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正しいも間違いもそこにない。「現実は対話から生まれる」社会構成主義の考えにピン!ときたので、まとめます

こんにちは、ライターや企業広報の仕事で食べてます、すだです。

先ほど走って近所の集会所に選挙の投票に行ってきたら、3カ所も蚊にさされていました。走ってたのに。


私ごとになりますが、昨日「社会構成主義」に関する本を読みました。本の表紙に「現実はいつも対話から生まれる」と書いてあって、なんだかすごく気になりました。だから読んでみたんです。

今日は「社会構成主義ってなんやねん」の答えを自分なりに考えてみた結果をここに記しておこうと思います。

現実は「対話」から生まれる byガーゲン夫妻

私が読んだ本はこちらです。

『現実はいつも対話から生まれる』
2004年にアメリカで出版され、その後翻訳された本です。

読んでみた感想を一言でいうとするなら「なんかよく分からないけど、大切なことを学んだ気がする」です。

なんだその感想は、と自分でも思うので「社会構成主義とは具体的に何をいっているのか?」を次にまとめておきます。

忘れっぽい私ですが、この社会構成主義だけはいつでも思い返したいと思いました。

だから、忘れそうになったらこの記事を読み返そうともくろんでいます。

社会構成主義とはこうだ!好きなポイント3つ

社会構成主義って何なのよ。

ということで、印象に残ったことをまとめてみました。

①そこにある「真実」は、特定の領域の中で真実となる


本を読んでいて最初に「おもしろいな」と感じたのは、私たちが普段使っている言葉は「どんな真実もルールや慣例でコントロールされている」ということでした。

分かりやすく例を出してみると

ウソをつかず、正直でいるのがいい

という考えがあります。これは「ウソをつくことがいけないことである」という前提があって成り立っていますよね。

だから「ウソをついてもいいコミュニティに入れば、真実ではなくなる」ということになります(これ、個人の見解です)。

続いて、もっと自分ごとに考えてみることにします。

例えば私は結婚していて子どもがいますが、私の両親たちは孫が偏差値の高い学校にいってくれることを喜びだと感じていて、成績が悪いと「塾にいかせよう」とアドバイスをくれます。

これは

「成績はいいほうがいい」

という価値観があるからなのではないか、と思いました。この価値観に私は半分共感する一方で「一体何のために勉強するんだろう」とななめに見ているところもあります。

一般的に「こうするのが良いことだよね」「こう考えるのが普通だよね」と思われている事実は、実は見る人それぞれのバイアスがかかっている、と本には書いてあるので

その考え方と照らし合わせると

「子ども時代の成績はいいほうがいいよね」

という人が集まるコミュニティでは「成績がいいことは良いことだ」が真実になるけれど、「成績はそれほど重要じゃないよね」という人が集まるコミュニティでは「成績がいいことはそれほど重要じゃない」が真実になります。

そのことを本の中では

私たちが「真実」としているものはコミュニティの中でしか主張されない

と表現していました。

けっこうハッとします。私も頭では分かっているようで、日々の生活に埋もれて、自分の中の正義をけっこう周りにふりかざしてしまっているな~と感じたのです。

②どれだけ本質的に見える答えも「見方のひとつ」

自分の価値観がこの世の中でいちばん正しいと信じ、ほかの価値観の存在に気付けず、理解しようと思えないと「対立」が生まれやすくなりますよね。

社会構成主義はこのことについて、

「じゃあさ、自分の価値観が優れてるとかじゃなくてさ、相手の価値観にも関心と敬意をもって、対話してみようじゃないか」

といいます。

いやいや、それはそうだけど、それがむずいんですよね。

むずいから、いろんなところで対立が起きているんだろうに……
私はそう思いました。


相手の言い分を聞いて、相手の立場になっても考えてみようよ、とよくいいますよね。ケンカ両成敗のときに出てくるやつです。「どっちも悪いよね、だからお互いごめんなさいしようぜ」のやつ。

