見出し画像

読書会:「さみしさ」の力 孤独と自立の心理学

読書会に向けた一人読書会。今回の課題図書は、

 榎本博明(2020)『「さみしさ」の力 孤独と自立の心理学』ちくまプリマー新書

重要だと思ったところと気になったところをあげて、感想を書く。


第1章は個人化について。孤独感の理由と、どう成長したらいいのかが説明されている。僕は、勘違いに気づいて成長をすると考えている。この章を読んで思ったことは、勘違いをしなければ勘違いに気が付けないということ。勘違いの外し方が大きいほど明確に気付きやすい。

散らかしていく力も、成長を準備するものなのだろう。これは幾つになっても同じだと思う。この話の軸にあるものは青年期に移行するときだが、タイトルではそう限定していないし、誰でも共通する芯がある。誰もが問うことだし、問われることだ。

そんな人生の手続きのようなものが見過ごされている。日本に限らないかもしれないが、日本の社会の閉塞感はこのような手続きが不鮮明なままなところが原因なのではと思う。


第2章はなぜさみしいのか、的を得た行動はどんなものなのかがわかる。自分になっていく。一個人になっていく。そうすると当然、なにかは他者と独立していく。自分を保つものは自分と言える。内面の問題が生まれてくる。

集団的な人との接点ではなくなっていく。お互いが自分化していくために影響を与えあう。共通なところだけではなく、違うところにもしっかり目がいくようになる。「あの頃」から離れていく。こういった手続きを踏んでいない人がたいへん増えているのではと思う。僕も遅れをとったし、明確にしていったらまだまだ欠けだらけなはずだ。

よく好きなこと、やりたいことをして楽しめという。浅い意味でとらえたらどうしようもないとは思うのだが、そんな注意書きなんかない。だいたい、好き嫌いと、いい感じと退屈の違いが意識されていないと思う。無心になれるものと刺激と、的を外した理解になっていると思う。外部に解や快があるという世界観を逆転して、内部に発想を変えていくことは今は難しい。


それは、友だちづきあいというよりも社交に近いのではないだろうか。

pp.85

第3章は対処的なことばかりしてしまうものだが、それでは逆に辛くなってしまうとわかる。現代に感じる違和感は、みなキャラを演じているところだ。元ネタを予想する面白みもあるのだが。でもそれはギャンブル性が高いし、他者のコピペではないか。100%のオリジナルが自分ではなくても、もっと自分には自分の可能性があったのに。

その途中段階の対決的な時期を、真っ直ぐに苦しめなかったのではないか。人のことを言えないのだけれども、社会に苦しめられて仕方なくそうした時期があったので、そういうものがあることはわかる。


第4章は、なぜ成長段階を真っ直ぐに進めないのか、やさしさ社会の毒がわかる。個人個人の問題だけではなく社会全体でも、フリであってもやさしくすることを求めている。気に入らないことは処罰対象になっている。すぐに声をあげることができる。

同時に、やさしさ社会からはみ出さないように、多くの人が気をつかっている。そんな状況では、成長力がひ弱になる。その弱さに合わせた社会が必要なのか、それとも、それを反省していくのかではまるで話が違ってしまう。

それに合わせた社会を作れば生きやすくなるように思えてしまう。だけど、自分を獲得することであったり、状況に対応する力であったり、能力の強化は自己責任になる。それに今もうすでに、それが問題にもなっている。


第5章は自分になるためにどう鍛錬すればいいかわかる。日頃思うことがある。厳しい言いかただと思うけれど。「一人でやれないのなら本当にその人のやりたいことではない」のではないか。

誰々とやりたいとか、誰かいたらやりたいという傾向があると思う。僕もそれはある。ヒトは結局、「人間同士」を求めているのではと思うのだ。とはいえ、「私」という識別をはっきりさせないことは、人間同士を手に入れていても私の苦しみは変わらない。

それと同時に、私の苦しさが「人間同士を傷つけている」ではないか。「私」は「私」を求めるのであれば、「私」を手に入れずにはいられない。現代人が幸せを求めておきながら満足に手を伸ばして矛盾したまま脱することができないのとそっくり同じだ。

「私」を分析して理解して、そうして「私」を手に入れる。その時に「私」をさす言葉が必要になる。同じような意味合いでも、ニュアンスの納得も必要になる。話し言葉だけではなく書き言葉も必要になる。文学、小説がどれだけ生き心地につながるか、体験した人にしかわからない。

日常会話でもおすすめがよく出てくるし、あれはダメだとかの話も出てくる。画面は、広い意味でのCMだらけだ。CMがない画面などない。もう、自分で意識していないとほぼ、自分になれない。顧客化する。というよりもう初めから「顧客」になっているので、脱顧客化をしない人はそれが何を指しているのかわからないはず。「顧客」から「自分」という工程をいかないといけない。「私」になるとは同時にそういうことでもある。

☆☆☆☆☆

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?