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新芽の季節。

2015/06/14

私は色んな事を、
深く考えているようで
考えていません。←断言w。
(マニアックなことはよく考えてるけど)

最近は特に、
何だか段々考えなくなってきた。

昔はもっと色々考えていたけれど、
いや、本当に色々考えていたけど笑。

結局、考えても、作戦を練っても、
うまく行く事はうまくいくし
行かないことはいかない。

考えなくても奇跡的に完璧な
シナリオを体験することもある。

まぁつまり、
”そういうふうにできている”って
ことなのかなと思って。

その代わり、季節というか、
サイクルみたいなものは
感じとるようになってきた。

冬と春では着るものも、
過ごし方も異なるように、
新しい季節の訪れを感じたら、
その季節を楽しむためにも
私自身も着替えた方がきっといい。

で、最近はちょっと、
なんだかぴょこっと
地上に出始めた気がしている。
今迄割と長いこと土の中でいたところから。

あ、まだ新芽だから踏まないでね笑。
ここからまたゆっくりと
それぞれの成長段階が待っているわけです。

新芽を伸ばし、幹を太くし、
枝を伸ばし、葉が茂り、花を咲かせ、
実を実らせ、その実が美味しくなるまで…
というやつです。

気の長い話だねぇ。。。

私の人生には世間で言う年齢という
時間軸はないのかしら??
まぁいいや。しょうがない。

大きな木になるには、
根っこがちゃんとしていないと
いけなかったわけです。

だからそこには
たっぷり時間をかけました。

太陽の光はずっと浴びていたけど、
こうして地上で浴びると
眩しさは全然違うものですね。

月の光も、星の輝きも、季節の風の感触も、
地中と地上ではやはり全く違うものです。

これから枝が伸びて、沢山の葉と共に
それらに触れるのは
それはまた全く違う感触なのでしょう。

葉が生い茂り、花を咲かせ、
香りを漂わせるようになると、
集まってくる人や生き物も
変わってくるのでしょう。

この地での自分の存在も、
自分の役割も、勿論変わってくるでしょう。

今は大地が大きくて、
私はただただ小さくて、
養分を頂いて、吸収して、
生かして貰っているばかりですが、

枝が伸びれば私の一部は鳥の寝床となり、
葉が生い茂れば私自身も景色となり、

そして私自身で誰かを雨や陽射しから
守れるかもしれない。

花が咲けば誰かがそれを摘んで、
愛しい人に心を捧げるために
使うかもしれない。

実がなれば子供達が嬉しそうに取りにきて、
甘い果実を頬張り、幸せなひと時を
過ごしてくれるかもしれない。

熟れすぎて地上に落ちた実は、
やがて土に還り、
新しい種からまた命のサイクルが
始まってゆくのかもしれない。

今はただ大きく見える全てのものも、
いずれ同じ背丈になって、
そしてやがては
小さく見えるようになるのかもしれない。

或いは、いつか枯れるかもしれないし、
どんな樹になるのかは
私自身もまだ知らない。

とりあえず今わかるのは、
地上に出たねってこと。

だから見える景色も感触も愛しさも
最近何だか変わったんだねってこと。

そういうのが本当にあるかどうかは
分からないけど、
動物的な直感で、
今までいたところとは違う時期に入ったな、

だから在り方もちょっと今までと
変わってくるのかなって
私は最近ぼんやり感じている。

ただ単に、最近は好きな事ができていて
日々が充実しているなって
ことだけではなくて。

新しい季節を迎えると、
新しく出逢っていくものも
きっと沢山あるのだろうけど

それらが素敵であればある程、
私はきっと、
土の中でいた頃に
養分となってくれた多くのものに、
それこそ改めて全てのものに
深く感謝するだろう。

そして今日もこうして素敵な人が
目の前にいてくれることを
抱きしめたくも思うだろう。

私はそのどちらもを
うんと丁寧に大事に想っていきたい。

そんなことを実感していたら、
あれこれ考えるスペースはなくなっちゃって、

でも毎日素敵だから別にいっかなって
段々思うようになってきたのです。

きっと人生は、
それくらいの適当さが丁度良い。

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