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小説を発表するのは、いわば「下着でスクランブル交差点」である。

私はなぜ、自分の書いた作品を人に見てもらいたいと思うのだろう。

こういう時に一番はじめに考えるべきは、「なぜ発表したいのか」ということ。「たくさんの人に見てもらいたい」「いろいろな人の意見を聞いて成長したい」「自分の力量を客観的にみてほしい」「たった1人でもいいから、誰かの感情を動かしたい」。いろいろな動機が考えられる。

私の動機とは一体何か。

日常生活の中では、伝えきれないことがたくさんある。
笑いや落ちもないのにわざわざ人に伝えるまでもない小さな感動や、だれかに相談事をされて自分なりに考えて答えたものの、その人にとっては私の考えが正しくなかった可能性や、自分と全く異なる価値観に接したときに、その価値観のことはわからないけれど君のことは好きだ、ということを、どう言ったらわからなかったときや、あらゆる、伝えきれなかったことがたくさんあって、そういうものが時間をかけて心の底で混ぜ合わされて、一つの塊に練り合わされていく。それが、私の中で物語になる。やさしくて、時に残酷な形式だ。

なんとなくだけど、そういう気がする。

それじゃあ、そうやって結晶化されたものを人に見せる、というのはどういうモチベーションなんだろう。

ま、いちお、自分の書いたものを、面白い!と思っていなければ恥ずかしくて到底人には見せられないわけで、自分なりには面白い!ともちろん思っている。でも、それが人に伝わるのかは人のみぞ知ると思っているので、伝えたい!!!とあんまりがっついているわけでもない。面白さは人それぞれなんだから、伝わらないこともあると思うし、うまくすれば伝わることもあると思うし。と、なんだかこの辺りからウニャウニャしてくる。面白い!と言われたいかと言われれば、そりゃ言われたいです。でも、自分の意図と全く違うところに人は面白さを見出したり、こんな風に感じるかな?と想定いていたのと、全然違う受け止められ方をすることもある。だから、何を言われても結構フラットなのである。それに、自分のあずかり知らぬところで、誰かがそれを読み、もしかしたら心がどういう方向にか、動かされたりしているかもしれない。あるいは、途中でつまらなくて投げ出しているかもしれない。そんな風に読んでくれた人が見えないことの方が圧倒的に多い場合もある。

そう考えると、自分の作った小説を発表するっていうのは、川の流れに小舟を流すようなもので、これ結構面白いと思うんだけど、誰かのところに届くといいなあみたいな、なんかそんな感じなんだろうか。そんな牧歌的なことだったろうか。

いや?完成した小説は、「小舟」などではない。どちらかといえば「下着の私」だ。小説の中には、自分が詰まっている。もちろんフィクションなのだから、嘘なのだけど、でも、日常生活の中では晒すことのない自分の別の部分、いわばプライベートな自分が垣間見えてしまうだろうし、感じ方や考え方なども透けてしまったりするかもしれない(それが自分の感じている自分とは違っていたとしても)。これは「小川に小舟」どころか、「下着でスクランブル交差点」である。

小説を発表する、というのはそのくらい刺激的で、非日常的な行為である。小説を公募に出した後の夕方、などというのは、なかなか気持ちの良い時間だ。
私にはとても、「下着でスクランブル交差点に出て行く」ことは出来ないが、疑似的にそうする行為、が、小説を発表する、ということなんではなかろうか。私は透明になって、下着で街を出歩いている。実際の私はきっちりと服を着込んで、何食わぬ顔で信号を渡っているのだが、その少し上の方に、下着の私が浮かんでいて、少しだけ高いところから交差点の様々を眺めている。今日という夕方だけは、その視座に立つことが出来る。
どうしてそう感じるのかはうまく言えないけれど、私はその時、自分と世界が確実に繋がっている、と感じている。

じゃあつまり、小説を発表するというのは、全部自分のためなのか、と言われたら、それはまた違うかなあ?と思う。世界と繋がっている感じを求める、っていうのは、自分だけのためではないと思うからだ。
世界と繋がっている、という感覚の正体は、「だれかとわかり合いたいと思うこと」ではないか。他者に向かって開かれているから、世界と繋がっている感じがするのだ。それは決して閉ざされた「自分」のためだけではない。

人の心を動かしたい、とか、だれかの救いになればいい、とか、そういう動機も決して嘘ではないけれど、なんかもう一段階、深くなれると思っていた。

私はずっと、人に影響を与えるなんてことよりも、私自身がだれかと深く関わりたかったのかもしれない。
小説という、迂遠でまどろっこしくて、でも曇りのない方法を、なかなか手放すことが出来ずに、模索を続けているのかもしれない。



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