じいちゃんは漁師、両親は高卒、そして僕は東大に行った。
◆note、はじめました。
はじめまして。つじぽよ。と申します。
1992年横浜生まれ。今日が誕生日で31歳になりました。
東京大学の建築学科卒で、今は中古マンションのリノベーションの設計の仕事を中心に建築や不動産の仕事をしています。
2年ほど前から、Instagramでリノベーションや物件購入の参考になる情報を発信をし始め、今では2.2万人の方が見てくださっております。最近は、インフルエンサーとしての仕事もしていて、何故か美容系のインフルエンサーにもなってます。
よかったら。僕のSNSはこちら。
主戦場のInstagram https://www.instagram.com/poyostagram0213
最近しっかり使い始めたTwitter https://twitter.com/poyostagram0213
今、はじめてのnoteを書いてみてます。
noteを始めたのは、Instagramでたまに発信する"僕の思考"や"生い立ち"について、もっと発信して欲しい!と最近よくDMを頂くことがきっかけです。
note1発目。何について書こうかなと思ったのですが、自己紹介も兼ね、誕生日と言うことも合わせて、生い立ち、特に、これまでの人生の前半、大学生までをまとめてみようと思います。
そもそも、なんで生い立ちへの質問が多いのかと言うと、
受験時代に10万人ほど受けた模試で東大志望1位を経験していたり、
東大建築学科の卒業、大学院の入学、卒業成績が1位だった
(厳密に言うと、院の入学は専攻の人数少なかったし、院の卒業は全部優だっただけで何人もいるとか色々ありますが。。。)
というちょっと変わった経歴のためかなと思います。多分。笑
ということで、今日は、一般家庭の生まれのへーへーぼんぼんな僕が"最高学府"と言われる東京大学にどうやっていったのか。受験時代どうやって1位をとったのか。綴ろうと思います。
(よく聞かれる「勉強しろって親に言われたか?」とか、「リビングで勉強していたか?」とかは本文の中でお答えします。)
◆至ってフツーの幼少期。
1992年2月13日。横浜生まれ。
両親は両親とも高卒で、某百貨店の職場婚。父親は北海道の田舎の出で、おじいちゃんは北海道の田舎の漁師。母親は横浜生まれで、僕には1つ上に兄がいます。
小学校低学年くらいまでは至って普通の子供だったと思います。いつだか小学校の時の成績表を見た時に3段階評価で2ばっかな成績表だったのをよく覚えています。
母親が家庭の事情で大学に行けなかったのがあり、子供は大学に行かせる。という気持ちがあったようで、小学校低学年から公文式に通ってました。公文では先生が採点してる目の前で寝てた。そんなやつでした。笑
小学3年生になると中学受験の塾、日能研にぶち込まれる。ここら辺から世の中の受験戦争に巻き込まれていった感じがあります。試験ごとに上位者の順位と点数が張り出され、座席も成績順。初めて触れる競争社会。しかも兄も同じ日能研に通っていて兄の方が成績が良く、常にどこかで"劣等感"を感じながら過ごしていました。
正直、親から勉強しろと強く言われた記憶はあまりなく(特に、中高以降はおそらく一度も言われてない)、兄貴もやってるし、やらないと勝てないという競争意識で(よく泣きながら)勉強を頑張ってました。小学3年生から中学受験の塾に通ったことで成績はそれなりには伸び、高学年の時にはクラスでは上の方って感じの成績に。ただもっと優秀な子は全然いた。懐かしい。
◆実力不足の自覚。
中学受験では浅野中学高等学校という東大に毎年30人前後行く神奈川3番手の中高一貫校に無事入学できました。成績的にはいける可能性相当薄い中学だったので、本番でミラクルを起こしたか、順当に合格した兄貴が1個上にいたから入れてくれたかのどっちか。そんな中学受験でした。
そんな感じで入学した浅野中学。定期テストは早めに勉強して、学年上1割くらいにギリ入るかくらいでしたが、中3で初めて受けた全国模試で、学年の真ん中、国語に至っては200位越え。この時、初めて自分の中の何かのスイッチがカチッとなるのを感じました。
マジで、くっそうざい、、、
この模試の後、正直、ずっとそう思ってました。自分より悠々と過ごしている感じなのに圧倒的に成績いい人のことも、それに勝てない自分も。何が足りないのか。なんでだ、くっそ、、、って。絶対抜いてやる。って。ぶつけどころのない悔しさを感じてました。
◆さらに上に。さらに上に。
そこで次の模試まで、密かに、定期テストとか関係なく本屋で自分に合いそうな参考書問題集を買って勉強する期間を作ることにしました。まだ中高一貫の中学3年生なので誰も受験勉強なんて開始していない時期。ほぼ誰もしっかり勉強していない中、1人黙々と勉強した結果、次の高1の模試では学年15位くらいに。何ヶ月かで100人近くをごぼう抜き。
まだまだ上いるな、、、
やった分の結果がしっかり出た達成感と共に、まだ上がいると"自分より上の存在をより強く意識する"ようになり、もっと結果を出したいと強く思うようになりました。
