4/7 手作りパン

今日は少し調子が悪い。春の気温の変化のせいかもしれない。ここ二日ほど、気温がぐっと下がった。また、「大学の単位が取れないかもしれない」と焦燥している夢を見る。いつも繰り返し見る夢。

それでも手作りご飯パンは作った。えらいえらい。この前朝ごはんにお味噌汁を食べたら飛び上がるくらいおいしかったから、朝はご飯とお味噌汁に切り替えようかと思ったが、やっぱりご飯パンはやめられない。

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少し気分が落ち込んでいたけど、昼間運動をして、その後オフィスに行き、メールや雑務をしたら少し気分が上がってきた。

以前関わっていたプロダクションの公演を観に行きたいと思って、同僚に席の確保までお願いしたのに、ここに来て行きたくなくなる。行くべきか行かぬべきかと迷いはじめたから何かのサイン。返信を困っていたら、適当な日にちに席を取ってくれてしまっていた。申し訳ない。

頭と腹で言っていることが違ってどうしていいかわからなくなることがよくある。頭に従うと腹の方が怒り出し、たちまち鬱々としてしまう。本当はどっちだっていいのだ。でもせっかく休みを取っているし「マスト」から開放されたのだから腹を優先させようと決めたのに、これはどうしたものか。仕事の人にばったり会うことを考えるハラハラするけれど、それはそんな問題じゃない気がする。やれやれどうしてこんなに自分の欲望がわからない人間になっちゃったんだろう。

なんだか押し問答もめんどくさいから行ってもいいような気になってきた。腹は怒るだろうか。腹はただ自分の声を聞いてほしいだけなのかもしれない。別の方法で満たしてあげればいいのかもしれない。だからこうして文章を書いている。腹は、パフォーマンス作品なんてどうでもいいと言っている。腹はもっと根元的な食べるとか笑うとか、緑を見るとかそういうシンプルなものに喜びを見出している。だから、パフォーマンスなんか、かしこぶった、複雑なものはいらないと言っている。アート作品で気がいいものなんてないんだからと。それもそれでわかる気もする。

本当は行っても行かなくても、そんなに大きくは違わない気がする。白黒で考えたら疲れちゃう。腹は、「行かない」とは言うけどその理由を提示してくれない。もっぱら気分で伝えてくるものだから、どうしていいのかわらかない。

話は変わって今日ドトールで二人のおばちゃんが話していた。

「女の人は社会では弱い立場だけど、家の中では強いのよね。ほらだってお金の管理までやっている人多いでしょ。」

なるほど、そうやって抑圧される者たちも、集団が作り出した「現実」とは別の自分の空間で、自分の力をを発揮していたのだ。表舞台には出てこない、社会という表舞台を下支えする英雄たちこそが、一昔前の「専業主婦」だったのかもしれない。

ついこの前フランスでブルカやヒジャブが禁止になった。一方的にイスラム教徒の女性は抑圧された弱い存在であると定義し、その差別から救うべくできた法律。それは、個々人からブルカやヒジャブを被る選択の自由を奪い取ることで、逆に差別を強化するものだろう。

同じように安倍政権が掲げ、リベラリスト達が称揚する、女性の社会進出は、杓子定規な社会のルールから逃れ、自分の場所を見つける余地を奪い取ることかもしれない。男性と同じステージに立つことが、男女平等でないはずだ。子育て支援、フレックスタイム、生理休暇。女性を支える制度やマインドセットの修正がない限り、今の働き世代は家庭と仕事の要求に疲弊するだけだろう。

私もどこか自分の場所を見つけ、そこで自分の力を発揮したい。

今日は、十分身体も動かしたし、文章を書いて思考もした。言うことなしの充実の一日。今日もありがとう。もう家に帰ります。


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