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忘れていた「噛み合わなさ」を思い出すとき。恋愛ショートストーリー

私は今、昔付き合いのあった男性と喫茶店にいて、溶けかけのクリームソーダをなぜか見つめている。溶けていくさまを見ていると、時間というものは流れているんだな、と分かる。

溶けないうちに、なんとかしなければ。



7月3日(土)13:36

昔交際していた男性に「久しぶりに会おうよ」と電話口でいわれ、私は「いいよ」と答える。


翌週末の昼間、川崎で会うことにした。


外出するのは久しぶりだった。だから当日、家を出た瞬間に地面からわきあがってくる熱気に驚いた。そうか、梅雨はあけていたのか。

この地面のすぐ下に、マグマでもあるんじゃないかと顔をしかめる。


「切符を買いたい」と思い、目的地までの金額を確認する。260円。

電車に揺られている間も、きょろきょろとあたりを見回した。

自分の知る世界とさほど変わりがないようで安心する。いろんなマスクをつけている人がいるな…と、車窓からの景色と交互に見比べる。

7月3日(土)14:00

事前に店を指定されていた。そこで待ち合わせていたので、時間ぴったりに喫茶店の重い扉を引く。店内を見回すと、奥の2人掛けの席に彼がいた。

「うわ~」

席に近づいて相手がこちらを確認した瞬間、そう声をかける。

「うわ~って何だよ」

想像通りの返事が返ってきた。

「うわ~って感じだから」

「なんだよそれ」

普通に、普通に、会話が始まったことにホッとする。

誰であれ、久しぶりの人と会話するのは少し緊張する。昔のように、同じように話せるかどうかは、会ってみないと分からない。

ペースをつかむまで、なんとなくふわふわして、取り繕った感じになってしまうけれど、少しずつ話をすることで、ほどけていくのが分かる。

7月3日(土)14:52

「今、何してるの?」と聞かれたので、コロナで働いていたヨガスタジオが閉鎖し、無職になったこと。最近声をかけてもらい、事務仕事を始めたことを伝えた。

「そっかぁ…」

何か思うことがあるのか、さして興味がないのか。彼は答えて、そのあと「すみません」と通りすがりの店員に声をかけた。


「クリームソーダください」



いま・・・?

この人はそんなにクリームソーダが好きだったかと一瞬考え、クリームソーダを飲む姿を一度も見たことがないという結論に達する。


「好きだった?クリームソーダ」


そう聞くと

「いや、ほら」

といって、顔の近くで自分の人差し指を軽く真横にまげてみせた。

なんとなく察して、目立たないように指の方向に顔を向けると、同じようにクリームソーダを注文している席があるのが分かる。

「いきたくなるよね」

彼はそういって、小学生だったらかわいいんだろうな、という子どものような顔で笑った。

7月3日(土)15:15

目の前の銀色のお盆の上で、蛍光マーカーで引いたようなグリーンカラーがきらめいている。グラスのふちいっぱいに浮かんだバニラアイスクリームが溶けだして、液体と混ざり合うのを拒む。

ひととおりの近況報告や、互いの仕事観の話をして「そろそろ本題に入るのかな」と思った。

昔付き合いがあっただけの男女に、もう一度会う理由など本来ない。あるとすれば、それなりの理由がある。

「そういえばさ…」と彼はいった。

お、きたか。


「ゆきが何年か前に、いってくれたんだよ。俺が悩んでて、変わらなくちゃいけないのかって思ってたら、別に今のままでいいじゃんって。今のままのいいところがたくさんあるから、それがなくなるほうが心配って」

彼の少しくせのある、ほわほわした髪が冷房のゆるい風にのってそよいでいる。そういえばこの人、ぜんぜん汗をかかない人だったっけ。

「今のままでいいじゃん」

そんな言葉を伝えたかどうか、思い出せなかった。

私の言葉ではないような気がするが、励まそうと思って出てきた言葉だとしたら、そんなことをいいそうな気もした。

「だから、今続けてる仕事はやめないで、がんばることにしたんだ」


まださっきの仕事の話をしていたのかと、そのときになって初めて気付く。

「俺、あまり気負わないことにしたよ。やりたいと思ったことに集中して、自分を丸ごと変えようとすることには集中しない。だから俺、転職しない」




「そうだね」

満足げな彼にうっすら笑みを投げかけ、「それだけかい」と心の中で彼の頭をはたいた。

私の中で、この時間が終わろうとし、左腕にはめた時計の針がどこにあるかを想像してみる。

7月3日(土)15:47

「このあと、時間あるんだっけ」

彼がグラスの脇に取り分けていた赤いさくらんぼを、最後の最後で口に含みながらいったので

「うん、ちょっと買い物しなきゃいけなくて」

と答えた。

驚くほどの早さで嘘をついたことに驚く。

「そっかぁ」といいながら、彼は細長い銀のスプーンをグラスに戻し、ふちについていたアイスクリームの残りがスプーンの柄につくのが分かった。


下心と友情。ただ人と会いたい。話を聞いてほしい。

感情は混ざり合うもので、こちらから見分けるのは難しい。

だけど自分の気持ちは最初から、案外分かっているものだ。

「またさ、会ってよ」

そういわれて

「もちろん」

と答えながら私は、財布の中に1万円札しかなかったよな…、と会計の心配をし始めている。



日常は、かみ合っているようで、かみ合っていない。

繰り返しの中で「どうしてこんなに気持ちいいんだろう」と分かり合える人に出会うときがある。

その一瞬。それを感じたくて、かみ合わない時間に虚しさを見出す。

特別だと思えるのは、捨てたくなるような日々があるからだ。

れんが色のミニバッグを手に取り「もう、いくね」と言い出すタイミングをはかる私は、自分のあさはかさを可愛く思う。

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