手段が目的化するという大企業病

お偉いさんの講話で支社社員が寝てる

会社のお偉いさんが各支社を回り、そこの社員に「ありがたい講話」をするという催しに、お偉いさんのお付きとして同行した。

その支社の社員の一部(100人くらい)を集めて、1時間「ありがたい講話」をされた。

が、

みんな寝ていた。

それもそのはず、話していた内容はアニュアルレポートに書かれている内容をなぞっているだけの「お経」だったから。ほんと、小学校の校長先生の話みたいな、つまんねー、て思うやつです。


これって、計算するまでもないけど

100人×1h×1時間あたりのお給料 +お偉いさんの旅費+準備にあてた支社の人件費…

が、支社社員の居眠り時間のために費やされたってことだ。

えぐい。(弊社、赤字なのに...)

「機会を作る」ために「機会を作る」

そもそもこの講話の企画は、本社の広報の上の人間が言い出して企画された。

その動機が、「お偉いさんが地方にも話にいく機会を作る」というもの。

………ん?


それって、手段では?


「●●という目的を達成する」ために「お偉いさんが地方に話にいく」のでは??

企画や準備の段階で(私を含め)、本社の人間は誰一人、「●●という目的」を念頭に置いていなかった。「お偉いさんの講話をつつがなく運営する」ために準備をすすめていた。

その中で、「お偉いさんが支社に行く」ことに意味がある(と皆が認識していた)から、講話の中身なんてだれひとり注目せず、「1時間あるから、ま、アニュアルレポートの説明でもしとけばいいっしょ」という考えが当たり前のように共有されていた。

そしてその考えのまま、1時間アニュアルレポートの内容を読み上げるだけの講話の場=>お経で社員が居眠りする場が出来上がってしまったのだ。

本当の目的は?

(開催してから気づいた自分が腹立たしいが)

『「●●という目的を達成する」ために「お偉いさんが地方に話にいく」』

の●●は、「会社のビジョンと存在意義を共有し、社員の日々の働きがどのように役立っているかを伝え、ともにがんばるモチベーションを高める」とかそういうものだと思う。

それを最初から目的として認識できていれば、お偉いさんが話すべきは、ビジョンやエール。その話し方も、お経ではなく力強いスピーチであるべき。

それを実現するためには、お偉いさんに何をどんな風に話してほしいかきちんと伝え、スピーチが苦手なら練習させる…というようなことが、自分の仕事として必要だったな、と感じている。

目的に応じた手段を開拓するより、定常業務を問題なく遂行することが評価されがちな、大企業

たぶん、今回みたいな手段の目的化に、だれも疑問を持たないのは、大企業病なんだと思う。組織化され、縦割りになり、今までの知見が積み重なって形成された、その社での仕事のやり方が定められていて...という環境においては、問題なく運営できればそれなりの評価を得られる(少なくとも落第点はない)。

したがって、社員個人の視点でみると、その仕事が目的に向かっていなくとも、「手段」をつつがなくこなすことが、安泰なのだ。ああ大企業病。

でもそれ、死に至る病

でも、赤字な状況でコストかけて、居眠り時間作るって、もう会社は死にむかっている。中の人はみーんな気づかないうちに茹でガエルになる。

まだ間に合うかわからないけど、こんなバックヤード的な面での改善が、死に至る病を抑えられるはずもないけど、

わたしは、次の支社での講話は、本来の目的をお偉いさんに共有して、力強いスピーチをさせる。そして、聞いた支社社員の目が輝くような場にしてみせるのだ。






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