社会になじんでいくことについて

私の好きなジャーナリストコニーさんのインスタグラムの投稿を見て思った。

「怖いのは社会になじんでいくこと。歳をとるたびに経済的、物質的、地位的いわゆる安定のために自分の野性をきりすてていく。社会に求められる単一の価値に自分を寄せていく」

それが社会にもとめられているから、お金になるから、安定するからという理由で自分の感性や価値をすり寄せていくことが、恐ろしいってことすっごくわかるんだ。
さいきんよく考える。大学卒業まで自分の感性と直観に従ってたくさんワクワクしながら生きてきたのになんで培われた経験、能力、好奇心を社畜と化すどこかの会社に貢献しなきゃいけないのって。名の知れた大手企業の一員になることが私の存在と今までの経験を肯定し、評価されていく。なんで学生か社会人かという線引きで今までのワクワクした世界も線引きされていくんだろう。そしてなんでその会社で成績を収めることが価値とされ、必要な存在とされ、それ以外の野生心は削られていくんだ。

YURRYも会社に入ればトップの成績を収める自信があるし、それに伴う試行錯誤や環境を受け入れてなじんでいくことができる。だけどなぜそれをしないのかって、そこに入るともう自分は社会の歯車で、大事にしてきた経験も能力もその会社のためだから。会社は社会のためにあるけどほんとうにそうならなんであんな過労働してるの?なんであんなに残業して苦しんでるの?社会人になったわたしの友達もみんなそれで苦しんでる、あっという間に目の輝きも目標も自分への自信も失って、転職なのか入る会社が違ったのかなどと悩んでるんだよ。社会のために会社があるならなんでまず従業員を大事にしないの?自分の家族たる社員を大切にできずしてなんで社会へのミッションなんてかかげてるの?まじで意味わかんない

そんな社会だからわたしが大切にしてきたホンモノの価値を適当に扱う会社になんてぜったい入りたくない。若者の希望を搾取する労働構造なんてぜったい間違ってる。今までも若者に教育をしてきたのは未来をよくするためなのに、学生と社会人という線引きで手のひら返しのように希望を労働環境から踏み潰すのもおかしい。

会社に価値とされる自分になることは裏を返せば利用される自分になるってことなんだって思ってる。資格とかスキルとかはぜんぶそう。だけどそうしないと生きていけないくらいこの社会構造がでかすぎて、そんな社会に中指たてて自分を貫き通すことが痛くて痛くて難しいんだ。
働けば金も入るし、安定もするし、この社会の経歴という履歴書を埋めることができる、それは人を判断する偽りの肩書。なんでそんな肩書をキラキラさせるために自分を抑え込まなきゃいけないんだってクソって思う。

ほんとうは気づき始めてるし、みんなもわかってきたでしょ?このあり方はおかしい。私たちは裕福になるために動くし、チャレンジをするんだ。利用されるために生きているんじゃない。大学卒業したら自分のホンモノを失いながら働くんだって、そんなのは洗脳。まったくの洗脳だよ。だから自分のホンモノに耳を傾けながらそれを失わず生きていくことが自分のあり方の最短ルートで楽しく生きる方法なんだ。仕事をやめること、環境を変えること、希望を失う社会に未練はあるか?

いや、ない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?