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社会不適合者のスキルは『過負荷』?球磨川禊に聞く!

■社会不適合者は必ずスキルを持っている。

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社会不適合者は一般社会で生きてゆくことは非常にむずかしい。
しかしほとんどの社会不適合者が何らかの特殊な
特技や能力・センスを持っている。

それは自覚している者と自覚していない者、
まだ発現していない者も含めてである。

その特殊な特技や能力・センスは後天的なものであり、生きてきた環境や経験により獲得される。
その特殊な特技や能力・センスは目を見張るものであったり、一般社会では再現性が低い能力であるためこの“一律に同じ”ことが正義とされる世の中では非常に危険視され、排除の対象となる。

その行き過ぎた能力を身につけるために他の人間的に必要なものを削ぎ落とした形になっていると考える。

昨今は過剰なマナーや規則、同調圧力によって【結果】が重要視されない世の中になっている。
本来ならば会社や学校という“所属”ということよりも何ができるかという“能力”が重要である。

その中で、社会不適合者は類稀なる能力を持ち得ていることは幸いである。


■今回のテーマ“球磨川禊”とは。

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今回はわかりやすくある意味では「社会不適合者」を体現しているキャラクターを紹介する。

・めだかボックス、球磨川禊という男。
2009年〜2013年まで週刊少年ジャンプで連載された【めだかボックス】の登場人物。物語前半の強敵。マイナス13組という異常者集団のリーダー。
【過負荷】(かふか)というスキルの所持者。
「どこに打ち込まれても致命傷」と言われるほどひ弱で、どんな勝負にも勝つことができないが、そもそも勝つ気がはじめからなく、相手への嫌がらせをメインとする。相手には思いもよらないやり方で引き分けや敗北に持ち込み、全てを台無しにしようとする。

“思い通りにならなくても、負けても、勝てなくても馬鹿でも、
踏まれても 蹴られても、悲しくても 、苦しくても 貧しくても、
痛くても 辛くても 弱くても、正しくなくても 卑しくても!
それでもへらへら笑うのが過負荷(ぼくたち)だ!!”

・過負荷とは
おもに後天的に過酷な環境や状況で性質が決まり歪んだ人格から発生し実生活では役に立たない能力、欠点にしかならない特異な才能のことである。過負荷はいわばマイナスの利点である。

■“過負荷”と社会不適合者の類似点。

・社会不適合者の特徴
※これらはあくまでも一例でありこの他にも様々なパターンがございます。
※これらの項目は心理学的、精神医学的には何の根拠もありません。
※これらに当てはまる方すべてが社会不適合者でありません。
いたずらに他者を決めつけたり、侮辱の言葉としては使わないように。

(人間関係)
∟協調性がない。集団行動が苦手。人嫌い。人を見下す。一匹狼。
∟会話が苦手で口下手で本音や状況をうまく伝えられない。
∟人間不信。他人にどこまで心を開いていいのかわからない。
∟心を許した相手には遠慮しない。

(性格)
∟責任感が無い。猜疑心が強い。
∟他人をコントロールしようとする。口がうまい。嘘つき。
∟劣等感を感じやすい。人と比べてしまう。
∟自信過剰。プライドが高い。批判や不敬不満が多い。

(行動)
∟時間などルールを守らない、守れない。朝起きれない。遅刻が多い。
∟仕事や物事を継続することが出来ない。誰でもできることができない。
∟金銭感覚が危うい。遅延や滞納などお金関連が雑。
∟言ってはいけないことやふさわしくないことを言う。

(思想)
∟社会のルールや常識が間違っていると感じる。
∟みんなと同じであることに価値を感じない。
∟コントロールされるのがきらい。
∟同じ食べ物やルーティーンなどこだわりが強い。

