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温もりは、テーマパークで。

誰かを幸せの気持ちでいっぱいに
することができたら、
それ以上の喜びはこの世界にはないと思う。

田舎で生まれた私にとって、地域全体が実家のようなものだった。けれど、当時から高齢化が進んでいたこともあり、今は帰省をしても「大きくなったね~」と世話をしてくれる人たちは、もういない。

こまやけん玉、お手玉などのたくさんのおもちゃをくれた向かいのおばあちゃんの記憶は、私が小学校の頃が最後だし、地区の代表だったのだろうか、学校からの便りを毎月届けていたおじいちゃんも、私が中学の頃に旅立った。

幼稚園か小学校の低学年の頃の話だけれど、母が私がいなくなったと大騒ぎした日があった。どこかに遊びに行くとも告げず、家から私がいなくなったのだ。いつも遊びにいく友達の家に片っ端に電話をしても、私の所在がわからなかったと言う。

母が探しに探し回り、ようやく情報を聞きつけたのはお隣のおばあちゃんだった。

「息子くん、お風呂に入ってるよ」

いつもお隣の居間で遊んでいる様子は、家の裏から見えたのだけど、さすがにお風呂に入ってるのは見えなかった。私は、お隣に住む老夫婦の家に上がり込み、おじいちゃんと五目並べを散々した後、そのままお風呂に入っていたのだった。

今も、このおじいちゃんとおばあちゃんは健在で、畑作業をしているおじいちゃんと家事をしているおばあちゃんの大きな喧嘩の声が聞こえてきて、安心する。

私は確かに、その町の、温もりのなかで育ったのだ。


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自分でいうのもなんだが、そんな温もりのなかで育ったからなのか、心も穏やかに成長した(と思う)。

誰かを幸せにできたら、それ以上の喜びはこの世界にはないと本気で思っている。とにかく人の笑顔を見るのが好きだった。

私自身、芸人がおもしろおかしくコントをしているのを見ることは大好きだ。お笑い番組はしこたま見て、腹をかかえて笑う。けれど、私が好きな笑顔は、おもしろおかしい時の笑顔ではなく、人の心が温かくなった時にみせるほっこりとした笑顔だ。

そんな私が人を笑顔にする "魔法" のような仕事に就くのは必然だったのだと思う。

関東の大学に入学すると同時にテーマパークでのアルバイトを始めた。

都会は冷たいと聞いていた。学生ばかりが住むアパートで暮らしていたし、地域のコミュニティに加わることもなかったので、その実情は分からない。けれど、地元の温もりから離れたことで、自身の生活から温かみが減ったのは間違いない。

人を笑顔にしたいと思って働き始めたはいいものの、今までは孫のように可愛がってはもらっていたので、いわば私という存在がおじいちゃんやおばあちゃんを笑顔にしていた。来るお客様は見ず知らずの人、そんな人たちを笑顔にする術は知らなかった。

ある日、客としてテーマパークに行った。園内を周遊する電車のアトラクションに乗っていた時、池の向こう側から電車を見つめる男の子がいた。きっと電車が好きなのだろう、電車が男の子に近づくと、その男の子は電車に向かって手を振り始めた。

すると、電車の乗客も男の子に向かって手を振り始めたのだった。男の子が電車に向かって手を振ったのか、乗客に向かって振ったのかは分からないけれど、子どもだけでなく、高校生グループも、カップルも、家族連れのお父さんやおじいちゃんも、男の子に手を振り返している。

きっと、街中でここに居合わせた人同士がすれ違おうとも、誰かが手を振っていようとも、会釈をすることも手を振り返すこともないだろう。けれど、テーマパークでは、それをさせてしまう。まさに魔法の場所だ。

私も彼らと同じように、男の子に手を振った。
これこそが、私の好きな "温もり" だと感じながら。


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それから今まで私は老若男女問わず、たくさんの人に手を振ってきた。時には、園内を走る周遊バスの乗客にも振っていたのだけど、気が付いて振り返してくれる人がいると、私の心まで温かくなった。

私がどれだけの人に幸せな気持ちを届けられたかは分からない。
けれど、その時間を経てなお、誰かを幸せな気持ちにしたいという心は益々強くなった。

温もりで世界が包まれたら、そこにはたくさんの人の笑顔があると思う。

そんな世界を目指して、私はこれからも手を振り続ける。

#この仕事を選んだわけ #コラム #エッセイ

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