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あっちむいて、ほい

4月。まだ涼しさが残る朝の空気に、春の暖かな風が入り交じり、私の背中をそっと押す。

きらりと光る黒い革靴は軽やかで、私は右足から一歩踏み出した。


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中学生、私はいつも人の前を歩いた。友人と3人、または5人で歩くとき、私はたいていペアになれない。その時、後ろに付いてひとりとぼとぼ歩いていては、私は友人の頭の中から存在が消えてしまう。

だから、ひとりいちばん前を歩いて、かろうじて友人の目に入るようにしていた。そうすることで、時折話に入ることができるのだった。

給食は席を自由に移動させてよかったから、中心となって話しをする子、その子に野次を飛ばす子、この2人の間に席を移動するよう心がけていた。 

私の前を話が行き来するから、グループのその話の中にちゃんといる気がした。

私は、はぶかれていたわけでもないし、嫌われていたわけでもない(と思う)。いじり、いじられるようなこともあまりなかった。影が薄かったのだ。

私の人間性が面白くないから、影が薄くなったのか、影が薄いから、人間性が面白くなくなったのか、そのどちらかは分からないが、ひとりで孤立するのは避けたかったから、人の中に残るよう努力した。

その努力をする自分は好きではなかった。クラスに入れば、みんなが「おはよう」と言いながら近づいてくる子のようになりたかったし、話をすればみんなが笑う人気者になりたいと思っていた。

けれど、そんな彼らはきっと努力なんかしていない。

その人となりが、彼らをクラスの中心にいさせているのだと思うと、自分に気付いてほしい、グループの輪に入れさせてほしいと、そんなちっぽけな努力をする自分が惨めだった。

中学がダメなら、高校でと思ったが、中学から近い市内の高校に入学したから、同級生も多く入学し、変わるきっかけにはならなかった。

だから、0から生まれ変わるしかないと思った。


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大学は地元を離れ、関東の大学に決めた。クラスに知人は誰もいない。「こういうやつだから」と私の人格を決めつけられることもないし、大学デビューをしても「急に変わったよね」と後ろ指を差されることもない。全く0からのスタートだ。

3月も下旬、大学近くのワンルームのアパートへの引っ越しも済み、あとは1週間、4月1日の入学式を待つのみとなった。

それまでやることもなかったから、広大な大学の敷地の中、家の周り、電車に乗って近くのターミナル駅にも行き、その辺りを隈なく歩いた。

正門から続く並木道とそこに建つひとつひとつの授業棟は築何年経つのだろう、決して綺麗ではないが、私の目には真新しく映った。

桜でいっぱいになった家の近所の河川敷は、私だけを歓迎しているかのように見えたし、高いビルが併設する駅では、これからどんな人とどんな出会いがあるのだろうと、気持ちが高ぶった。

「この世界は、私が主人公なのだ」と、今までにない考えが脳内を埋め尽くした。

私は変わる。私は変われる。

いや、私は変われるだろうか。

そんな期待と不安が入り混じった1週間は短くも長くも感じられ、不安を掻き消すため、期待を膨らませるため、私は毎日毎日、外に出かけた。

新生活にと、おろした白いスニーカーは、既にアスファルトに擦られ、ところどころ黒ずんでいた。


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1日。ようやく迎えた入学式の日は、スーツを羽織るには寒くも暑くもなく、ちょうど良い気温だった。最後にネクタイを締め、前日に玄関に並べておいた革靴を履いて外に出る。

私の新しい日々が始まった。春の風に背中を押され、私は入学式の会場まで歩く間、一体何人の新入生を追い越していっただろうか。

入学式は学科ごとに集まることなく自由席だったから、友人のいない誰かを待つことなく、会場に着いたらすぐに、前の席から順番にと、人の流れのままに席についた。

「新入生の諸君、確かな意思を持って、将来を見据え、豊かな大学生活をおくってください」

そんな学長の挨拶は、私の期待を掻き立てるのに申し分のない言葉だった。

友人はたくさんできた。サークルにも入ったから、学科の外にも、知人ができた。私は毎日のように何かしらの輪の中に浸っていた。

急にご飯に誘われることもあったし、家に泊めてくれとねだられることもあった。地元にいたときとは違って、私は確かに誰かの意識の中にあって、誰かに求められているのだと思った。

入学してから1ヶ月も過ぎた日、シャワーを浴び、ベッドに入り天井を仰いだ時、深く息が漏れた。

それは、ただの呼吸のようにも思えただろうが、私はそれが溜め息なんだと咄嗟に思った。目を閉じて、息を吸い大きく吐いてみた。さっきとは全然違う。私は確信した。私は溜め息をしている、と。

入学してからこれまでの日々は楽しかった。自分が自分ではない気がして、新しい自分になれた気がしていて楽しかったのだ。

けれど、それはそう思おうとしていただけなのだろう。人はもう一度生まれ変わることなどできない。人の意識の中に、人に求められるようにとする自分も、これまでと同じく、努力をする自分なのだった。

私は新天地でそんな自分になりたかったわけではない。自分を変える努力なんてしなくて良い、ただありのままの自分で一日一日を過ごしたいのだと、そんな自分になりたかったのだ。

私はひとり枕を濡らしながら、そんなことに気づいたのだった。

次の日、これまで良くしてきた友人たちは、いつも通り教室の窓側の一番後ろの席に集まっていた。私は彼らの近くに寄っていったが、誰も私の方を見なかった。私がいてもいなくても、彼らの日々に変わりはないと思った。

「私は私のままでありたい」

私は、踵を返して、一歩踏み出した。
そのまま、誰も座っていない一番前の列の席に着いた。

誘いを全て受けることは辞めて、私の気持ちで決めた。そうしたら、ほとんど行かなくなった。泊まらしてほしいというお願いは全て断った。夜のひとりの時間がとても好きだから。

私の影を薄くしていたのは自分だった。
一人ぼっちでいると哀れな目で見られるのではないかと、そう気にして、グループに溶け込もうと努力していたけれど、私はひとりが好きだったのだ。

私は自分を変えようと、自分に嘘を付いていた。
変えるのは自分じゃない、変えるのはその意識だけだ。

勉強をしたいと思ったら、一番前の席に座ろう。
仲良くなりたいと思ったら、声をかけよう。

誰かに後ろ指を指されても、私のやりたいことに目を向けて、私を生きようとそう思った。

心が、みるみるうちに軽くなっていった。


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大学はとっくの昔に卒業したが、結局、友人と呼べる友人は2人程しかいなかった。けれど、私は私を生きると決めた日から、やりたいと思ったことに素直に向き合えた。

勉強をしたいと思ったから、主席で卒業できた。
テーマパークで働いてみたいと思ったから、沢山の人を笑顔にできた。

今まで生きてきた中で大学生活が一番楽しかったのは間違いない。あの時の気づきがなければ、なにも叶えられなかったかもしれない。

私が踏み出した先は、前ではなかった。

今までやってきた無駄な努力を全て捨て置いて、私は踵を返したのだ。

もし今、中学生の自分に出会えるのなら、

「あっちむいて、ほい」

と言って、人差し指を彼の後ろに向けて突き指すだろう。

#一歩踏みだした先に

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