兄が高2になり受験勉強が本格化し出したのに合わせて、僕も1年フライングで本格的な受験勉強を開始しました。塾には行かせてもらえなかったので、基本参考書問題集で独学で、本屋で参考書問題集を見漁って自分に合うものを探して部屋に引き篭もって勉強していました。正直何で行かせてくれないだよ!と当時はイライラしてましたが、これが結果的にかなりよく、塾と違って自分でやるものを選ぶので自分の理解度を意識したり、自分のやりたいもので主体的に勉強ができたので、この頃には勉強が楽しくなっていて、数学の問題集解きたくて走って家に帰ってた時期とかありました。笑おかげで高校2年生の時には高校3学年から1人選ばれる特待生を取れるまでに。
◆気づけば東大に行くのが当たり前な世界線に。
実は"東大"に行こうと思ったことは正直あまりないです。というのも成績が上がると周りは全員東大受けるという人ばっかになっていて、"当時、東大はいいところだと思っていた"のもあり(悪意のある言い方ですがここら辺の話は次回にでも。笑)、自然と東大を目指す意識が生まれてました。
高三のクラスはクラス40人が全員東大理系受けるという、今思えばちょっと特殊なクラスでした。これは今の年齢になっても思いますが、関わる人によって自分の生きる世界は変わる。周りが東大にいくのが当たり前の世界に身を置けたからこそ東大行けたのかなと思います。
◆絶望。
とさらっと東大に行けた感じをだしてしまいましたが、実は東大には落ちました。一応現役時代から判定はほぼA判定だったし、自分自身最後の方は、まあ受かるだろって思ってました。周りにもきっとそう思われてました。甘かった。本番得意な数学で大失敗(解答用紙ミスした説が濃厚)して合格点に届きませんでした。
残酷かな、高校の卒業式の日と東大の合格発表日が一緒だったので、みんなで見に行って仲良い友人たちが受かる中、自分の番号がなかった時の絶望感。みんなに受かるだろうと思われていて落ちた恥ずかしさ。何が悪かったのかと考えても変わらぬ結果。
天才タイプで余裕で合格した友人が、本人合格したのに、"あれだけ勉強していた僕が落ちた"ってことで部屋の電気もつけずに泣いてた話を親伝いに聞かされた時が一番しんどかった。。すぐ横で喜ぶ人も沢山いる中、言葉にならない感情が全身隅々駆け巡っていた感覚は今でも思い出すとぞっとする恐ろしさがあります。
◆1点も落とさないと誓って過ごした1年。
落ちた悲しみもいえぬまま始まった浪人生活。家で泣いた友人の話を聞いた時に、浪人中は絶対1点も無駄にはしないと決めてました。
物量で殴るだけだった自分の勉強を見つめ直し、
①過去問を徹底的に分析し、分野別出題頻度と自分の実力に合わせて勉強を決め、
②それに応じて、問題集も前から解かないで必要なものだけ解いたり、
③問題を解く際は自分の回答には間違いがあると疑って確認しながら解いたり、
④思考プロセスの特訓のために東大数学の過去問を電車で頭の中だけで解いたり、
⑤毎日の勉強に目的を持つのに出来るようになったことと課題を全ての勉強にログつけたり。
これら全てが良かったかは別として、別人のように"合格への勉強の効率化"を図って過ごしてました。今思えば、頭良くなるために勉強してたのに、現役時代は、その勉強法がただ量やるって言う昭和スタイルな頭悪いやり方だったなと反省してます。(もちろんそれでも受かれなくはなかったのかもですが)
おかげで浪人中、最初に書いた通り10万人が受けた模試で自分が受けようとしていた東大の科類の志望者で1位を取れるまで成績は上がってました。年間3回ある全国模試の数学は3回とも満点。嬉しかったですが、正直あまり喜んでもなくて、これが当然のことととして受け止められないととダメだなと気持ちを常に引き締めてました。
◆そして、東大へ。
そして、いざ迎えた東大本番。正直、手応えも薄く、後日開示した点数もパッとしない結果ではあったけど、無事合格できました。別で受けた早稲田大学も学費免除の特待生合格で、慶應大学は過去問解いていた中でも最高点くらいの出来。やってやったぜ、、、無事現役時代のリベンジができました。
いや〜マジで努力は裏切らん。。。
僕が東大受験通じて強く感じたことをまとめておくと
・少なくとも努力でどうにかなることは多い。
・好きなことをするor好きになることが大事。
・自分の身を置く世界を選ぶと進む世界が決まる。
・目的に合う効率的な方法を取るべき。世間一般の方法が正しいとは限らない。
これらは正直、今の自分の生き方にも強く影響しています。大学受験という人生の何年かを同世代の中でも有数の本気度で向き合って感じたことなので、僕自身は正しいと思ってます。
◆小言。
あと2週間で国立2次試験。今年大学受験という人の元にはあまり届かないと思うけど、どんな結果だったとしてもまだまだ人生の途中地点。僕も不合格だったあの日とんでもなく絶望したけど、振り返れば、あの時ぬるっと受かってしまってた方が今大した結果出せてないだろうなって思う。
人生常に途中地点。常にどんな結果だったとしても、それを良いものにするも悪いものにするも結局は自分なんだよなと、今回のnote書いてて思いました。
__
本文で少し触れましたが、次回は、
"東大なんかにいくんじゃなかった。"
って話書こうかなと思ってます。
東大ネタ続いちゃいますが、
・突然ニートになった話
・顧客力
・君にはビジネスセンスがないと言われた話
・目標設定は低く
…などなど書きたいなと思ってるテーマは色々あります。
よかったらフォローして見てやってください。
はじめたてのnote https://note.com/poyostagram0213
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?