【奇跡!】漫才で変わる人生。
特別なクラスとは言え、体育の授業はもちろんある。
体育は普通のスポーツと武道という科目が分かれており、
どちらも隔週でやっていた。
その時は他のクラスと合同で男子のみという形で行われる。
当たり前だが、クラス対抗の場合は私たちのクラスが点を入れたり勝ったりすると一斉にブーイングが起こる。
武道大会で剣道の試合をやった時はほんとにやるせなかった。
私のクラスの中に剣道経験者が数人いた。
中学まで剣道部だった子が2人、小学校の頃剣道を習っていた子が2人、
そしてスポーツ万能型の子が1人。
私は試合をするメンバーに入ってはいなかったが、どんどん勝ち進む。
剣道部にも勝つ。一本とるたびに、勝つたびにブーイング。
ブーイングで盛り上がるという稚拙極まりない状況。
その時、試合をしているうちの1人が他のメンバーに耳打ちをする。
「負けて教室戻ろう。」
そして、次の試合。彼らはバンバン打たれてわざと負けた。
もはや剣道の体は保たれず、ただ木の棒で殴られているの構図。
審判である教師がとめるという試合状況だった。
解せないのは、その剣道の名を借りた「木の棒殴り」をとめる時、
教師は笑っていた。ゲラゲラ笑っていた。
つられて生徒もゲラゲラ笑う。
そういう人間が、スポーツのなんたるかを説き、
そういう人間が、チームや絆をゴリ押しして、
そういう人間が、多感な時期の子供を教育することが許されている。
私は、狂っているんじゃないかと思う。
なぜそんなに気に入らないのか、
このクラスにいることがそんなにいけないことなのか。
教室に帰っても誰も口は開かなかった。
みんなの喉にはもしかしたら木の棒が詰まっていたのかもしれない。
ただいつものように参考書やプリントを開き、勉強を始めた。
武道大会で早々に負けて帰ってきた私たちを見た担任は
「10分後に数学。黒板書いとけ。」
私はなぜか詰まった喉が抜ける気がした。
木の棒にかまっているヒマはない。
10分以内に黒板を仕上げなければならない。
いつもの数学をこなしていった。
そして次の日、武道大会から一夜明けての武道の時間。
なぜか全員柔道場に集められた。
どうやら前日の武道大会で全てのカリキュラムが
終わってしまっているらしい。
要するに予備日としての1日が余ってしまったということだった。
武道の科目担任は地獄の言葉を放つ。
「今から各クラスから代表を出してみんなの前で芸をしてもらう。」
体育会系の飲み会のようなノリ。
与えられたルールは
・代表の人数制限なし。
・何してもいい。(歌うなり一発芸なりなんでも)
・面白ければ成績に加点する。
・持ち時間なし。(なるべく長くならないようにとは言われた)
他のクラスでは「お前やれよー」とか「俺行きます!」とか
騒然としている。
私たちのクラスは無言だった。
誰もお前やれ、とは言えない。誰も何もできないから。
だから無言。
最初のクラスの子が始めた。
プッチモニを踊っている。手拍子が巻き起こる。
この踊っている子は、かなりのいじられキャラで出るとこ出たら
ギリギリいじめ認定されそうな子だったが、
こういう時は使い勝手のある人気者だった。
次のクラス。
数人がモノマネをする。最近の人気の歌手や芸人のモノマネ。
最近の歌手に至っては全くわからなかった。
次のクラス。
3人でショートコントみたいなやつ。
ナントカ先生の授業風景みたいなのをコントっぽくやってた。
みんなヘラヘラしながらやっていて気持ちが悪かった。
それを見て笑っている生徒らも気持ち悪かった。
このぐらいからもう私たちのクラスの出番が近づいてきているので
みんながソワソワし始める。
出る出ないで揉めていたらそれこそダサいと個人的には思っていたが、
おそらく他のみんなも少なからず
出る出ないでこの空気を止めることは気が引けていただろう。
