい。優れていたいという傲慢な気持ちでぐちゃぐちゃになっていた。焦りや嫉妬、劣等感。

そんな頃から、クラスの中でのテストの順位もだんだんと下がっていった。本当は行きたい高校もあった。制服も可愛くて、興味のある学科もあった憧れの学校があったけれど、偏差値が足りずに志望校を変更した。中学3年生の三者面談の後だった。当時の担任の先生に、「ここは難しいでしょう」と言われ、「はいそうですね」とすんなり変更した。中卒や、高校浪人になることへの漠然とした大きな大きな不安もあった。

高校生になってからは、さらに私の兄弟への嫉妬心や焦燥感、劣等感が強くなっていった。兄弟の合格先は、県内ナンバーワンの進学校だった。私とはもう次元が違う。その時に自分との圧倒的な差に愕然としたと。今思えば、一体全体私は何を比べていたんだろうと笑ってしまう。私はわたし、相手はあいて。去年くらいから少しずつそのことを受け入れられるようになっていて、随分と楽になった。それでも当時は、すごく悔しかった。同じ家庭で一緒に育ててもらっていても、こうもデキが違うのかと。こうなっては、自分がみじめでしかたがない。それであれば”ちゃんとした(偏差値の)大学”に合格しなくては。合格できなかった日には、家庭内に居場所がなくなってしまうと心底焦っていった。私も兄弟と同じように何らかの”ナンバーワン”の大学に合格する。その一心で受験勉強に取り組むようになっていった。

そんな理由から受験勉強に取り組んでいたので、当時はストレスを感じていた。写真を見返してみても、大学受験前後は、体格がひとまわり違ったと思う。振り返れば高校3年生の受験シーズンには、1日10時間以上勉強してた頃もあった。どこへ出かけるにも、単語帳や参考書を持って行っていた。常に受験の不安がつきまとっていた。その時にはまた、家族に八つ当たりばかりしていた。「すべる」とか「落ちる」とかいったワードに異常に敏感になったり、お菓子メーカーが出している合格祈願の限定品をねだったりもした。

本当は偏差値なんて、気にするべき点ではなかった。受験勉強の中で、目標達成までのプロセスの経験や反骨精神のようなものが芽生えたことは財産だったと思う。ただ肝心なのは、自分の心の奥の声に耳を傾けることだった。たとえば進学先を選ぶにしても、そこで何を学び将来どうなりたいのか。そのための学校はどこなのか。そんな当たり前なことを私は丸っとすっ飛ばしていた。へんなミエや世間体のようなものや、間違って感じ取った周囲の期待に惑わされてしまっていた。

大切なのは私がどうしたいのか。そのためにまっすぐ歩けていたら、誰も私のことを止めなかっただろう。いや、止めたかもしれない。ただ反対されたとしても、私はそれをおしのけるくらいのパワーを発揮する必要があった。それくらいのタイミングだった。なぜなら進学とは、人生における大切な選択のうちのひとつだったから。進学するか就職するかの価値観などがどうとかいう話ではなく、人生の節目の選択を世間体のようなものでしのいでしまったことがもったいなさすぎた。

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先日実家の自分の部屋を整理することがあって、当時通っていた塾仲間からもらっていた手紙を見つけた。そこには、受験生の不安定な私の様子を気遣う言葉が綴られていた。ピンチな時にこそ、人間の本性がでる。私はなんて情けないんだろうと、恥ずかしくなった。

受験生の頃の私はいちばん大切な、”受験する大学の学部”のことを深く掘り下げて考えようとしていなかった。4年間もの時間と高額な学費を費やすのに。今思えば、偏差値だけで学校を絞っていっていた。友人の中には、「一人暮らしすること」を目的に、実家の予算と大学の制度などを調べて全国の学校の中から自分に合った進学先を選んでいた子もいた。一人暮らしを希望する場合は、自分でバイトをする必要があった。大学生活をバイトづくしにする根性もなかった私は、そもそも国公立では偏差値が足りず”理想とする偏差値”の学校の受験は難しかった。実家から通える私立大学ということで志望校を選んでいった。

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小学校からの友人に、オシャレが好きな子がいた。ずっと一貫していて、服装を楽しんでいた。都会のファッションビルの新春初売りセールの楽しさを教えてくれたのもその子だった。その子が高校受験の時に「やりたいことがあるから、それが学べる高校に行く」って言ってた時にもまた、次元が違うと思った。やりたいことを口に出せているし、そのために行動できてる。きっと不安な気持ちとかもあっただろうけど、中学生のうちから自分で考えて踏み出せていることがかっこよかった。そんな友人がいることが誇らしくもあり、なりたい仕事について意思表示をする勇気すらない自分自身が情けなくもあった。

