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◇飯島貫実師との出会い⑤◇試練


ある日、貫実先生の銀座の同じクラスの女性Kさんと帰り道が、一緒になりました。それまでお話ししたことがあまりなかったのですが、色々話していくと、なんと「霊能者の先生のところに通っている」とのことでした。


好奇心旺盛の牡羊座の私としては、待ってましたとばかりに、連れて行ってもらう日を決めてもらいました。



なぜかというと、その頃、ちょうど左乳房にしこりがあって、少しずつ大きくなるので、心配していたからです。彼女には話していませんでしたが…。自分としては、完全に「心の病」からくるものだと思っていました。



12歳年上の主人とは、私が20歳の時に出会ったのですが、その時、バツイチで元の奥さんの方に子供が2人いました。(最初は一人だと思っていたのですが…)うら若き乙女には、ものすごい心の重圧で、2〜3年でしこりがどんどん大きくなっていきました。(あとから、話したら、俺のせいじゃないと言われた(笑))


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主人のお父さんが再発した胃がんを治した話を前に書きましたが、私も、当時阿佐ヶ谷にあった蓮見クリニックに連れて行ってもらい、初めて検査をしたら、やはり乳がんでした。蓮見ワクチンは、(当時、癌にいいという、丸山ワクチンというものもありましたが)詳しくはわかりませんが、本人の尿を用いて作るらしかった‥



問題は、5日に1回、蓮見ワクチンに理解のあるお医者さんのいる病院でワクチンを打ってもらわないといけないことでした。


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私はとにかくクラスで忙しかったので、主人に打ってもらっていました。(もう時効ということで…)主人のお父さんは、思うようにやっていいというお医者さんのいる病院に入院していましたので、そこでワクチンを打ってもらって、さらに、できる限りの自然療法を家族で持ち込みで、おこなっていました。



私は、他には、森下クリニックのいろいろな補助食品や、家では、生姜やびわでのシップに、そのあとに里芋パスタをはる、などなどを毎日。それに玄明先生のお寺さんで、7日間の断食行もさせていただいたりもしました。もちろんヨガのクラスをやりながら‥人には言えなかったですが‥

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枇杷の葉を使った温圧

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里芋の粉をねって、ガーゼに塗って、患部にごま油を塗ってから貼り付ける



Kさんに、霊能者の先生のところに連れて行っていただいたのは、そんな頃で、あまりいい結果が出ずに、疲れきっていた時でした。


初めて霊能者の先生にお会いした時に、Kさんには、話していないようなことをいくつも言われ、「なんでわかるの?参ったな…すごい‥」と思い、心配事を堰を切ったように、全部話しました。

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そうしたら、お金を払って、エイっと直してくれるのではなくて(霊能者ってそんなイメージを勝手に持っていたのですが…すみません)私が修行しないといけなくなりました。


まずは「21日間、般若心経7回、自我偈3回毎日お唱えすること!」となりました。驚いたのは、そのほかに、「母方の方に問題があるから、お母さんに聞いてみるように。」とのことでした。


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言われた通り、帰ってから、何気無く、いろいろ聞くと、驚くことがいくつもわかりました。奥からいわくありげな手紙を出してきたりして…(機会があれば言いたかったことなのかもしれない…と思いましたが。)




またずっと後のことですが、別の時に出会った霊能者の先生には、父方の方に…と言われ、それもまた、父親が驚くくらいのことがありました。本当に私も知らないことが、なんでわかるのか……



そこはもう考えないことにしました。わかるかたにはわかるということで…。要は、私だけではなく、みんな、ご先祖さまになんらかのことがあるのだなぁと思うようになりました。


なので先祖供養は大事だと思わざるおえなくなりました。たまたま私の場合は、ピンポイントで原因が何かがはっきりしていて、自分がお経を唱えることで、供養しなければいけなくなりましたが…


お坊さまのように唱えられなくても、心を込めて子孫が唱えることで、なんらかのいい影響が出るのかもしれません…


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そのようなことがあり、まだ、結婚前のことでしたが、主人を先生のところに連れていきました。その時に治療法としてやることの話が、一気にまとまりました。それは、関西の方の先生の関係している、山の中の滝行のできる修験道の道場で一人で30日こもって、断食することでした。


数日後、主人に連れられ、そのお寺さんで、先生に落ち合い、そこでご修行しているお坊様や、偉い方たちと、何やかやお話をしてくださり、下にある広い宿坊を一人でお借りすることとなりました。