「はい。次。」
私たちの出番。
私はプッチモニの段階で覚悟は決めていた。
誰も出なければ・・・と。
相方に一言「イケるか?」と呟いた。
相方は怖かったろう。初めてこんな大勢の前で漫才をする。
バスの車内は聞いてるのか聞いていないのか、
別に聞かなくてもいい空間。今はみんなが私たちを見る。
私も「イケるか?」と声をかける時相方を見なかった。
怖かったからだ。見ていたのは他のみんなの顔。
みんなにアイコンタクトで「おれ行くよ。」と伝えた。
相方は何も返事はしなかった。
しなかったけど、覚悟の面持ちというかもう諦めの面持ちだった。
2人で立ち上がった。
みんなの前まで歩いて行く時、相方にどのネタをやるか伝えた。
「ヤンキーのやつね。」それだけを伝えた。
数少ない練習の中で何回も繰り返したネタ、
バスの車内でも結構な人数が笑っていたあのネタ。
相方は小さく頷く。
教師の「はい。次。」からここまでほんの数秒だが、
私にはすごく長かった。
そして静寂。
さっきまでの盛り上がりが嘘のようだった。
「こいつら何かするのか?できるのか?」
そんな空気が一瞬にして立ち込める。
みんなの前に立ち、顔を見た。
睨みつける者、ニヤニヤしている者、そもそもこっちすら見てない者。
馬鹿にできるところを探して、卒業までいじり倒してやろうという顔の者。
私たちの初めての人前でのライブだった。
大爆笑。
ブーイングでも、嘲笑でもなく、純粋な笑い。
最後のオチが終わり、ありがとうございましたと言った瞬間
すごくすごく大きな拍手と歓声が巻き起こった。
気づかなかったが今まで王様かよってぐらいパイプ椅子に
踏ん反り返っていた教科担任も
立ち上がって並んでいる生徒の真後ろまで迫ってきて拍手をしていた。
私たちはゆっくりと舞台から離れ、列に戻った。
隣の列の他のクラスの子が何か言いながら握手してくる。
肩を叩かれたり、肩を組まれたり、何か話しかけてくる。
笑顔で。
私は彼らが何を言っているのか全くわからなかった。
前に出る時より、漫才をやっている時より混乱したし緊張した。
全てが終わり、教室に戻る時私たちは達成感や優越感ではなく、
恐怖感を抱えていた。
この漫才が担任の耳に入れば確実にやられる。
連帯責任なのでみんな一緒に殴られる。
漫才をやったこと、ウケてしまったこと、
何より突然やったような漫才ではないことがバレたら
私たちがこっそり練習していることがバレてしまう。
私たちに笑顔はない。
しかし不思議なことに、担任はそのことには触れなかった。
知らないはずはないのだ。
教科を受け持っていないよく知らない教師からも
「漫才の子でしょ?」とか「おれのクラスで漫才見せてよ」
みたいなことまで言い出す教師が出るぐらいだから知らないはずはない。
なのに、何日経っても殴られない。
逆に一抹の不安を抱えながらも私はどんどん高揚感が増していった。
それからその漫才を見た一部の人間だけだが、
前のような罵声や罵倒が少なくなった。
相変わらず数は減った気はしないが、
一部だけでも「こいつらはイメージと違う」という
ことを認識されたことだけでも結構な功績だった。
それと同時に、私の笑いに関する思いは強くなった。
純粋にすばらしいと思った。
人を笑わせるということ、人の価値観やイメージを変えること。
笑いはそんなことができるすばらしいことだと思った。
何よりも、私が操り人形から空気を経て、辿り着いた先は
何もないところではなく、きちんと身についていたものがったということが
嬉しかった。
薄ぼんやりと頭の中のあることがくっきりと形を成していった。
「漫才師に、なる。」
私は誰にも言わずひっそりと決めた。
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