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京都大学に入れば社会に適合できると思っていた

京都大学に入れば社会に適合できると思っていた。僕みたいに二浪した挙句メンタルクリニックのお世話になるような、明らかに社会のハズレ値のオタクでも京都大学でならみんなと馴染んで生活できると思って油断していた。

でも実際そんなことはなかった。そりゃそうである。確かにメディアなんかは「変わった京大生」を探し出してきて発信しているし京大生のイメージといえば変人なのだが、普通に考えてそんな変人ばっかりなわけがない。みんな真っ当に勉強してきて京大の試験に受かってるんだから大抵の人間はレールを踏み外したりしないのだ。ゆえにほとんど全員ごく普通の大学生であって僕みたいな社会のハズレ値は結局社会に馴染めないのであった。

もちろんここでは変な人でも存在は許されている分、他よりマシではあるのだ。ここでは変なやつがいるというだけで排斥されることはない。だが排斥されないことと馴染めることはまた別なわけで、僕でも友人を作って楽しく大学生活!とはならず結局のところ勝手に1人で留年しまくった挙句メンタルクリニックにとんぼ返りをきめてしまった。

親からは「まずお前は見た目がなってない」と言われて、それも全くの正論だった。僕みたいな変わった見た目の人間は京大では面白がられて人気者になれるのではとちょっと期待しなかったといえば嘘になるが、冷静に考えて僕みたいな見た目の人間に話しかける奴は稀である。

僕 aka 見た目がなってない京大生。まぁ話しかけたくはないよな。僕もそう思う。

そんなこんなで何が言いたいかというと、京大に行こうが社会のハズレ値は社会のハズレ値のままだったという話。かなしいね。

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