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体験を共有する——ママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』感想シェア会

シニアが語る「性の物語」を通して多様な生が肯定される作品True Colors DIALOGUEママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』。上演では客席から性に関するエピソードが開示される場面もあり、舞台上の出演者5人だけでなく、観客のひとりひとりもまた、それぞれの性/生を生きていることが意識される作品になっていた。だからこそ、『私がこれまでに体験したセックスのすべて』の鑑賞体験は、鑑賞者のそれぞれがどのような「性の物語」を抱えているかによっても異なっていただろう。

様々な観客が「いやすい」客席を実現するためにはどうすればよいのか。今回の公演では、鑑賞サポートを利用して作品を鑑賞した当事者の方々にインタビューを行ない、また、TA-net定例会での感想シェア会などにも参加させていただくなど、今後よりよい鑑賞サポートを提供するために様々な意見をヒアリングする取り組みを公演後にも行なってきた。
今回はそんな取り組みのひとつとして実施したオンライン感想シェア会の様子をお届けする。会には異言語Lab.のメンバーでインタープリターであり研究者でもある和田夏実、ダンサー/パフォーマーとして活動しながらアートプロジェクトのマネジメントにも関わる南雲麻衣、大学院で異文化コミュニケーションや言語学習の研究に携わる藤本昌宏を招き、公演を制作したプリコグよりバリアフリーコミュニケーション事業部の黒木優花、兵藤茉衣が参加。それぞれの『私がこれまでに体験したセックスのすべて』はどのようなものだったのだろうか。


鑑賞サポートを利用して

黒木 まずは今回、どのような鑑賞サポートを利用したのかと、利用した感想を教えてください。

藤本 私は全盲で、今回は音声ガイドを利用して舞台を鑑賞しました。上演には身体の動きや映像などの視覚的要素はあまりなく、座ったままの出演者が順番に語っていく形式の舞台だったので特に不便は感じませんでした。作品がはじまる前の導入として、舞台上の人やモノの配置などを説明する音声ガイドがあったことで、舞台上で起きていたことに関しては十分に理解ができたと思います。一方で、舞台上で話される内容には視覚障害者にはなかなか理解が難しいものも多かったように感じました。これについてはまた後ほど。

南雲 私は聾者で、人工内耳という器具をつけていると対面での1対1の会話はある程度問題ないくらいの聴力になるんですけど、今回は手話通訳を中心に見て、手話通訳だけだとわからないときに字幕を見ていました。「手話通訳だけだとわからないとき」というのは、手話というのは人それぞれの癖や特徴があるので、初めて見る方の手話だとどうしてもわかりづらいところが出てきてしまうんですね。他にも、見たことのない手話表現が出てくることもありますし、語られる内容に合わせてそれを説明する手話表現、そのために作られたような手話表現もありました。加えて、自分の場合は手話をずっと見ているとちょっと疲れてしまうので、手話と字幕の両方があることはとても助かりました。

和田 私は聴者ですが手話がわかるので、手話通訳も合わせて見ながら鑑賞していました。5人の出演者と1人の司会者に対して3人の手話通訳者が情報を伝える状況だったので、手話通訳者の位置はやや気になりました。手配の問題もあるとは思うんですけど、手話通訳者が5人いて、出演者それぞれの横に付く形だったら、誰が話しているのかやその状況がもう少しわかりやすかったように思います。手話表現は語りを視覚化する要素があるので、話している人の横で手話での語りがあると、それ自体が表現として面白いと思うんです。今回の手話通訳者の方はエンターテイナーというか、見ていてとても魅力的だったので、自分も表現技術を学び手話通訳者として出演したいと思いました。

兵藤 今回、手話通訳者の舞台上での存在感は聴者のあいだでも話題になっていました。音声ガイドでは手話通訳者についての言及はあったんでしょうか。

藤本 手話通訳者が舞台上にいることは最初に説明されました。でも、手話通訳者の動きは情報としては視覚障害者向けの音声ガイドに盛り込む優先度は高くないので、上演中に手話通訳者に関する情報が音声で提供されることはなかったです。手話通訳の動きもエンターテイメントだったという話がありましたけど、残念ながらそれはわかりませんでした。

兵藤 音声ガイドを含めた情報保障にどこまでの情報を盛り込むかは難しい問題です。たとえば、別のnote記事でも触れていますが(「舞台手話通訳のクリエーションをひもとく」)、手話通訳チームでも音楽の扱いについては議論になりましたし、TA-netの定例会で行なわれた感想シェア会で、聴覚障害がある観客の方から歌の歌詞を知りたかったという意見が出ました。ひとくちに聴覚障害といっても様々な程度やバックグラウンドの方がいらっしゃって、聞こえにくい人、生まれつき聴覚が無く音楽を聞いたことがない人、今は聞こえないけど前は音楽を聞いたことがある人によっても、歌詞の有無については意見が分かれましたし、様々な意見を聞けたのはありがたかったです。
ちなみに、歌詞を表示するとその歌詞の印象に引っ張られすぎてしまうし、歌詞そのものが重要なのではなく、語られる年代のヒットソングであることがポイントだという演出家と手話チームの議論を経て、字幕で表示しないとなったそうです。

