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フランスにも自由がない頃があった?!

1968年、フランスで五月革命が起こります。
五月革命は学生運動から始まり、当時のフランス市民たちに新 しい政治の季節の到来を予感させるものでした。

若い学生たちはそれまでの「父権的な政府」も 官僚的で怠慢な労働組合も拒否し、「若く斬新な政治姿勢」を打ち出して若者と市民数の力で圧 倒しようとしました。日本でも5月は新緑の季節で新しい息吹を感じますね。 

1938年にはフランスの大学生は6万人に過ぎませんでしたが、1961年には24万人、1968年まで に60万5千人まで膨らみました。爆発的な増加です。旧態依然と(古いまま変わらない)した当時のド・ゴール政権は、学生たちを発言権のある存在として認めておらず、倦怠(かったるい)と 抑圧を感じる学生の不満は高まっていました。「平等!自由!セクシャリティ!」は革命運動のスローガンとなりました。 

実際のデモは、
・トロツキスト(バリケードを構築しての衝突や街頭占拠を進める学生や労働者の ことをこう呼びました)、
・マオイスト(毛沢東主義者のこと。中国で文化大革命を起こした政治家と して有名です。マオ・ツォートンとも読み、その人を支持する人の意味です)、
・アナーキスト(当時 フランスでソ連を非難する急性的な人たちを指します)、
・学生、労働者、市民、
・状況主義者(シ チュアニスト。ヨーロッパで当時結成された前衛(実験的な)芸術家や知識人らによる社会革命的 国際組織)、
・フランス社会党、共産党などでした。
 
これらは、性質は違っているけれども様々なグループが雑多に集まっていて、運動自体を高揚させていったところに、この革命の特徴があります。特に彼らの中でも、若い学生や市民が新しい主張をして、想像力豊かなポスターやスローガンを掲げていたことは、運動の長所でした。 

また五月革命の大きな意義は、フランスで急成長する速さと効率を重視する社会システムを、フランス国民ひとりひとりが「とめて」みる(「ゼネスト」と呼びます)ということにありました。映画「マト リックス」みたいに止めてみる。速すぎて息が出来ない!私たちには合っていないのに!となったのでしょう。これやりたいなー。

すなわち、この社会システムそのものを個人それぞれが吟味し、それが自分とどのように関わりがあり、どのような意味を持つのか、「国家機構」という集団性と「自分自身」という個人性の関係 性を改めて問い直してみた運動でもありました。

1789年の政治的なフランス革命とは異なり、大衆の不満から自然発火的に始まった運動だったとされています。
ですので、政治的側面だけでな く、「フリーセックス」「フリーラブ(自由恋愛)」(学生同士で性交渉する権利。当時認められていま せんでした)といった古い価値観を打破するという意識を持って参加する学生も多くいました。 

この運動により、労働者の団結権、大学における学生の自治権の承認、大学の主体は学生にあるといった、教育制度の民主化が大幅に拡大されました。

その影響は中長期的におよび、その後の女性解放、黒人やアジア人への偏見の見直し、セックスやマリファナの再評価、マイノリティ (少数派の、の意)運動、エコロジー運動など、現代につながる幅広い認識を迫る大衆運動のさ きがけとなりました。 

フランスは最初からすべてフリーではなかったのです。このことに驚きました。まったく違う人種かと思っていたのですが、そうではない。自分たちのおかしいところに対して、おかしいままにしないで、やっぱり意義を唱えていく。

ここはフランスと日本人の違いを感じます。どっちがいい悪いと、単純に言えない感じはしますけど…。それぞれの国に住んでると、「郷に入っては郷に従え」とも 言いますが、その「郷」すなわち「風習」を作っているのは、その土地に住んでいる人たちです。不特定多数の。 

日本では「大勢に紛れる」と安心する時があります。「出る杭は打たれる」的な言葉が普通の常識 のようにひとりひとりに染み付いている感覚があります。かといって自分だって日本人で染まってしまっている気がしてなんだか悔しい。誰が「自由」を定義するの?と思ってしまいます。 


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