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善意は自己満足。

開いてくれてありがとうございます。
みんなのフォトギャラリー活用させていただいているのですが、素晴らしい方ばかりですね。すごい。


わたしはもう長いことショートカットのヘアスタイルで生活していた。
一時期はベリーショートと言われるほど短かった。
理由は簡単、短い方が生活が楽。
というのもあるが、伸ばすことが耐えられないというのも理由の一つ。

何度か伸ばしたいなと考えて伸ばして、我慢ならずに切って、また懲りずに伸ばして…を繰り返して数年経った。

あるとき伸ばす理由が欲しくて、頑張って伸ばしてヘアドネーションをしよう!そう考えた。
これがタイトルに繋がる話である。

ヘアドネーションと聞くとどういった印象を持つだろうか。
自分の髪を髪の毛を失った子たちに提供できる。

カラーやパーマをかけたものでも受け付けているというのを聞いてわたしにも出来るじゃんと思い髪を伸ばしてきた。

でもいざ色々な意見を見ていると、結局はカラーをしていない元々の癖のない髪の方が必要とされるだとか、人工毛も発展してきているので人毛が必要ない等の意見も見受けられた。
またウィッグを必要としている子たちも、好きで欲しているわけではない等の意見もあった。

たしかに、切った髪の行方や加工過程をわたしは知らない。
今ウィッグを必要としている子たちの心境もわからない。

ただ規定に則って提供をして、わたしは良いことを一つしたとわたしが満足するためだけにヘアドネーションをするのか。
わたしの不必要になった髪が誰かのためになればと思って始めたことが善意だと思っていたことが自己満足と善意の押し付けのように思えてしまった。

募金はしたことがあるだろうか。
わたしは少額だがちょこちょこと募金をしたことがある。
今後サポーターという形で資金支援もしていこうと思ってもいる。
これもわたしは誰かのためになるなら、誰かがこれでより良い人生を歩めるならと思ってのことだ。

これも自己満足なのだろうか。

とまぁ色々考えたが、結論わたしは自己満足でも良いと思っている。
自分の善意を否定したとき、わたしは大きなところで偏って物事を見すぎていたと感じた。
否定的な意見もあるが、肯定的な意見ももちろんある。
自分がいいと思ってやって、それが誰かのためになったらそれでいいじゃないか。

正直、ヘアドネーションはしようかどうか悩む。
人工毛のウィッグの質が上がっていることを知っているから。安価で手に入り、理想的であるならそちらの方が良い。
それよりも金銭的支援の方が良いのでは、と考えている。

募金やサポーターは、お金を支援しているわけではないと思っている。
世の中、何をするにもお金がついて回る。
支援の形がお金だっただけだ。
誰かのためになればという自分の自己満足な気持ちが、誰かに生かされて支援という形をしているのだと思う。

洋服のリサイクルなどもそうだ。
某ファストファッション店では洋服のリサイクルをして、遠い国に届けているそうだ。
必要とする誰かに渡れば処分もせずに済むし欲しい人は得られるしでいいという反面、ゴミをその国に押し付けているという意見もあった。

どちらの意見も理解できるし、どちらも正しい。
だからこそ前者と後者のどちらを選んでもいいと思う。
わたしが正しい、これがいいと思ったものを信じていいと思った。


だから善意は自己満足でいい。
それが自己満足だったとしても偽善だったとしても、ないよりはマシだろう。

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