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短編 バイオリニストと万年筆04

手紙の返事がなかなか書けずに、5日間が過ぎた。
彼が一度使ったあの万年筆を弄び、日がな真っ白い便箋に向かい合った。

読めば読むほど、考えれば考えるほど、ドイツに住むバイオリニストと、日本で派遣社員をしている私が手紙のやりとりをするのは不釣り合いに思えて、何をどう書いていいのかわからなくなってしまった。

そんな卑屈なことを考えるのは馬鹿みたいだ、と私はわかっている。今の私はどう考えたってそうなのだし、自分でもそれを納得した上で、小説を書きながら派遣社員をしているわけなのだから、堂々としていたらいい。

それでも、作品を完成させて、誰か、あるいは何処かでそれをお披露目しない限り、その過程は存在していないのと同じだ、と思うこともある。小説に費やしている時間が存在しないものに対する労力だとしたら、私という存在は半分くらい存在していないことになる。
私は書いているし、どこかに向かって進んでいるんだ、と振り払えることもあるし、そういう風に出来ないこともある。そういう風に出来ないときというのは、何も目指していない「ふつう」の人ですよ、という顔をして、模範的な職務態度をとってみたりする。
そんな日の夜はブルー。真夜中に飲酒して、それでも淀みが消えなくて、酔っ払ったままランニングする。

自信がないんです、という人がいるが、私はあれを信用していない。自信がないことなど多々あるが、自信がないことと、それを外に向かって言うことは全然別の話だからだ。自信がないことを公言して、一体なんのメリットがあるんだろう。自信がないんだったらしょうがないね、と何かを免除してもらうためだろうか。
私は自分の中身にも外見にも全然自信がないけれど、何も気にしていないような、能面のような顔で世界をやり過ごしている。
多分、そういうことは自分の中で内省し、突き詰めて、小説の中で昇華すればいいのだと思っているのだ。私の書く小説は、そういう類のものだ。

でも、この手紙の中でさえ、私は能面のままでいいのだろうか。自分の自信のなさ、あなたとは不釣り合いに感じていること、手紙を書き始めるのがこわいような気がしていること。そういうことを全部飲み込んで、澄ました顔で、京都のライブ、とても楽しそうですね。私も聴いてみたかったです。なんてことを書き連ねて、それで、いいのだろうか。

最初の一通目は当たり障りなく通り一遍のことを書けばいいとも思う。でもつまらないと思われたらもう手紙が返ってこなくなるのではないかという不安に苛まれて、それも思い切ることが出来なかった。

ようするに、私はどんな方向にも思い切ることが出来なかった。何を書いてもリスクはあるし、何を書いても、相手がどう感じるかは操作することが出来ない。
それなのに、失望されたくなかった。無性に、どうしても。

心が激しく動いている。世界をやり過ごすことが出来そうにない。でも、当たり障りのないことよりもずっとずっと、こんな醜い、自分でも言葉にするのが怖いような感情を万年筆に載せることの方がきっと、手紙が来なくなってしまうリスクは高い。

こんなこと人に言うべきじゃない。ましてや失望されたくない相手に言うことじゃない。でも、お互い頑張りましょう、と軽やかに次いで出た彼の言葉が蘇って、また筆が止まる。

この5日間、小説はひと文字も書けていなかった。
1日毎に、罪悪感が増していく。小説も書けない、手紙も書けない。
仕事でも契約はもちろん取れない。増えるビールの空き缶と、汗まみれのTシャツ。私は毎日何をしているんだろうか。



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