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伝えるということ

数十年前にイタリアに住んでいて料理の修行をしていた時期があります。

お金はもらえなく、タダ働きで食事と住むところは与えてもらえました。

現代の社会で、ビジネスの世界ではありえないのですがの当時の僕は全くイタリア語が話せなかったのです。ただ、英語は6年間学んだので(中学、高校)中学1年生の教科書3ページ目くらいまでのレベルはありました。

周りはみんな外人で、僕も彼らにすれば外人。イタリア人だけでなく、アメリカ、デンマーク、フランスあとモロッコから皆さん修行に来てました。とってもインターナショナルだけど共通語は当然イタリア語。

初日は、言葉がわからないので意思疎通なんて全くできないのだけれども、カフェを飲んだり、賄を食べたり、休憩したり、寝る部屋も分かったし、シャワーの使い方も分かりました。何言ってるか分からなかったけど必死に聞いていたような気がします。何とか1日過ごせたというより切り抜けました。今思うと不思議です。何言ってるか分かんないのに必死に人の話を聞きます?聞き返したいけど、その言葉も分からないし、何度説明されても単語知らないから理解できないですね。

初めての外国生活だし、仕事覚えたいから耳と口は役に立ってないから目で仕事を盗むしかなかったです。それと想像。何を言っているのかわからないけど毎日分かろうとしました。

やがて、僕がした仕事に喜んだり、怒ったりしていることは感じることができるようになりました。

出張料理

お店にお世話になって、数か月が過ぎ、何となく話している内容がちょっとだけわかってきたような気がしたときに、シェフから出張料理の任務をいただきました。当然僕一人でなく、もう一人イタリア人と一緒に2人で行くことことになりました。

一緒に行くイタリア人が「なんで日本人と行かなきゃいけないの?もっと他の人いるでしょ?」多分ですが、こんな話をシェフとしていました。しかしシェフは、「こいつは大丈夫。問題ない」と答えたように思えました。

僕がイタリア語が分からないと思い、僕のそばでこんな会話をしていました。内容は、あくまでも想像です。

不安を抱えたイタリア人とパーティー会場に出張料理を作りに行くのですが
無事に何事もなく終わり、会場にいたお客様も喜んでくれたようで、何か僕に言っていました。一緒に行ったイタリア人も僕のことを褒めてくれました。多分ですが、今でも疑いなくこのように想像しています。

若者何言ってるか分かんない

あれから、数十年。大人になってから、日本人同士話をしていても全く通じないことがよくあります。日本語で話してるのになんで?

立場上、任務を与え説明もします。何度言っても理解してもらえない。
だんだん声は大きくなり、語尾も荒くなります。どーして僕が言ったことと違う結果になったのか理由を聞いても何言ってるかわからない。

言っても、言っても伝わらないし、聞いても理解できない。

そんな時、イタリア修業時代を思い出しました。相手を理解するということは、「必死に話を聞かないといけない」ということです。

若者が何言ってるのか分かんないのは、僕が上から目線で聞いている間に答えを考えてしまい、話している人の言葉を全く聞いていませんでした。

僕が相手の話を聞かないから、言っていることを理解してもらえないし、こちらが何か説明しても、相手が話を聞いてくれない関係を作ってしまいました。

理解できないというより、理解しようと思わなかったんです。

大きな過ちです。若いときにはできていて大人になってからできなくなる。

素直に「何言いたいのかなぁ?」と一生懸命聞いてから、思いを伝えていこうと思います。





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