見出し画像

皮膚科でのお話し~最終回№3~

第1話

第2話

身体のことは未だいろいろと逸話があるのですが・・それはまた今度綴るとして、今回は「おばあちゃん先生の不思議な皮膚科」の最終回として綴りますね。

第2話の「爪が生え変わった」時から、1年くらいすると、今度は胸の処できものが出来てしまったのと、生まれたときからあった胸のアザがカサカサしてきてかぶれたようになってきてしまったので、再び皮膚科のおばあちゃん先生に診てもらうことにしました。

もうここまでくると、「大丈夫」とお分かりだと想うのですが・・
当然のように「大丈夫だよ!悪いものじゃないから、軟膏出しておくから・・ネ」と言われて、薬局に寄って帰ることにしました。

胸のアザは、生まれて半年くらいで色素を薄める治療をしているのです。母が女の子なので将来、結婚に差し障るといけないからという理由だったのですが、まさに昭和の偏見ですね。それこそアザの治療のために放射能を赤ちゃんに使うなんて今なら考えられないと想いますが、当時は真剣だったのですよね。

もちろん軟膏はすぐには効かなかったのですが、それから数日後、お風呂に入っている時にアザの中心部から「血」が薄っすらと出ているのを発見し、「え?」と想ったら、その血が固まって止まったのです。その後は日ごとに中心部のアザの色が薄くなってきたのでした。

「え?これって・・」と想いつつある日お風呂に入っていたら、亡くなった父が出てきて、「良かったな、これで安心だな」と言うではないですか・・

父がそれだけ言うとスッと消えて、今度は皮膚科の診察室に鎮座されていた「観音様」が出てきて「そういうことよ、良かったですね。もう大丈夫ですよ」と伝えてくれました。「そっかー、やっぱり・・」と安堵したわたしでした。微量であれども皮膚などに放射能は残っていた可能性もありますものね。

不思議なおばあちゃん先生の皮膚科に通っていたころは、実は、スピリチュアルを学び始めた頃で、当時ヨガスクールにも通っていて、色んな方と出会い、その繋がりで、多岐にわたっての色んな方とお逢いしたり、UFOを視たりと不思議な体験をしていた頃でもあります。

ヨガをしている関係もあり、身体についてもいろんな話を聴く機会があり、放射能、農薬、化学物質、日本の野菜事情、添加物・・についても衝撃を受けることもしばしばでした。そんなわたしも少しずつお水を変えたり、身体の浄化を促す飲み物を飲んだりするようになっていたので、身体が反応して、デドックスをしてくれたのだと私は想っています。

それからは、一度だけ、おばあちゃん先生の皮膚科に通院しました。顔の吹き出物が治らなったからなのですが、その時に胸のアザのことをお話ししたら・・「へぇーー、それはびっくりだったね、良かったね」とおばあちゃん先生はニッコリと言ってくださいました。(笑)

その時は、娘婿さんが病院を立て直して、綺麗な近代的な病院になっていたのですが、おばあちゃん先生は相変わらずのんびりとゆっくりとした口調で優しく診察してくれて、診察室には相変わらず観音様とガネーシャさんが半分以上場所を取って鎮座されていて、ホッとする空間でした。

ほんとうにおばあちゃん先生には癒されました。

もうそれから8年くらい、おばあちゃん先生の皮膚科には通っていませんが、今もガネーシャさんと観音様がふっとわたしの目の前に、微笑んで現れてくれるのです。

おばあちゃん先生のいる皮膚科に通ったことがキッカケで、わたしの中にある何かが目覚めました。それは父と母を看取った時の違和感と直感と繋がったのです。「自分の意識で病気が治る」

身体に関する逸話は、未だ、まだまだ書ききれないくらいありますが、
忘れそうなので、少しずつ書き留めていきたいと想います。
天国にいる父と母の反面教師としての体験も綴っていきたいと想います。

おばあちゃん先生のお陰で、両親の介護のトラウマも一掃されたようです。
そして・・
さらに、ここから身体の学びが始まったのです・・。

クルクルと3回右回りに杖を回して、エネルギーを切り替える。
わたしの思考と身体も切り替わってきたのでした。

「クルクルと3回右回りに杖を廻す」
実は今も時々やっています。(笑)
仙人様もわたしの意識の中では健在です。♡♡♡

感謝☆

「不思議なわたしの身体」シリーズはまだまだ続きます~
ランダムに綴っていきますね♡

♡許せない自分を許すと、許せない相手も許せるかも♡
私は、おばあちゃん先生の受診で、
自分で病気になってしまった両親を許せなかった・・
過去の自分を許せたのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?