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誰の役に立ちたいのか

「わたし、役立たず…」
わたしのメンタルがうつに入った時に言う口癖。
今日も自分を責めるこの言葉が頭をちらつく。

「ねぇ、誰の役に立ちたいの?」
1年半、幾度となく呟いた言葉への、はじめての質問だった。

…社会、同居人、自分。

>社会の役に立っていない。

いや、今は「休養中」の身だ。
社会の役に立つことは必要とされてない。
それが叶うのはずっと先の話。
そもそも社会の役に立つって壮大なこと言ってるのでは。
役に立てたら素敵だね、くらいでいい気がする。

>同居人の役に立っていない。

役に立つに越したことはないが、同居人も大人だ。
私の力がなくたって生活ができる。
役に立とうとするのは元気な日だけで十分なはずだ。
友達と一緒にいる時に「私の役に立ってくれ」なんて思わないし。
きっと向こうもそうだろう。

>自分の役に立っていない。

自分の役に立つ、ってなんだろう。
自分のご飯を作るとか掃除をするとかかな。

自分を大事にすることが自分の役に立つこと、と仮定するならば、
体調が良くないのであれば、
休むことも自分の役に立つことのひとつなのでは。


一体「役立たず」って誰に対する自分への言葉?


もしかして相手もいない言葉でずっと自分の首を絞めようとしていた?

そんな寂しいことがあっていいものか。

「役に立たないと意味がない」という自分への呪縛を、
そろそろとっぱらわないといけないのかもしれない。


何もできなかった、いいや、息をしていた。

今日をやめることを止めて、息をしていた。

それだけで100点だと、言い聞かすのは何度目だろう。


「誰の役に立ちたいの?」

いや、誰かの役に立っても、立たなくても、いい。

役に立つかどうかと存在価値は別だ。
観葉植物は役に立つわけではないけれど、十分に存在価値があるだろう。
わたしだって、いるだけで存在価値があるのだと、自分で自分を認めよう。


繰り返し、繰り返し、自分を振り返って、言い聞かせて、
そうして心から認められる日が来るまで。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。