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短編 バイオリニストと万年筆06

「善意を蹴飛ばす。
相手の重さや軽さに引きずられない。
自分が本当に思ったことを言う」

私は今日職場で受取拒否をされたクッキーをかじりながら、ノートの端っこにその、三つの言葉を書き連ねてみた。
これは極端だ、とわかっていながらも、彼の手紙が纏っているさりげなさや、長すぎずも短すぎずもしない適切さ、飾らなさ、素直さ、ラフさ、でも紳士的。そんな、私の感じ取るあらゆる美点が、眩しかった。私も同じだけの美点を、手紙に込めたいと思ってしまっていた。
「美点」を同じだけ込められるということは、彼の手紙のいいところを、私は全部、ちゃんとわかっていますよ、という、無言のメッセージになればいいと思っていた。一言でいえば、私は、「お。やるじゃん」と思われたかった。気を惹きたかったのだ。

でも、そんなことを取り繕おうとして、もう一週間が経っていた。
だから私は、アメリカ帰りの同僚にあやかって、彼の善意や、手紙が醸し出す空気みたいなものは一旦考えないことにした。同僚に言わせればきっと、「そんなに時間かけて最高の手紙を作り込んで送られても、次に返事書きづらくなるじゃん」てなもんだ。

私は、自分の書けることを、のびのびと書くことにした。それが期待されていることかどうかはわからない。そういう私の「欲」の部分は、あとで考えることにする。
私が書けること、彼に本当に伝えたいこと。それは、多分、彼のことだ。
自分のことを伝えるのはひどく億劫で、劣等感や焦燥感が邪魔をする。だからと言って、能面のような態度で、通り一遍の返事を書くのも、適切ではないと感じる。

だから、たった一回しか会ったことが無く、youtubeで彼の演奏を検索してこの一週間BGMにしていたくらいしか彼について知っていることはないのだけれど(すでにやや重い)、それでも、彼のことを書く。
ちょっと気を抜くとただのラブレターになりそうなので、そこはなるべく注意して、ドライに。

私は手紙を仕上げた。

「こんにちは。お手紙ありがとうございます。万年筆を貸したとき、利き腕のことを気にしてくれたことがとても印象的でした。私こそ、楽しい時間を過ごさせてもらいました。
京都のフライヤー、拝見しました。青空の下で、バイオリンのソロ演奏。私はバイオリンの良し悪しは全然わかりませんが、快晴の屋外と、演奏の雰囲気が、きっと合っている感じがしました。フライヤーを見ただけで聴いてもいないのに、と思ったかもしれません。
実はインターネットで検索をして、これまでの色々な演奏を聴かせてもらいました(こんな時は、勝手に検索してごめんなさい、と言うべきでしょうか。でも、公式だったのでいいのかな。ネット・リテラシーというものが私はいまだによくわかりません)。先日の受賞式はホールでしたが、屋外や、美術館や図書館、カフェなどの演奏が多いのですね。ホールでクラシックのイメージしかなかったので、バイオリンにも色々あるのだなと知りました。どの演奏も、なんていうか、気持ちの半分は人々の笑い声や、風の音に向いている感じで…、他の音に耳を傾けながら、バイオリンの方はまるで自動演奏で行われているみたいでした。なんだかうまく言えないな。気を悪くしたらごめんなさい。つまり、風に煽られて、葉っぱが揺れる。葉っぱは揺れたくて揺れているわけじゃなくて、自分でも意識しないうちに勝手に揺れている。そんな感じです。一応、褒め言葉のつもりなんです。
いただいたドイツの写真、自分の部屋の窓に貼って、ドイツ気分を楽しんでいます。お返事本当にありがとう」

やりすぎだろうか。手を抜いて演奏している、と非難しているように思われたらどうしよう。あなたの演奏の、そういうところが好きです、と書いてもよかったけれど、好きですはストレートすぎるだろう…とドライさを保とうとした結果、伝わりにくくなってしまったかもしれない。途中で、「なんだかうまく言えないな」と書いたが、これはあざとくないだろうか。つい漏れてしまった心の声、という体を装ってはいるが、ただ弁解をしているだけだ。

気にし始めたら、一言一句が間違っているような気がしてきて、一晩寝かせたいと私は思った。でも、それでまた迷って先延ばしになってしまえば、どんどん気が重くなる。私は思い切って封をして、あした仕事へ行く前に郵便局に寄ることにした。

封をしてしまうと、急に肩の荷がおりた気がして、久しぶりに書きかけの小説に手をつけた。でも、今まで私が物語の中で描いてきた男の子が、いつの間にか彼のイメージにすり替わってしまっていた。こんがり日に焼けた日本男児だったはずの主人公は、憂いのある表情で窓の外を眺める細身の青年になっていた。それでも物語が破綻しないあたり、その人物像がその人物像である必然性はなかったのだな、と結論づけて、なんだかやる気を失ってしまった。私は小説を書くんだ。それでいつか、いつかどうなるんだろう。万にひとつ、いつかデビューしたとして、それで一体どうなりたいんだろう。彼はもうすでにバイオリンの演奏でお金をもらっているのだから、ほとんどプロと言っていいんだろうけれど、その先に何があるんだろう。聞いてみたいことがたくさんある。
彼の演奏は、風の音を聴きながら、自分の出している音にも聞き入るお客さんにも全然興味がなさそうに見えた。晴天の空に向かって、音が伸びきって消えて行くのを眺めているみたいだった。それは私にとってはとても好ましく思われた。
「自分」から解き放たれているような、たたずまいだった。

少なくとも私にとっては、だが。

また彼の演奏する姿が頭の中で繰り返された。

応援いただいたら、テンション上がります。嬉しくて、ひとしきり小躍りした後に気合い入れて書きます!