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私はその日から、減食を数日、水だけの断食10日間、復食を数日の計画を立て、実行しました。毎朝、毎夕方の読経に、時々、滝行をしたりしました。他には作務をさせていただいたり‥


それと運動のため、主人が毎日手紙を書いてくれて、私は40分かけて、山をおりて、手紙を預かってくれているお店に取りに行くという、過酷な?日々でした。



でも、結局、何が1番良かったかというと、主人の前の奥さんや二人のお子さんに、感謝できるようになったことでした。やっぱりここが、ほどけないと、次が始まらない、ということだったのだろうと思いました。


余談ですが、主人のお葬式は、安曇野の友人のペンションで、仲間うちで、玄明先生が執り行ってくださいました。小学2年だった娘は、その日に、初めて、突然20代の二人の兄に、会わされたのですが、「嬉しい〜❣️」と叫んで、飛びついて喜んでいました。訳はわからないのに、直感ですね〜。


主人から託されたものをお二人にお渡しして、アトリエのものも、好きなのを2人に、そして前の奥様にも持っていってもらいました。あれから毎年、彼らは、今でも娘の誕生日にプレゼントを送ってくれています。二人ともデザイン関係の仕事をしていて、今は家庭もありお子さんもいて、幸せに暮らしています。


結局、人の幸せを願うということは、とりもなおさず、自分も幸せになるということだと…それも自分が一番嬉しいのは、娘が喜ぶことだから、それを叶えてもらえるなんて、感謝しかありません。一人っ子の娘にとって、血のつながった兄が二人もいるということがどれだけ嬉しく、心強いことか…


ガンができるほどに、苦しんだのは、一体なんだったのか?でもやっぱり、霊能者の先生に導かれて、お山に入って、一旦、再生しなおさなければ、わからないことだったのだと思います。亡くなってから、素晴らしいプレゼントをもらいました。

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籠っていても、明るい時は、たまに参拝者さんが、山をあがってきます。私は、お参りにいらっしゃる方たちとは、口をきてはいけない、「無言の行」を言い渡されていました。


修行中のお坊様のいるところから、ちょっとくだったところの宿坊をお借りしていたのですが、部屋がすごく広くて、天井には般若心経だったかが、書かれていて、夜は結構怖い。


でも、何が怖いかというと、お化けや幽霊とかは、お経やマントラを教わっていたので、大丈夫なのですが、ちょっとおかしい人間のほうが、よっぽど怖いと思いました‥


それは、いつも通りに手紙を取りに山をおりた帰り道に、なんか変なおじさんがずっと後をついてきて、振り返るたびに、後ろの方になぜかいる。だんだん山道も人がいなくなってくるので、あるところから振り向かずに一気に登り切りました。


その日は、水断食に入って、何日目かで、体がだるくて、下って行くのにいつもの倍の時間がかかっていました。なのに、登るのはいつもより倍早かった。恐怖心で登り切りましたが、後からあのおじさんは、なんだったんだろう?本当に人だったのかな?きつねにでも騙された? なんせその日以来、身体がすごく楽になったからです…


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そんなこんなで、はれて山を下りる時には、山猿のようになっていました。ちっちゃい頃に、憧れていたサスケのような忍者になった気分でした。



帰りには、大阪で、その当時有名だった「佐保田鶴治先生」のヨガクラスに参加して、歳をとっても、いつまでもできるってヨガはいいなぁと思いながら、東京に戻りました。


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乳房のがんと言われたしこりの方は、それまでは、びっちりと、里芋くらいの大きさの塊がくっついていたのですが、いつのまにか、ちいさくなっていて、浮いて、くるくる動くようになっていました。


そこで、癌研センターに連れて行ってもらったら、「切り取って細胞を調べましょう」ということになりました。切りとったあとで、小さくなったとはいえ、ピンポン玉くらいの塊りを見せてもらいました。



結果を待っている数日間は、なんとも長かったのですが‥「良性でした。でも悪性に変わることもあるから、引き続き食生活に気をつけて、毎年検査をする様に」とのことでした。その後、検査は1回しかしてませんが‥大丈夫そうです。



そんなこんなで、主人にはなんとも揺るぎない信頼感を持ちました。この後、私は、父親に長ーい手紙を書いたり、(病のことは、何も両親には、話していなかった‥後からかなりのブーイング)主人は公務員のローンで中浦和に(埼京線が通る前)小さな中古の一戸建てを買いました。(父の手前)

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そして、インドでヒンズー式の結婚式へ‥続く‥




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