見出し画像

一節:マドロミ

「今日は幸せな日だった」

夕飯の前に仮眠をとろうとしたときにそう思った。夕方に帰宅して、疲れで起きていられなさそうになった。少しだけ抵抗したがやめた。布団に横になった時そんな言葉が浮かび、大事な気がしたので、眠気にあらがって書き残すことにした。20分後にタイマーセットしたタブレットのメモに書き込んだ。

そんなことをすると眠気が薄れる。それでも眠いのだけど、眠れる気がしなくなっていた。

「脳波」だ。内部に向かっていた意識が外部にあるタブレットに向いて、シータ波からアルファ波になったのだ。「今のわたし」に戻ってしまった。


実際「今」の僕は過去も思い出せるし先のことも考えられる。ヒトには、私はこれまで生きてきたという今がある。ある人の今とは、これまでのその人の人生内容と同じだ。それが現状のその人の、人生の気持ちだ。これまで人生全体を振り返って、これであなたは大体おっけいですか?と、そう問われてどのように返すのか、だ。

僕が人生に望むもので欠いているものがあり、決定的に幸せでないと感じてしまうものがある。結婚して家族と暮らしたい。気絶しそうになるほど悲しくなることがある。


幸せな人生とは感じられていなくても、幸せだと思う日が時々ある。それはそれで嫌になってしまった。ぬか喜びみたいな、一喜一憂トータルがっかりみたいな現状の人生にだ。幸せな日がないよりは遥かにいいけれど、これを望んでいるわけではない。

幸福とか幸せを考えて、求めていっても、悲しみを無視していたならおそらく欠ける。欠けるというよりかは、幸せではなくて満足したかどうかだろ?と。気を逸らし続けられたかどうかともいう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?