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私と高知のよさこい祭り

本日、今年のよさこい祭りの開催可否が発表されます。
どんな結果になろうと受け入れて、じゃあどうするか?を考えるだけですけどね。

それよりも今日はシンプルに、
高知のよさこい祭りの思い出をたくさん話そうかなと思います。

私がよさこいを始めたのは2010の8月の頃でした。
高知との接点はすぐに出来ました。
2010年9月に、映画「君が踊る夏」が公開されたのです。
多分劇場で見た気がします。
ただ、その映画を見て高知のよさこい祭りに参加したい。そして纏をやってみたい。
そう思ってました。
実際2つとも叶ってるので、大したものですね。
とにかく劇場の中の祭りの雰囲気に魅せられて、それを目指して踊りの練習に打ち込んでいたようです。

ひとつ目の夢は翌年に叶う機会がやってきました。
よく面倒を見てくれていた先輩が、「高知に行くチームを立ち上げる、みなともよかったら参加しやへん?」と声をかけてくださりました。
今も関西から高知に参加されている逢坂夢帆さん、
その1年目の高知が私の初高知でもありました。
2つの練習エリアを行き来し、自分のチーム練習もありつつ、自主練も企画してと、すごい熱量を持っていた記憶があります。
とても気合が入ってたんでしょう。
初めての高知は1泊2日、弾丸ツアーでした。
もうどの順番で踊ったかなんて記憶は一切ありませんが、追手筋で花メダルを貰ったことは覚えてます。
(ってか1年目で追手筋ってくじ運良かったんですね)

そして最後の会場はきっと泣いてた。
泣いて、会場に最後お礼してたことも覚えてます。
だから、よくうちの1年目の子たちが最後泣いているのを見ると、自分のこのシーンを思い出して、フフってなっちゃってます。気持ちはすごくわかるんだよ。

そんな祭り後にも先にも高知しかないなぁ

それが10年近くよさこいをやってきても、なお思う次第です。

その次の年には、全国大会にも参加しました。
憧れのチームで、憧れの衣装を着て、その曲を踊る。
これもまた大切なよさこい人生の1ページですね。

次年度からはかんしゃらとしての高知。
まさか2年前に初めて出た高知に、自分で作ったチームで出るとは思いませんでした。
今のメンバーには申し訳ないんだけど、
この時の高知が1番楽しかった。
なぜなら全てが初めてだったから。

1日目は踊り子で、2日目は回しでの参加。
初演舞は梅ノ辻、鳴子の1番前で踊らせてもらいました。やっぱり地方車の近くは最高です。
まだ始まったばっかりなのに感無量で、ここで終わってもハッピーエンド、みたいな気持ちだったと思います。
そこからは沢山のトラブルが発生しました。
地方車とバスの連携が合わなかったり、
そもそも地方車のエンジンが限界を迎えてて深夜に大修理したり、
渋滞にハマって焦ったり、それでもギリギリ滑り込めたり、
運営も、サポーターも踊り子もみんな初めての素人集団、とにかく必死にでした。
今みたいに組織体系もしっかりしていなくて、誰かが倒れたらたちまち崩れるっていうのが全員わかってたかもしれません。
そんな緊張感のおかげで無事に最後まで行けたんでしょう。
2日目は踊らない予定でしたが、最後の会場はしんがりで1人で踊らせてもらいました。
ゴールで笑顔で待ってくれてるメンバー達がいて、
地方車からのライトに照らされて、
沢山のお客さんがいて、
きっと人生でも最高の瞬間のひとつだと思います。

まだ出来立てほやほやのチームに50人も集まってくれて、おかげで私は夢を叶えられました。
参加してくれた当時のメンバーには感謝感謝です。

そしてその感動を繋ぎ、また誰かがよさこいにハマるきっかけになれば、
そうして、毎年高知に参加し続けています。

かんしゃら1年目の高知が1番楽しかった!
と言うてますが、それ以降も毎年本当に楽しいことには変わりありません。
そして沢山の夢を叶えてもらいました。
2014年のAlegríaでは、高知で纏を振ることができました。
此の道では総人数100人超えで高知に行けました。
そらでは、初めて自分のチームが帯屋町を踊りました。
そして去年は全国大会にも参加することができました。
2010年によさこいを初めて、この10年間、毎年沢山の刺激を高知ではいただいています。
ありがたい限りです。

近年は、少し回しにも余裕が出てきて、想定外のトラブルはiPhoneが地方車にふまれたくらい。
特に問題なく高知はこなせれるようになってしまいました。
ですが、正直しんどい年もありました。
というか今は余裕ができた言っても、ベリーハードがハードになったくらいで楽な年なんてものはないんですけどね。毎年準備は必死で、たまになんでこんなことやってんだろって思うこともあります。

だけど、あの街で踊りたい。
全国の友達たちと屋台で語り明かしたい。
その思いは燃え尽きることなく、今も自分の原動力になっています。
決して諦めることなく、ただ前に進むために生きる。

皆さん、またお祭りで会いましょう。

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1年目のかんしゃら高知

次の目標は100人の踊り子で高知に参加する。にしましょうかね。
サポーター含めて100オーバーはありますが、踊り子だけで超えたことはなかったので。
夢はでっかくいきましょう。

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