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マヌケ戦法

 おねしょというのは、最近はしていなかったのですが、やっちまった。酩酊、朝方、なぜか炊き上がった米3号に、5時ちょうどから2分おきに鳴る携帯電話の目覚まし機能。止めても止めても止めどなく気の狂ったサイレンが鳴る。誰が鳴らしている? 甲子園球児の見る悪夢の冒頭に鳴るサイレン。それで、私の昨晩が綴ってある本は一体誰に貸出中だ?
 部屋の中で割れている一升瓶と12回もの大家からの不在着信、110番しようとした形跡、いのちの電話、いのちの電話、水道レスキュー。こりゃまずいなと焦りサイレンをすべてキャンセルしたうえで携帯電話を丁寧に調べると、出てくる出てくる通販サイトでの注文履歴。電子ドラムにカンカン帽、知らない漫画の最新刊、だせえマウスパッド、だせえマウスパッド、良い靴下、花束。それから、日記帳。勘弁しておくれ。そのほかすべてを受け入れることができるが、日記帳だけはいけません。日記というのは、ダメだよ。死んだら誰かに読まれるのだと思うと、永遠に生きているほかなくなってしまう。あかるい部屋で読まれてしまう。発見の朝は、体験の夜以上に残酷で、その残酷さゆえに退屈さまでも纏って死者を赤面させるだろう。王様の耳はロバの耳だと打ち明けられる穴なんてこの世には無いのだ。あの世にも無いだろうが。どこにも無えんだろうが。日記というのは、つづいたためしもないし、こんな、2万もする革表紙のものを買うなんて、正気の沙汰じゃあないよ。そう、正気の沙汰ではなかったのだ、何もかも。
 とりあえず水でも飲もうと布団を出たところで一時停止され、巻き戻される。どこに行くのだろう、誰が操作して、誰が見ているのだろう。私のくだらない早朝は、時間をかけて巻き戻すほどの魅力は当たり前に無く、巻き戻しに費やす時間で英単語を3,4個覚えたほうが有意義というものである。たとえば LOVE だとか、たとえば勇気を英語にしたものだとか。V は下唇を噛んで発音する。セクシーだからね。
 巻き戻しの途中、おねしょをしたのは4:10だと知る。巻き戻しがゆえに逆さ言葉で寝言だが、ネとシしか言っていないためにそれが「シネ」であることが分かる。死は英語で DEATH である。ここまででもう3つ英単語を覚えたことになる。布団は逆行する時間のおかげでもう乾いている。

 不思議なもので、巻き戻し中でも思考は巻き戻されずに再生されつづけている。脳みそまではいじれないのだろう、そりゃそうか。ビデオデッキでもブルーレイプレーヤーでも、見えている部分の再生や巻き戻し、早送りはできていると誰の目から見ても明らかであるが、思考だとか気持ちだとか精神性だとかの見えていない部分は画面の中の人物にしか分からないもんな。そして、画面の中の人物は映像であり、カメラ対人物で撮影していたときはその場に肉体や思想もあったのだろうが、映像となり画面対視聴者になった時点でそれは切り離される。奇妙なもんだね。だとするならば、映画やドラマは肉体の不在を……まああれこれ考えていても仕方がないので巻き戻されるがままになっている。まるで力強い迷惑な風が私の今日の日記から順に過去へ向かっているようだ。ほら、いつの間にか一升瓶が割れる前の姿に戻っている。ほら、いのちの電話に着信拒否されている……そんなことってあっていいのか?
「おかけになった電話番号への通話は、お客さまのご希望によりおつなぎすることができません」の逆再生。

 ダメなままで生き延びた。真っ暗な部屋で再度おつなぎすることができない旨を伝えられる。もしも何か言われていたら、日記帳の代わりに遺書を書くための紙を買っていたかもしれないな。孤独には他者が介入してきちゃいけない夜もある。なるほど、そんで着信拒否。一升瓶割れたっておねしょしたって明日へつづくってこと、先延ばしはつまりまだつづくってこと。飽きるまで酔っ払っている。視聴者諸君のあくびが見える。だがいつもと違うのはその精神性である。TV SHOW となった私のナイトルーティンはここにきてようやく作り物になれたのだ。分かったよ、きっとこれが101回目の再生だろう。安定した連属性の中では0から1になる瞬間を見極めることはとても難しい。面白いシーンだけ繰り返し見ていたら尚更だ、これは私の人生である。1にしてすべて。かなりショボいすべてだけど笑ってくれるなら何度だって見せるよ。
 日記とは生き延びるためのものらしい。遺書が死ぬためのものだとするならば。死んだら読んで笑ってまた巻き戻ししてくれればいい。何度だって日記をつけるよ。

 連続性を保つことで守られていた勘違いの自己は酒によって剥き出しになり、泣き言は着信拒否、二日酔いでぼんやりしたままさっきまで部屋に侵入してきた夜に突入する。巻き戻し終了。一時停止し、再生。人生は一度きりしかないと云うが、私のように巻き戻すことができるとしたら? 再生とは再び生まれると書く。再び生まれた私には、それでも酒を飲まないという選択肢は無く、酒を飲みます。また泥酔するだろう。誰か知らないが、私の生活のリモコンの持ち主よ。見ているか? 瞬きせずに見ろ。何度だってダメな夜を繰り返して朝を迎える。2分毎に鳴るサイレンはいちいちすべて止めてやる。着信拒否されても何度だって命乞いをしてやる。2万の日記帳に何度も繰り返すこの夜を綴ってやる。早送りはするな、巻き戻せ。再生しろ。眠る前にトイレだけは行くようにするけどね。
 再び生まれるってならそれでいい。流しっぱなしのマヌケ戦法でGOだ、今度こそどうなっても知らないぞ、泣くもんか(泣)

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