小学生の頃の私は、学校の図書館の図書カードに一番はじめに名前を書くことが多かった。そのくらい新刊が出ると手に取っていたし、たくさんの本を読んできたと思う。母が読書家で、平日の夜や休日に本を楽しんでいる姿を見てきたこともあるかもしれない。ある日ベッドの上で読んでいた本が面白くて、気づいたら深夜の2時くらいだったことがある。読み終わったその時、なんだか胸がドキドキしていた。本ってすごい。面白い。何だろうこの気持ちの高まりは。エンターテイメントって、なんてワクワクするんだろう。こんな気持ちになるものが世の中にはあるんだ。私もそんなものを生み出してみたい。文章で誰がが、ワクワクするきっかけになれたら。

作家になりたいと思った。

その日のお昼ご飯の時くらいには、母親に「作家になりたい」と話していたと思う。「なれないよ」とかなんとか言われて、「だよね〜」とその話は終わったと思う。その通りだと心から納得したし、作家になれずみじめな末路らしきものをたどる自分の将来を想像して、想像が上手くできずに恐ろしくもなっていた。名だたる作家さんのことは知っていても、それ以外のことは想像できず、漠然とした不安があった。

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社会人になってから、たまに文章を書く仕事がしたかった気持ちを思いだす。どんな仕事にも面白みがあり、やりがいがある。そしてそれと同時に仕事なのでお金をもらっている反面、辛いことだってたくさんたくさんある。だからこそ、目の前の仕事からただ逃げたくなっている時期に、思い返しているだけなのかもしれない。憧れだったけど、諦めただけで終わっていることに対して後悔の気持ちがあるのかもしれない。もし挑戦しきっていて、大きく失敗していたらもう吹っ切れているのかもしれない。(恋愛も一緒なのかな?それはまた別の機会にですね。)

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受験校選びの話だけではなく、人生の選択において自分の意志を持って選び取ること。それを続けることは、めちゃくちゃ大切だ。たとえば超ロングセラーの『ずっとやりたかったことを、やりなさい』でも昨今十分に話題にもなっているけれど。30代を生きている今、本当にその通りだなと実感している。なんとなく「ずっとやりたかったことをやった方がイイんだろうな〜」と頭では分かっていても、実際にはなかなかやってみるまでには時間がかかったりする。ついついサボったりもしてしまう。これだけは言える。マジでそれは、ヤバい。マジで自分がやりたいことはやっておいた方がいい。

一度興味を持ったものって、そう簡単にはなくならないし嫌いにならない。だからこそ大人になってもずっとずっとワクワクしたり、楽しめたりする。その反面で、心のどこかに「あぁ、あの時あれやっとけばよかったな〜」って後悔する気持ちは残り続けている。それでも目の前の仕事や生活をしていたら日々はすぎていくし、たとえば今の仕事が充実したら「これでいいんだ」と自分の人生と折り合いをつけて暮らしていくことができる。それでもひょんな時に(たとえばそれは目の前の仕事や、人間関係などが上手くいかない時などに)また、必ずやりたかったことを思い出す時期がくる。

きっと、挑戦しない限りその気持ちはずっと続く。それでも30代になったからこそ実感として分かるけれど、20代とは違って物理的にもやりたいことを自分のためだけにチャレンジできない状況になってくることも多くなってくる。金銭的にも、時間的にも、体力的にも。このことって、学校卒業するくらいの時期かな。聞いて、知識として知ってはいた。頭では、分かっているつもりだった。だから「20代のうちになりたいこと、やっておいた方がいいよね〜」ってちゃんと思ってた。でもなんとなくなあなあになってて、気づいた時には30代だった。

マジで自分がやりたいことを、やっておいた方がいい。今あるその気持ちは、絶対に何年か後もなくならない。チャレンジしない限りは、ずっと残ってる。自分の好きなことをみつけたり、それに気が付けたり、憧れることができたり。それって他の誰のものでもない、自分自身の個性だから。自分だけの、オンリーワンの魅力だから。恥ずかしいとかできそうにないとか理由を探してその気持ちにフタをしちゃうと、マジでもったいない。ダサいとか、イケてないとかもう関係ない。自分がやりたいこと見つけて、それやり続けてる人ってめちゃくちゃかっこいい。マジで。

たとえば小学生の頃からファッションが好きな友人は、お母さんになった今ウェブショップで自分でつくったものを販売してる。カッコ良すぎる。好きなものや続けられるものがあるって、才能だ。センスだ。個性だ。

どんなかたちでもいい。だから、諦めないでチャレンジすることを自分の意志で選択したい。これは、立ち止まりそうになった時の自分自身へのメモ。

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