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生と死の狭間は常に今だと思う。

こんにちは、ずなです🙋‍♀️

最近ハマっているドラマがあります。

それは、「春になったら」

3カ月後に結婚する娘
3カ月後にこの世を去る父
母を亡くし、反発しながらも支え合ってきた父娘が
「結婚までにやりたいことリスト」と「死ぬまでにやりたいことリスト」を
実現していくかけがえのない3カ月間を描いた、
笑って泣けるハートフル・ホームドラマ。

https://www.ktv.jp/haruninattara/

現在5話まで放送されております。

配役も好みで、このあらすじも気になり、観てみたらばすっかりどハマり。
毎話ティッシュが欠かせません。

これからご覧になる方はネタバレに関わると思うのでそっと閉じてください…。


第2話にて、父の「死ぬまでにやりたいこと」のひとつである「伊豆に行く」を実行する2人。
膵臓がんステージ4の父が、治療を受けない選択をしていることを受け入れられない娘。しかし伊豆の海辺での対話で、父の意思を尊重するようになります。

父が治療を受けない理由、それは「自分らしく生きたい」という願い。
病気と闘った人生にしたくない。
「病人の自分」ではなく、最期まで「自分」として生きたい。



わたしは過去に観た、とあるドキュメント番組を思い出しました。

ALS患者の女性の選択的な自死に密着した内容。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)とは、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気です。しかし、筋肉そのものの病気ではなく、筋肉を動かし、かつ運動をつかさどる神経(運動ニューロン)が主に障害をうけます。その結果、脳から「手足を動かせ」という命令が伝わらなくなることにより、力が弱くなり、筋肉がやせていきます。その一方で、体の感覚、視力や聴力、内臓機能などはすべて保たれることが普通です。

https://www.nanbyou.or.jp/entry/52

人の死を、画面越しでも見るのは初めてで、
こんなことをテレビで放映して大丈夫なのか、という気持ちの反面、
その衝撃的な内容に、目が離せませんでした。

日本では安楽死の制度はないので、その女性は認可されている国へ姉と共に訪れ、そして姉に見守られながら生涯を終えました。

なんの縁もない海外で、安楽死する。

その女性もまた、「自分らしく生きたい」が為にその決断をされていました。

病気になるまでは、快活にできていたことができなくなる。
心はもっと!と叫んでいるのに相反する体。
生きていることの方が苦痛になる気持ちは、想像しきれません。

きっと周りの家族も「生きてほしい」と何度も何度も伝えたと思います。
それでも決めたら振り返らない性格だったのだろうな、と勝手に想いを巡らせ…。
今でも時折、何かの拍子にこのドキュメンタリーを思い出すのです。


もしわたしが深刻な病に罹ってしまったら…
そんなことを考えるとキリがないし、想像したくもないのですが、
「自分らしく生きていたい」という想いは芽生えると思うのです。

治療に耐えて最期を迎える自分でいたくない。
筋肉がどんどん衰えてやがて呼吸ができなくなる自分になりたくない。

どの気持ちも分かるけれど、死をどのように受け入れられるのかは、やはり自分の身に起きないと考えが及びません。


しかし忘れがちですが、死は隣り合わせだということ。

こんないろいろ考えていても、年齢、時間、場所など関係なく、生と紙一重です。


ALS患者の女性は死の間際、意識が遠のく中で、姉に感謝の言葉を伝えていました。

「春になったら」の父娘は、父の余命を受けて、感情を更にぶつけ合うようになった演出に見えました。


基本的でもおざなりになってしまう、大事な人にこそ気持ちを伝えるということ。
この会話が最後になるかもしれない、という感覚は忘れないでいたい。
いつこの世から去るかわからないけれど、大切なことは抱きしめて生きていきたい。



「春になったら」
どんな結末になるのか、展開が楽しみですね🌸
父の本音はあまり見えていないのが気になります…。

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