田舎と都会の幸せの形に関する一考察

2021年の盆、今回の帰省でそれに気付いた。
地元に留まる24歳前後の人間は、やれ明日の仕事が、やれコロナが、家族が、大雨が……といった風に何かと理由を付けて、エグめの飲み会をしようとしないらしい。
もう飲んでるの俺だけ。

明日のこと何も考えずに飲んでるのなんて俺だけ。
アルファードやヴェルファイアのようなミニバン車を買い、自らのガキの襟足を伸ばし、毎週ゆめタウンで買い物をし、月に1~2回福岡まで遊びに行く。それが佐賀県に根を張ることを決めた者の平均的な幸せらしい。
基本的には、その襟足の長いガキも同じような人生を送るようだ。そんでそいつらはそれが幸せだと信じて疑わない。その純粋さには羨ましささえ覚える。

ちょっと待ってくれよ、と。
俺はそんなクソ田舎での将来が嫌で千葉、そして東京に出てきたんじゃなかったのか、と。
そうだ。明日は三茶でシーシャに行こう。十番のクラブに行こう。

最前で誰よりも大きく踊ろう。
東京のバーなんかに痛い経営者やビジネスマンのオッサンが多いのもこういった背景があるのかもしれない。

ド田舎おもんな輪廻から解脱し、都会に来たとしてもDNAに刻まれた田舎モン魂を完全に消し去ることは不可能なのかもしれない。

井戸から出て大海へ出た途端にその激流にあくせくするぐらいなら、武蔵家のラーメンを食べることなく、代官山の菊信でドメスの服を買うことなく、ハーレムでYENTOWNのライブを見ることなく、一日の締めくくりに楽天地スパでととのうことなく、井戸の中で可能な限りの幸せを享受するのが吉なのだろうか。などと考えてしまう。

幸せとは何か考えさせられる。

まだ尖っていたい気持ちはあるな。

30~40代になって夜の東京でイキリ散らかすオッサンにもなりたくないけどね。

バランス感ってどこかで教えて貰えるんすかね。

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