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如月。

2015/02/11

冬が終わる頃って、
もうすぐ春で嬉しいはずなのに少し切ない。

こういう生き方は
自由で楽しそうでいいねと
よく言われますが、
そして勿論私はその生き方を
選んで楽しんで生きているのですが、

でもいつも思うのは、
何にでもそれぞれ良い面と
そうじゃない面はあるよってこと。

1番思うのは、
出会いが多いということは、
別れも多いということです。
まぁ別れといっても、
そんな大袈裟なものではないけれど。

正直、自分の中で
別れという言葉の捉え方を
変えていかないと
進むのが中々難しい時もあるのです。

前に進む、つまり今までで言うと
仕事を変えたり土地を変えたり、
そういうことは
やっぱり簡単ではない(こんな私でも笑)。

でもだからと言って、
そこに居続ければ別れはないのか
と言われたらそうじゃないし、
変わることを恐れて進まないのも違う。

少しずつ望む在り方に
近づいていくとか、
レベルが上がれば
いるべき場所も変わるし、

周りも変わるし、
成長って結局そういうことだから、
何かが永遠にそのまま
ということはやっぱりない。

だから私はそういうことに関して、
もう少し広い視野を持って、
もう少し大きく考えていこう、
いや、いかなきゃなって、
ある時から思うようになった。
じゃないと正直怖くて全然進めない。

特に人との出逢いに
恵まれれば恵まれる程、

失うことを恐れて、
進んだり変わったりすることが怖くなる。

でも私にはまだ
もう少し先まで進まないといけないとこがある。
そしてどうすればいいのかわからなくなり、
私は身動きがとれなくなってしまう。

ずっと側に居てっていう一言は、
私だって言いたいけど、
そういうことを考えると
口にするにはなかなか勇気がいる。

だから私は、一瞬一瞬を
ちゃんと刻んでいくことだけを
考えていこうって思った。

10年後も20年後も側にいてくれる、
側にいてあげられているということは、
"10年の時間"なのではなく、
その一瞬一瞬が積み重なっていって、
その時間になっただけのことなのだ。

だから、
明日があるから
今日は愛さなくていい
なんてことは思わないし、

昨日愛したから
今日はもういいなんてこともない。

それからもっと言えば、
ここにいないから
"いない"ということだってないし、

だけどやっぱり、
この時間がずっと続けばいいのにな、
この人がこの先もずっと
側にいてくれたらいいのになと思うこともある。
そして、言葉や安心を求めてしまう時もある。

きっとそのどれもが、
ひたすら優しさや
人の大きさになるのかもしれない。
そして大きな愛というものに
なるのかもしれない。

でも私は別に聖人じゃないから、
その大きさは自分の手の届く範囲でいい。
それをちゃんと大切にしていきたい。

色んなことが楽しくて、
日々が動き始めると、
そこにはどうしても人の動きがあって、
私はふと、さみしくもなる。
やっぱりまだまだ、
へなちょこなんだよなぁ…