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ロビーでの音声ガイド貸出の様子

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TA-netの定例会で行なわれた感想シェア会の様子


手話表現の生々しさ

黒木 『私がこれまでに体験したセックスのすべて』というタイトルやテーマを聞いてどう思いましたか。

南雲 日本でもセックスについてオープンに語り合える時代が来たのではないかという期待を感じましたし、それをシニアの方が語るということにも興味を惹かれました。私が手話に出会ったのは18歳、大学生のときだったんですけど、手話サークルではセックスについての生々しい会話も普通にあったんですね。そのときの生々しい手話表現のインパクトをよく覚えています。それまで、性教育で知識を得ることはもちろんありましたけど、性に関する話題をオープンに話したことはありませんでした。サークルにはゲイやレズビアンの人もいて、そこで性の多様性にはじめて触れることにもなった。でも日本ではなかなかそうやって性に関することをオープンに話せるような場所はないように思います。以前、手話と朗読の形で上演された『ヴァギナ・モノローグス』(作:イヴ・エンスラー、演出:平松れい子)という作品を観たことがありますけど、それが舞台上であっても、性に関する話をこんなにオープンに話しているのを観たのは今回でまだ2回目です。

黒木 手話は言葉が動きとして表現される分、直接的な生々しさがありますよね。一方で、動きによって表現するからこそ違和感が生じる場合もある。たとえば、マスターベーションの手話表現は女性が語っていても男性のその動きとして表わすしかなかったり。そこはまだ手話表現の幅が十分でない部分と言えるのではないかと思います。

南雲 手話通訳については、そうやって生々しい形で言葉を表わさざるを得ないということ自体にある種の暴力性があるという意見もあります。もちろん通訳者としてはそれについても同意の上で通訳しているんだと思いますけど、特に今回の舞台についてはそういう関係を成立させていく稽古場のプロセスにも興味を持ちました。

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舞台に向かって左手脇に手話通役者が立ち、舞台奥の上方には字幕スクリーンがある。


体験を共有する

藤本 飲み屋や深夜ラジオ、あるいはYouTubeなどで下ネタを話しているのを聞くことはありますが、話しているのはほとんどが若い人です。シニアの方が性について語ると聞いて、どういう感じになるんだろうと思いました。そもそも、下ネタ的なノリでなく性的な話を打ち明けたり聞いたりする機会自体がほとんどないので、舞台上でそれがどういう雰囲気になるのか、自分がどんな気持ちで向き合うことになるのかということも気になりました。

黒木 実際に上演を見てどうでしたか。

藤本 視覚障害のある若い、性に関する事柄を知るべき年代の人たちは、自分も含めて、そういう知識が十分にない人が多いように思います。知っている人は自分で積極的に情報を得ようとしている人で、視覚障害者の誰もが性に関する情報にアクセスできているような状況ではありません。いわゆるエロ本やアダルトビデオなども視覚情報が中心なので、視覚障害者はそういうものから情報を得ることもできない。情報へのアクセスに壁があります。なので、舞台上で語られていたことについても、性的に過激であるとかそれ以前に、自分は十分に理解ができていない状態で聞いている部分もあったと思います。言葉として聞こえてはいても、それがどのような行為なのかわからないような場面もありました。今回は体験が語られるだけで、舞台上で行為が行なわれているわけではないので、音声ガイドで身体の動きが解説されるわけでもないですし。
もちろん、保健体育の授業でどうやったら子供ができるかとかそういう基本的なことは習うんですけど、性に関することというのはそれだけじゃないですよね。教科書には載っていないことを知ることも大事だと思うんです。自分にとっても大事だし、自分と出会う人にとっても大事です。そういう、視覚障害者と性的なものの接触ということが一番考えたことでした。性教育に関するダイバーシティや平等性ということも今後考えていくべきことだと思います。

黒木 視覚障害のある人はどのように性に関する情報を得ているんでしょうか。

藤本 ラジオはそもそもが音声だけのメディアなので、視覚障害者も情報が得やすいです。深夜ラジオだとそういう話題も多い。ただ、当たり前ですけど全部を解説してくれるわけではないので、自分で勝手に解釈してしまっていることも多いようには思います。あとはもちろんネットで調べたりということもありますけど、一番情報を得ることができるのはやはり会話なので、きちんとそういうことを話せる相手を見つけたり、家族とそういう話ができるということが重要かなと思います。視覚障害者同士だと知ってても教えない、知らないのはその人自身の責任だみたいな雰囲気もあるので、私の場合は性に関しては大学に入ってから友達同士の会話を通して知ることの方が多かったです。盲者でも普通の学校に通っていた人だと私よりはそういうことを知っていると思うんですけど、私はずっと盲学校に通っていたので。
いわゆる性行為だけではなくて、恋愛についても同じことが言えると思います。たとえば「好きな人を目で追う」とか「服が似合っている」とか、小説でも歌詞でもいいんですけど、恋に関する表現っていうのは視覚に基づいてるものが多くて、それは僕にはわからないことなんですよね。だから、ドキドキすることがあってもそのドキドキを恋愛と呼んでいいのかがわからなかったりする。そういうところからフランクに話せる仲間がいるだけで違うんじゃないかなと思います。恋愛にしろセックスにしろ、体験を他の人と共有できないことで孤独を感じることもありますから。

