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このもやもやの正体は。映画感想文『PARFECT DAYS』

開いてくれてありがとうございます。

※ネタバレがあります!お気をつけください。

映画に倣って昔撮ったモノクロフィルム写真をちゃっかり差し込んでみました。お気に入りの一枚です。

ある映画館の会員期限があと少しで切れてしまうので、何か映画を見たいと思い立ちポスターの雰囲気で選んだ作品だった。

あらすじすら大して知らず、なんか清掃をしてるおじさんの映画なのかな、と思っていた。
いわゆるエモい映画を期待していた。その感覚はあながち間違いではなかったと思うけど。

映画を見終わった瞬間、「な、なんの映画だったんだ…?」と上手く飲み込めていない自分が居た。

映画というより美術館でアートを見ている感覚に近い。
ストーリーを読む楽しさよりも絵から感じる何かを汲み取る作品に思えた。

なんとも行間の多い作品だこと。
目に見えているもの以上にそこから読み取る感じ取らなければいけない部分が多すぎて、なんとなく感じるものはあるもののそれがどんなものか言語化できず、わたしは急ぎ足でカフェへ駆け込み、色々な方の解釈を拝見させてもらった。
賛否両論の作品であることには間違いない。

人間の多面性の部分も顕著に描かれていたと思う。
良いところも悪いところも、面倒なところもしっかりしているところもあるよね。
それに喜んだり、落胆したりすることもあるよね。
そんな中人と人はそれぞれ世界を持っていて、それが繋がった瞬間に幸せを見出していたのではないかなと思った。
人と良い時間を共有した後のあのニマニマする感じ、ちょっとわかる。

主人公はお人好しで無口で菩薩みたいな人かと思ったら嫌なことにはしっかり怒るしコミュ障だし一歩間違えたら面倒なストーカーになりそうな感じもあって、本音はちょっと怖かった。

正直、演出はどうなの?って思うところも多々あった。
せっかくあんなに情緒のある演技をしているのに、ちょっとした上辺な演出が作品をチープにしていたと感じる。
出会って間もないおっさんの頬にキスする子も…まぁこの世には居るのかな。海外云々のところなのかな…。

あの人生を美しいと捉えるかどうかは人それぞれだし、あのように生きたいと思うかどうかも人それぞれ。
less is moreで足るを知るが好きなわたしはあのように自分で選んで生きるところは美しいと感じるが、やはりあの生活に幸せを見いだせそうにはない。

圧倒的に感じたのは食に対しての無関心感。
朝は缶コーヒー、昼はコンビニ飯、夜はカップラーメンや飲みに行く。
あれ?よく考えたらこんな食生活してる人たち、現代社会ではごまんと居るよね。
あのような食生活、いつか健康を害してしまう気がするよ…みんな気をつけてほしい。健康第一だよ、本当に。

それに毎回外食で自炊がないあたりが、お金の使い方も見えてきて好めなかったのかもしれない。
自炊がお金を大事にしているわけじゃない。どこにお金を出しているかが好みじゃなかっただけ。

フィルムで撮影して現像してきたのに、気に入らない写真は容赦なく破り捨てるし。
あれだけ長い間やっているのもまあびっくりしたけど。
え!すご〜い!とはならず、うわ、という緩やかな恐怖心もあった。過去も相まって、執着執念深い人なのかもな…。

「今度は今度、今は今」というセリフがあるように、今に焦点を当てることを大事にする。過去は過去、今は今、未来は未来。
自分の選択が正解であると、正解であるように生きていけたらいいなとは思った。

なぜこんなにももやもやしたのか。
わたしはこの作品を「いい映画だった!」と言いたかったんだと思う。
フィルムテイストな映像で、木漏れ日がモチーフで。
ミニマルライフな生活の中で幸せを感じて生きている、なんとも耽美な作品であったと思いたかった。

でもそうではなくて、日陰を感じた作品だったし、チープな主張のように感じてしまった。なんの映画だったんだ?の感情が全てだったと思った。

結局、あの映画のメッセージってなんだったんでしょうか。

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