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大人は意外と大したことがない話 『逆ソクラテス』を読んで 【ネタバレあり】

こんにちは、六波羅プーです。

伊坂幸太郎先生の小説『逆ソクラテス』を読みましたが正直めちゃめちゃ面白かったです。

※この記事は『逆ソクラテス』のネタバレを含みます。
まだ未読の方は以下のURLにネタバレなしの記事を貼ってますのでよろしければお願いします。



学生時代の無敵感


学生のころ、特に小学生のときというのは今よりもとにかく自由だった気がする。


カンニングの手伝いをしたり知らない人の敷地で遊んだり、道路にランドセルを置いてみたりなどなど…今考えると絶対にバレていた悪行の数々を平然とやっていたが、学生時代に1度くらいはだれでもやったことがあるのではないだろうか。


どうしてこんなことをしてしまったかは全く思い出せないが私はとにかく遊び半分でしていたような気がする。


これらの行動は善悪の判断がついていないといってしまえばそれまでだけれども、この無敵感というか万能感を私は大人になってからしばらく感じていなんじゃないかとふと思った。

逆ソクラテスの加賀と安斎も美術館で絵を入れ替える作戦をたてていたけれども、盗む直前にサイン入りの絵だということに気がついて作戦は失敗してしまう。
 逆ワシントンの倫彦としひこと謙介も友達が虐待されているかもと疑って、全財産を握りしめてクレーンゲームをしに行く。そこで手に入れたドローンで友達の家をのぞくというなんとも子供らしい発想で確かめようとする。


このふたつの作戦はぜんぜん綿密ではないし、正直いって後先のことを何も考えていない。しかしこの小学生特有のおそまつさみたいなものがなんというかとっても〝 いい〟と私は思った


 大人になったら自分が凡人ということにも気がつくし、たいていの人間が最期まで世界を変えるようなことは何も起こせないことに気づいてしまう。


しかし何にでもなれるとは思っていなかったけれども、なれない職業があるとも思っていなかったあの頃の気持ちを思い出してたまには無敵になってみたいなと思わせてくれる作品だった。

カッコイイ趣味


 カッコイイ趣味と言われて何が思い浮かぶだろうか。特に理由は無いけれど読書や勉強、乗馬などを私は思い浮かべる。

 逆ソクラテスの加賀も転校生の安西が趣味で美術館にきていることを尊敬していたように、趣味を尋ねたときに美術館巡りと言われたらなんとなくすごいと思うかもしれない。

しかしながら大人になって思うのは趣味に高尚も低俗もないということだ。高尚と低俗というと言い過ぎかもしれないが、趣味にすごい趣味もすごくない趣味もない

私は趣味とは個人が好きなことに時間とお金の消費することであってそこに上も下も存在しないと考えている。昼寝だってその人の時間をつかっているし、読書だってその人の時間もお金も両方消費する。
お風呂に入ることも旅に出ることも家でアニメを見ることだって個人が好きでさえあればそれは趣味だ。人によってその程度は違えど必ず時間かお金、またはその両方を消費している。

だからこそ他人の趣味をバカにすることほど無駄なことはない。さらに言えば、漫画を読むより読書の方が教養があり、JPOPよりクラシックの方が高尚で、ゲームをする時間に勉強をした方がいい、なんていうことも全くない

 子どものころは自分の趣味が恥ずかしくて人にいえなかったり、なんとなくカッコイイから好きでもないことを趣味にしていた人もいるだろう。
 しかし趣味は個人が好きなことに時間とお金を消費することでそれ以上でもそれ以下でもない。だからどんな立場の人間であっても自分の趣味を押し付けること。そして他者の趣味を批判する‪ことこれ以上に傲慢なことは存在しないと思う。

立派な大人


 小学生のころ担任の先生という存在はとにかく怖かった。自分の成績、家庭環境、交友関係にいたるまでなんでも知っているような気がしていたし、授業も全てひとりの先生が担当していたからこの世界のことをなんでも知っているようにさえ思えた。通知表を書くのも担任の先生だったことも大きいかもしれない。

 しかし、卒業後に以前の担任の先生と話したら印象が180度変わった。30代くらいの男の先生だったのだが、例えるなら親戚のお兄ちゃんみたいで会話が弾んだ。こんなにも明るくひょうきんな人だったのかと。

 中学生くらいまでは親を、生徒だった時は先生を無条件に尊敬し従うものとして生きていた。けれどもいざ自分がその大人になってみるとそんなに大層なものでもないし、大人になるのに特別努力をしたわけでも資格がある訳でもなく、なんとなく気がついたら大人だった。

『逆ソクラテス』にも怒鳴って恐怖で子供たちを従わせようとするコーチだったりストレス発散のために子供に文句を言うようなろくでもない大人が何人か登場する。

 あのころ無条件に正しいと思えた大人も実はたいしたことないのかもしれない。かと思えば、磯憲いそけんのように何人もの生徒に影響を与えて尊敬の対象となる先生もいる。

 他人の素敵な部分、自分がいいなと思った部分を尊敬して悪いところは真似しなくていい。周りが大人ばかりの子供には難しいとはわかっているがやっぱり、先生や親などの大人たちを盲信して欲しくないと思ってしまう。時には自分の意見が正しくて自分より偉い人間の意見が間違っていることも往々にしてある。


終わりに


 学生のころ、特に小学生のころは自分がこんなにも凡人だな思ってもみなかったし、大人はみんな漠然とすごい人だと思っていた。しかしいざ自分がただの大人になると大人って意外と大したことないなと感じたりもする。

 先入観の話云々だけでなく、小学生目線のお話を大人の自分が読んだからこそ感じる部分もあって『逆ソクラテス』とても面白かった。

 



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