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どうやって体験を伝えるか——触覚の可能性

藤本 視覚障害のコミュニティでAVに音声ガイドをつけることは可能なのかみたいな話をしたこともあります。行為を音声ガイドとしてちゃんと説明すると冷めちゃうんじゃないかという意見も出たりしましたけど、盲者が感じ取るための手段としては音声ガイドがやはりいいと思います。

兵藤 「エロバリ(エロティック・バリアフリー・ムービー)」といってピンク映画に音声ガイドと字幕をつける試みもあるそうです。

南雲 AVに字幕がついてたら情報が多すぎて字幕いらないよって思っちゃう気もします(笑)。日本では性についておおっぴらに語ることが憚られるということとも関係すると思うんですけど、音声言語だと「あれ」「それ」と指示語を使って直接的な表現を避けたり、あるいは隠語を使って会話をすることの楽しみもあるように思うんです。そこから想像を膨らませることの楽しさというか。

和田 オノマトペの字幕はマンガみたいであってもいいかも。

藤本 あとは、先日参加したDance Base Yokohamaのダンス鑑賞ワークショップ(「ダンスのアクセシビリティを考えるラボ〜視覚障害者と味わうダンス観賞篇〜」)のように、触覚を使ってこういう動きをしますというのをディスクリプションをするとか。それはもちろんちゃんとインストラクションがあって当事者同士での了解が取れていて、信頼関係もあることが前提ですけど、情報を伝えるという意味ではそういうディスクリプションつきのAV鑑賞というのもあっていいんじゃないかと思います。

和田 ダンス鑑賞のディスクリプションでも鑑賞者に「あなた」とするか「わたし」と語りかけるかの議論がありましたが、例えば催眠系のAVというのもあるので、もしかしたら観るというより聴きながら一人称で没入体験を作る形も相性がいいかもしれませんね。
触覚の研究領域だと伝送技術が進んでいるのはやっぱりセックストイなんですよね。アプリとセットで使うことでリモートセックスができるようなものも出てきているので、そういう技術を追いかけてみるというのも面白いかもしれません。

黒木 ベストとマネキンが対になっていて、遠隔で抱きしめた感じを伝えることができるプロダクトも見たことがあります。

和田 性的なことに限定しなくても、身体的な接触やコミュニケーションがどのように感情と結びついているのかということはもっと探求されてもいいと思います。

兵藤 たとえば舞台模型を触りながら鑑賞するとか、触覚を使ってモノと一緒に鑑賞するというのは新しい鑑賞の方法として可能性がありますね。劇場での鑑賞サポートの方法としても触覚の利用は考えていきたいところです。


自分のことを語ること

藤本 実話に基づいた当事者の話をこういう形式で伝える演劇は初めて観たんですけど、役を演じて誰かになりきるというのではない、演劇で自分のことを言葉にして伝えるということの可能性を感じました。

黒木 性に限らず何かに関して話すときに、直接その話題について話すとなかなか話しづらかったり、受け入れづらかったりもしますけど、あくまでも作品の中で語られているというワンクッションを挟むと、相手の話していることが受け入れられたり、対話のきっかけになったりもしますよね。

和田 公演のあとにおばあちゃんとか友達とセックスの話をするみたいなことが起きたのが面白いなと思いました。今回は公演という形である限定された期間に行なわれるものでしたけど、哲学対話みたいな形でもっと頻繁にああいう開かれた場があってもいいと思います。そこに自分のパートナーや友人と参加するみたいなこともやってみたい。公演だと見る見られるの関係がどうしても生まれてしまうので、そこにノれない人はいるかもなと思うので。

南雲 そういう意味では、今回の上演でももっとマジョリティに分類されるような方のセックスの話も聞きたかったなと思いました。特に日本ではマジョリティでも性に関しては「見えない」ことにされている部分があるのでそれを見たかった気持ちもある。
それに、日本のアーティストもやればいいのにとも思いました。セックスというテーマについて、日本の文化に合わせた演出や作品の形態でアプローチするものが生まれてくればいいですよね。

兵藤 作品の初演は2010年、カナダでの上演でした。日本の性教育は10年遅れていると言われたりしますけど、現代の日本のアーティストによる「性」をテーマにした作品も多くあるので、障害の有無にかかわらず、そういった作品を必要としてる人に届けていきたいと思いました。


手話通訳:石川阿
構成:山﨑健太
写真:冨田了平(2)、吉本和樹(4)


◼︎ ママリアン・ダイビング・リフレックス/ダレン・オドネル『私がこれまでに体験したセックスのすべて』


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