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好きなものを好きだと言う

「トマト、チョッキンチョッキン、したー」

これは私が生まれてから初めて口にした文章です。めちゃくちゃに可愛いですね。子どもの頃、皆さんのお家にもありませんでしたか? マジックテープでくっつく、おもちゃの野菜と包丁。おままごとで使うヤツです。

トマトを包丁で切ったよ、それが私の「初文章」です。

母はその言葉を聞いて、天才だと思ったそうです。今まで単語しか口にしなかった我が子が、こんなに幼い我が子が、順序を間違えることなく文章を成立させている。この子にはきっと、文章を組み立てる才能があると感じたそうです。普通に親馬鹿ですね。買い被りすぎです。

物書きの才能があるか。その質問に自信を持って頷くことは、私には出来ないです。少しくらいは得意かもしれない。「好きこそ物の上手なれ」という言葉もあるくらいですからね。だけど、他を圧倒するような才能を持っているかと訊かれたら、それは絶対に違う。

それでも、文章を書くことは幼い頃から大好きでした。
母の日や父の日に、両親への手紙を書くことが楽しみでした。紙いっぱいに自分の気持ちや感謝の思いを書き綴る。それを読んだ時に、涙を浮かべて喜んでくれる母。驚いたように目を丸くする父。自分が書いた文章で、大切な人が喜んでくれるのが、私は何より嬉しかったです。

読書感想文や、遠足の感想文を書くのも好きでした。これは割と得意だったと思います。自分で言うのも何ですけど、私は児童文集の常連でした。

これは今まで言ったことがなかったのですが、私が初めて物語を書いたのは、小学二年生の頃です。あるコンクールに応募して、最優秀賞を頂いたことがあります。自分の物語を読んでくれる人がいて、「面白いね」と感想を伝えてくれる人がいる。まるで自分自身が肯定されたような喜びを、初めて感じたのは小学二年生でした。私の子どもの頃の夢は、童話作家でした。

しかし、私はそこからしばらく、文章を書くことから離れます。
皆さんが小学校の高学年くらいの時にもありませんでしたか? 作文に本気を出すヤツってダサい。そんな風潮が。
私が通っていた小学校にはありました。作文の時間、一生懸命に原稿用紙と向き合ってると、隣の席の男の子にからかわれたりしました。自分が書いている途中の作文を読み上げられて、「めっちゃ真面目やん」と言われました。

「真面目だよ。だって私、文章書くの好きやもん」

今の私なら間違いなく、そう言い返すはずです。それに、何事にも真面目に打ち込む人は格好良い。今なら分かります。

だけど、当時の私にはそれが出来ませんでした。書きかけた途中の作文は、全て消しゴムで消しました。シワシワになってしまった原稿用紙には、「とても感動しました」とだけ添えて、先生に提出しました。本当は、そんな言葉じゃ足りないくらい沢山の想いがあったのに。

当時は、文章を書くことだけではなく、本を読むことが好きだと言うことさえも憚られるような、空気感があったように思います。スポーツが好きな子は明るくて、読書が好きな子は暗いと、何となく決めつけられていませんでしたか?

私はそれが、ずっと不思議でした。足が速い男の子や、絵が上手な女の子はモテたのに、綺麗で面白い文章を書く子はどうして評価されないんだろう。真剣に作文を書いて、茶化されるのが嫌でした。休み時間に、運動場でドッジボールなんかしたくありませんでした。図書室にある本を読んだり、好きな本を友達と交換し合ったりしたかった。

私自身、「趣味は読書です」と胸を張って言えるようになったのは、大学に入ってからです。
ただ、その年齢になっても、腑に落ちない部分はありました。

私は読書だけではなく、ファッションが好き、メイクが好き、爪を可愛い色に塗るのも好きです。そんな私が「読書が好き」だと話すと、いつも周囲から返されるのは「意外だね」という言葉でした。それがいつも寂しかった。

私は現在、一般企業のO Lとして働いています。しかし就活生だった当時、本当になりたかった職業は、編集者です。

本が好きなのは大人しい子、賢い子、というイメージを払拭したい。若年層が抱く、読書へのハードルを下げたい。インスタグラムでおしゃれなカフェを紹介する人がいるなら、オススメの本を紹介する人だって、もっともっと増えたらいいのに。

そんな夢を持って、私は講談社の入社試験に臨みました。
結果は、二次選考で敗退。頭では分かっていたはずです。出版業界への入社は、狭き門への争いで、私なんかが入社出来るはずがないと。だけど頭では理解していても、自分の心まで納得させるのは難しい。お祈りのメールを見た時、私は涙が止まりませんでした。

その時に助けられたのが母の言葉です。
「だって、麻衣(私の本名です)は書く側の人間だから、編集者には向いてない」

今思い出しても、びっくりの一言です。親の贔屓目にも程がありますし、あの時の光景が地上波で放送されていたとしたら、間違いなく炎上です。名前も住所も特定されるでしょう。

だけど私は、母の一言で、いつか物語をまた書くと決意しました。私が本を通じて社会と繋がるためには、自分で物語を作るしか、もう方法は無いのです。

その後、私が物語を書くようになった直接のキッカケは、YOASOBIというアーティストさんとの出会いです。
友達と何気なく入った居酒屋で『夜に駆ける』を聞いて、YOASOBIというアーティストの存在を教えてもらいました。その後、別の友達からYOASOBIが楽曲から歌を作るという試みを行うアーティストだということを聞きました。私も挑戦したい、そう思いました。これが、私が物語を書くようになったキッカケです。

今思うと、私の背中を押してくれるのはいつも、周囲にいる人でした。どれだけ感謝しても足りないです。物語を書くようになってから、毎日が本当に楽しい。

「もう今は、あの日の透明な僕じゃない。ありのままのかけがえの無い僕だ」
『群青』の歌詞の通りだなって思います。

今日、夜遊びコンテスト Vol.2の選考結果が発表されました。
残念ながら私は受賞することが出来ませんでしたが、物語を書くことはこれからも続けていきたいと思っています。

「読書が好き」「文章を書くのが好き」
それら2つの個性が、素晴らしい個性であると認められる世界を作ること。
私が一生をかけても叶えたい夢が、ここにはあります。

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