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走れ、悩みんちゅ

最近走ることにはまっている。1つ前の記事でよく散歩していると書いたが、その散歩をランニングに変えてみた。きっかけは夜になると身体に纏わりついてくる「奴ら」を振り落とすためである。仕事が終わって、夜ご飯を食べ、ボーっとしてリラックスしている身体に奴らはやってくる。

アンミカさんも言っているが、夜はあかん。考えても考えても答えが出ないこと、捉えようのないどうしようもない不安、その他諸々が疲れ切った身体に流れてくる。少し前の私は、それら流れてくる一つ一つに向き合っていたが、最近は向き合うことをやめた。奴らに、諸手上げて腹を見せて寝転がって、もう好きにしてくれって感じだ。

往々にして、夜に飛びかかってくる後ろ向きな考えや不安って、どれだけ考えてもその場で答えは絶対出ない。奴らは人生のふとした瞬間に倒すことができていたり、自分でも気づかないうちに乗り越えられたりしているものなのだ。勝ち目のない勝負に挑むほどの無鉄砲さはアラサーのオカマにはない。ましてや愛想笑いを顔に貼り付けながら仕事した後である、リングに上がる気すら起きない。だから、もう身体を床にほっぽり出して、奴らの好きにさせている。

ただ奴らはやり口が大変よろしくない。私の身体の表面を舐めまわすだけならいいが、敏感なところ、それも身体の内側のに無遠慮に手を突っ込んでくる。もうそんなことされたら黙ってられない。奴らの狡猾な愛撫をただ受け入れるマグロではいられないのだ。かと言って、奴らに愛撫を返す訳にはいかない。そんなことしたら、その後に続くのはただただ虚しさが積もる地獄のような同衾だ。

だから私はそこから逃げる。すくっと立ち上がり、スマホとイヤホン、家の鍵を握りしめたらよーいドン。狭い玄関を飛び出し、夜の町へ駆けてゆく。始めは奴らもついてこようと追いかけてくるが、次第に追いかけてこなくなる。奴らを振り切った私の身体に纏わりつくのは、一日で蓄積した疲労と夜ご飯に食べた白米とその他諸々だけである。奴らがいない身体は軽い軽い。平日の、明日も仕事が待ち受けている夜だけど、どこへでも行けそうな感覚にさえなる。

走り終わった後には奴らの代わりに、汗でびちょびちょになった服と心地よい疲労感が纏わりつく。これでいいのである。汗でぐちょぐちょになっている私はお世辞にも美しいとは言えないが、これでいいのである。

今現在何か悩みがある人、なかなかドツボから抜け出せない人、つまづいてから起き上がれない人は一回騙されたと思って走ってみてほしい。奴らに手籠めにされる前に、走って逃げてしまうのだ。走れ、悩みんちゅ。今日も夜な夜な玄関でクラウチングスタートするオカマなのであった。

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