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LINEの友だち14人、そのうち親族9人。

私は父母と3つ上の姉が待つ、秋の頃の温かな田舎の町に生まれた。

父は2人兄弟で父方の祖父は私が生まれる前に旅立ってしまい、祖母は私が物心が着く頃には病院で寝たきりになり、高校生の時に祖父のもとにいってしまった。叔父も祖母と同じ頃に体調を崩し、祖母が旅立った1週間後に他界した。

祖母のことは、私が幼稚園の頃にしらすと海苔のかけごはんをよく作ってくれたことを覚えているが、むしろその事しか記憶がなく、叔父に関しては、会話した記憶すらない。

母方の祖父母は健在で、母の姉には3人の男兄弟がいて、妹には姉と弟の2人の子どもがいる。

母方の祖父母には孫が私を含めて7人いて、私はその5番目である。5番目にもなると孫の可愛さにも慣れが生じてくるのか、更に母の妹の子が誕生したこともあり、最後の孫ではない私は存分に可愛がってもらった記憶がない。

姉と私、母の妹の子たちの4人で祖父母に旅行に連れて行ってもらったことがあるのだが、その中の年長者である姉は行動の計画を祖父母から相談されたり、いとこ達からも「遊ぼう!」と腕を取られたりで、引っ張りだこだった。

私はそんな姉の陰に隠れて、祖父母からもいとこからも構ってもらえず、子供ながら孤独さを感じ、夕食のレストランで他のみんながしゃぶしゃぶを楽しむ中、こっそりと影で泣いていたことがあった。


交友関係でも同じような境遇があった。

幼稚園の頃、中の良い2人がいた。年中で同じクラスとなり、それからは何をするにも一緒で、年長も同じクラスだった。

だけれど、そのうちの1人は小学校の学区が違い、卒園とともに疎遠になった。もう1人の子は、小学2年生の時にサッカークラブに入ったことで、小学校でも同じサッカークラブの子たちといることが多くなった。幼稚園の時と同じように、何をするにも一緒ということはなくなった。

いつの間にか周りに人が集まって輪の中心になるような人になりたかったのだけれど、私にはその素質がなかったんだと、過去を振り返ってもそんな気がしてならない。

祖父母に放置されていたわけではないことは分かっているし、学校で周りから嫌われていることもなかったのだけど、親以外の人からたくさんの愛情を受けたり、私という存在が認められたりすることがない中で、親密な関係を築くことが自然とできなくなっていた。

何かに悩んだ時、辛いことがあった時、相談できる友人がいない。ならば、悩みや辛さを抱えないようにするため、学校で嫌われないように、交友関係で悩まにように、人に気を遣って生きてきた。

きっと、あの時の同窓生たちは、私のLINEに友だちが14人しかいないと言っても信じないだろう。それくらい、誰からも嫌われないように接してきたので、街中でばったり会ったら、一言二言の話しをするくらいの人はたくさんいると思う。

けれど、私には心から友人だといえる、そんな人がいない。

移動教室の時は、グループの後ろについて歩いていくと存在を忘れられて話に入れないので、なるべくグループの前を歩いた。

学校行事の後は、みんなが校庭で余韻に浸る中、どこのグループにいたらいいのか分からず、真っ先に帰宅した。

修学旅行の新幹線の座席決めの時は、みんなが仲のいい子とペアを決めていくなか、私は決めることができず、はじかれ者同士で席に座った。

LINEの友だちは最初から14人だったわけではない。スマホが普及しLINEが流行り始めた頃、誰からも嫌われていない私には、その流行りにのって、たくさんの友だちができた。

けれど、それは私の寂しさを打ち消すものではなく、やはり私の隣にはいつも孤独がついて歩いていた。


大学は田舎を離れ、関東に出てきた。同じ学校の子は、誰もいない。一からのスタートだ。環境が変わって、たくさんの友人に囲まれる。

そんなはずだった。

仲の深い交友関係の築き方を知らないまま新しい環境にやってきたので、そう簡単に親友と呼べる友人ができるわけもなかった。

大学に入学して半年が経ち、
大きな教室の一番前の席に、一人で座る自分がいた。

唯一の救いは大学選びに成功したことだった。小学校から高校まで必死にやってきたスポーツで人を笑顔にしたいと、スポーツ系の大学に進学したのだが、興味を持って入学したので、どの授業もあっという間に時間が経つほどにおもしろかった。

そして、夏に初めて成績が開示された時、学年順位の1の数字を見たとき、抱えていた何かが私の身体から離れていくのが感じ取れた。

「 ありのままの自分を大切にしてみよう 」

友達がいない。一人でいると周りの視線が気になる。嫌われているんじゃないか。そんな不安ばかりを数えて大学に通っていたけれど、自分が心から楽しいと思えた勉強で1番になれた時、その喜びは不安を一斉に掻き消した。

自分の楽しいと思えること。自分が熱中できること。それさえあれば、周りを気にすることはない。周りと比べることはない。不安に溺れて、自分を見失うのではなく、自分のことを考えて、不安に打ち勝つ。そう思った。


それからの大学生活では、これまでと同様に挨拶を交わして会話をする友人は少しずつ増えていった。LINEの友だちもそれと同じだけ増えた。けれど、私は変わらず一番前の席に座り続けた。勉強への熱意を和らげてまで、一緒にいたいと思える友人はその中にはいなかった。

" ありのままの自分を見つめる "と決めた私の決意は揺るぐことなく、晴れて私は学年を代表して卒業証書を受け取った。

その日から5年が経つけれど、その5年間の間にLINEが送られてきた友人以外を整理した。LINEの友だちは14人になって、そのうち親族が9人だ。

そして、その親族のうち、妻が1人だ。

あの時、あるがままの自分を大切にしたことで、個性というものが磨かれていったと思う。そんな私を好きになってくれた人がいた。もし、私が不安に包まれたまま過ごしていたならば、そんな個性は生まれていないと思う。きっと今の私はいなかった。

友人を作らないことで、私は幸せになれた。

親友0人。友だち5人。それでいい。
これからも、そんな自分らしくあれ。

#我慢に代わる私の選択肢   #エッセイ #コラム

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