社会構成主義の考えは、そこから先があって「異なる価値観を持つ私たちが対話をしたら、どんな変化を一緒に生み出していけるだろうか」というところに重点を置いています。

実はここから、読んでいてよく分からなくなっていました。

ときどき眠くて白目をむきながらも耐え忍んで考えてみると、どうやら社会構成主義は「個人」そのものの考えに深い意味はなくて、人と人が「関係」することに注目しているようなんですね。

この世に「正しい答え」「間違った答え」はない。だってみんな価値観が違うから。

私たちが本当に求めるといいのは「答え」じゃなくて、

新しいものをつくりだしていける関係を維持すること

なんじゃない?と。


……うーん。なんとなく分かるけど、むずかしい。

そして眠い。

猛烈な眠気に襲われながらも、それでもなんとなく、この本がいおうとしていることは「好きだな」と感じました。

③対立関係をやわらげる、おすすめのディナープロジェクト

対立関係にある人(チーム)同士を仲良くさせる、おもしろい方法が書いてあったのでここでちょっと紹介させてください。

その方法はこんな感じです。

①あるレストランのディナーに、対立関係にあるチームの代表者らを招待する
②みんな席についたら「対立している事柄については、今日は話さないでね」とお願いして、食事を始める
③今、自分が関心のあることについてそれぞれ話してもらう(プライベートや家族、恋人、趣味の話など)
④対立している事柄について、自分が経験した辛い経験を話してもらう
⑤自分たちの立場に感じる疑念について話す

このやり方は「クロストーク」というものに通じるそうです。クロストークとは「複数の現実や価値観の交わりを可能にする対話」です。

本の中では「中絶に反対するチーム」と「中絶を容認するチーム」がそれぞれの主張をぶつけ合っていたので、このプロジェクトを実践したそうです。

結果的に、このプロジェクトは成功します。

どうして成功したんでしょうか。

ここからは私の想像なのですが、例えば③の話が

「子どもが小さく目が離せなくて大変だけれど、それもまた楽しい」
「自室のDIYにはまっていて、先日は小さな本棚を完成させて大満足」
「パンづくりが好きで、休日はこねてばかり。朝にパンが焼けるにおいで目覚めるのが幸せ」

といったようなものだったとしたら「あ、それ、わかるー」と共感できることがあるんじゃないでしょうか。

そして相手にも自分と似た価値観があるのかも、とふと我に返る瞬間があるのではないでしょうか。


そして、④の話を聞くことで、主張の下に隠れている、その人それぞれの「事情と理由」を知ることになります。

もしも自分が反対の立場だったらどうだろう?
そのような状況に立たされれば、そう思うのはごく自然なことではないだろうか?

それぞれの立場は最後まで変わらないものの、段階的に対立は小さくなり「共感」が生まれ、最終的には「中絶という状況が生まれてしまう状況を未然に防ぐために、お互いに協力しよう」という合意に達したそうです。

ここまで上手くいくものかな~と批判的な目線で捉えた部分もありましたが、このディナーの会を開いたことはまぎれもなく意味のあることだったのは間違いありません。

こうやって会話の形を変えると、連携して問題対処に向かえる状況が生まれることもある。

平行線をたどるしかないと思われることでも「対話」で生まれる何かが、もしかしたらあるのかもしれないな、と思いました。

まとめ


「社会構成主義について感じたこと」は

・そこにあるように見える「真実」は、すべての真実ではない。だから圧倒されたり、批判したりしなくていいんだ

・誰かの真実に関心を持って、敬意をはらうようにちょっと意識してみよう

・互いの理解の先にどんな未来が生まれるのか?相手との関係性を楽しんでみよう


です。

相手との「対話」そのものが、これからの現実をつくる。ちょっと面倒くさいけれど、なんだかこれまでの人生は対話によって進み始めることも確かに多かったような(迷ったときは、誰かに話したあとに行動に移せていたような)

新しい、創造的なこれから。
もしかしたらこの先、たくさん待っているかもしれません。


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