短編 バイオリニストと万年筆08
「高校の3年間、右利き用のバイオリンを練習している間ずっと、僕はこうじゃないのにと思い続けてきて、もうすっかり慣れたはずなんだけど今でも、右用バイオリンを構えていると、癖で変な反発心が生まれて、うまく扱えている感じがしないんです。だから、弾いている間もあんまり聴かないようにしています。自分がどんな音を出しているか、細かいところまでは正直あんまり、わかっていない。あなたが指摘してくれたのはそういうことだと思います。
動画を観ただけでもそんな風に気がつく人がいるのなら、本当はもうバレているのだろうか。それとも、あなたの感性が特別なんでしょうか。僕はがむしゃらにもがいてここまで来た訳ではない。それなのに、左利き用のバイオリンなんかで変に目立ったって、いいことはないと思うのです。メディアは絶対にこう尋ねる。どうして左利き用のバイオリンを?なんて答えればいいというんだろう。
手紙をありがとう。きっといい小説家になってください」
それが、彼の手紙の終わりの部分だった。
私はしばらく、まとまった思考を結ぶことが出来なかった。彼は母親に対して、愛と憎しみを抱いている(本当に?)。こちらが恥ずかしくなるくらいに明確に、彼の中の、まだかさぶたにすらなっていない痛いところを曝け出している(どうしてほとんど会ったことのない私に?)。手紙の最後の言葉は、もうさようなら、と言っているようにも見える。もうさようなら、だからこそ自分の痛みを晒したのか。でも、彼はとても切実に、手紙の返事を希求している。それはわかりすぎるほどわかる。彼は母親を乗り越えようとしている、みたいな言い方をするのは簡単だが、そんなことはこの手紙だけではわからない。彼の母親について考えてみる。彼の母は、バイオリン講師に口封じをしてまで、左利きのバイオリンがマイノリティであることを隠し続けた。そこにはどんな願いが込められていたのだろう。
海底から泡が立ち上るように、ふわふわと思考の断片が意識の上に浮上してくる。私はそれを無理に整理することなく、脳みそを波に預けてたゆたうままにさせておいた。外からスズメの声が聴こえてきたが、眠れる気配は全くなかった。
そして、返事はこれしかないだろう、と途中から直感していた通りに、一言だけ言葉を返すことにした。
ドイツは遠い。ラインでも交換すればよかったのだろうし、彼はプロなのだから、ホームページかSNSを辿れば、たった一言くらい、メールか何かで伝えることは出来ただろう。
でも、国境を越え、海を越え、彼のところに届くまでの道のりが長ければ長いほど、その言葉は強度を増していくような気がした。クリックひとつで画面上に現れるメッセージよりも、封を開け、折りたたまれた便箋を開いた瞬間に、ほとんど真っ白い紙の真ん中に、その言葉があった方が、いいような気がした。
彼の手紙もドラマティックで芝居がかってはいたが、私も大概である。
熱くなっちゃって、恥ずかしいの、と誰かはいうかもしれないけれど、私はこの1ヶ月近く、彼のことですっかり頭を支配されていたし、彼も多分、誰かに自分のことを伝えたくてもだえていた。
今の私たちの間には、彼の母親がかけたほど強いものではないにせよ、呪いめいたおかしな魔力が働いている。だからこのドラマティックは有効でありうる。
私は彼に貸したあの万年筆で、真っ白い便箋の真ん中に、
「左が聴きたい」
と書いた。
私の右手と、彼の左手が一緒になって、ペン軸を握りしめ、ペン先から出るインクを操り、望み通りの文字の形に滲ませているようだった。
私はまだ、一つの物語を書き終えた明け方の中にいた。
その物語が妄想の彼にまみれたものであったとしても、私はすっかり、「彼ならどうするんだろう」が次のシーンに私を引っ張っていくルールの中にいたのだ。
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