社会不適合者は上記のような性質を持つことが多い。細かく書けばもっとたくさんあるだろうが、このあたりが一番顕著でありわかりやすい。

たくさんあるというのは、個人によって様々であるからだ。
一律にここに書いてあることがすべてではない。
上記にも相反する性質が並んでいるのがわかるだろう。

(人間関係)の項目に“会話が苦手”とあるが、(性格)の項目には“口がうまい”とあるのは、社会不適合者にはいくつかのタイプがあり、
まったく他者と関係を持てない者とそうでない者がいる。
詳しくはこちらの記事で【社会不適合者のタイプ】について記述しているので参考にすると良い。


・社会不適合者と過負荷の類似点

まず過負荷と社会不適合者の大きな類似点は、「後天的に過酷な環境や状況で性質が決まる」という点である。
この過酷な環境とは、虐待やいじめなどが最たるものであるが、
人間の心理というのはそこまで単純ではない。

虐待やいじめは人の精神を壊すものであるが、保護者がきちんと子供を管理して、干渉し保護者からすれば守っているという感覚で縛ることが
幼い子供にとっては“過酷な環境”にもなりうる。

虐待やいじめという誰が見ても悪、保護者の干渉や保護は善というこれもまた同調圧力によるものではないかと考える。

保護者の勝手な正義からは“過干渉”や“過保護”といったものは
子供の芽を摘み、経験の機会を奪い、他の子供との差別化を生んでしまう。

社会不適合者にはできないことがある、普通の人は何なくできることも
できなかったりするのは単純に経験や生活習慣の中での反復ができていないだけである。ある程度人格や体の動きを習得する期間が終わってしまうと
新しい動きを習得するのは難しいだろう。

そしてできないことを責められる世の中でなんとか生きなければならず、
マイナスな環境で育つ子供はどうにかして位置付けをしなければならず、
その穴を埋めるために特殊なスキル、能力、センス、思想を持つに至る。

むしろその「マイナスな環境」のまま一般大衆と戦うための能力と言っていいだろう。
一般大衆ができて当たり前のことして得る幸せを得ることができない代わりに、かなり異質な能力に全振りした結果が社会不適合者なのである。

この「マイナスな環境」が能力発現の原因となることが多い社会不適合者とはかなり似ている、というかこの漫画に関して言えば、
【球磨川禊】というキャラはストーリー上【社会不適合者】の表現ではないだろうか。


■まとめ

社会不適合者は必ず特殊な能力を備えている。
それはまだ発現されていなかったり、現代の言葉や感覚では表現できないようなものかもしれない。

しかしそれを一般の社会人に叩かれたぐらいで恐れて隠れていてはいけない。必要なのは「社会不適合者だ!」というある種の開き直りである。

たしかに一般的な人ができることができないかもしれない。
しかしそれをわざわざ叩かれる必要もないのだ。
わたしたちのような社会不適合者が世界を変える要素の一つかもしれない。

まずは、自身に類稀なる能力があることを自覚すべきだ。
欠点であろうと必ずどこかでプラスに転じる要素はあるはずだ。
欠点やマイナスを「改善」するのではなく、欠点やマイナスのまま
いかにマジョリティと戦うかを考え、研鑽を積むべきであると考える。

最後に今回のテーマ【球磨川禊】の名言で締めさせていただく。

あいつらに勝ちたい。
格好よくなくても強くなくても、正しくなくても美しくなくても、
可愛げがなくても奇麗じゃなくても、
格好よくて、強くて、正しくて、美しくて可愛くて綺麗な連中に勝ちたい。

才能に恵まれなくっても頭が悪くても、性格が悪くてもおちこぼれでも、
はぐれものでも出来損ないでも、才能あふれる頭と性格のいい、
上り調子でつるんでるできた連中に勝ちたい。

友達ができないままで友達ができる奴に勝ちたい。
努力できないままで努力できる連中に勝ちたい。
勝利できないままで勝利できる奴に勝ちたい。
不幸なままで幸せな奴に勝ちたい。
嫌われ者でも!
憎まれっ子でも!
やられ役でも!
主役を張れるって証明したい!!


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