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わたしを試す

ここ最近、今年のわたしのテーマは「試す」なんじゃないかって感じている。

今までいろんなことをやってきた訳でもなければ、やってこなかった訳でもない。
でもなんとなくだけど「自分を試している」感覚がしっくり来てる。


多分そのきっかけが、「自分自身に向き合うこと」だったんだと思う。


昨年から体調とメンタルを意識せざるを得なくなって、プロにも頼ったし、自分自身でどうにかしようとした。
けれどやっぱりわたしには15年前からずっと頭の中にしこりが残っていて、「これに向き合わなければいけない」と覚悟を決めた。

まずは町のこころの相談窓口を「試し」た。

「もしかしたら、パニック障害か不安障害を抱えているかもしれませんね」

ずーっと感じていたけれど、気付きたくなくて蓋をしてた。
そう言われると分かってはいたけど、心なしかショックを受けていた。


過去を振り返ると、自分が不安に感じることから逃げていた。
大事な進路でさえも、不安が基準だった。
そんなことに気付けない程、自分の性格に定着していた。

今年30歳を迎える中で、本当に今更だけれど、
「こんなことしてていいの?もっとやりたいようにやらないと損じゃない?」
って焦り始めた。いや彼此何年も焦っていたけど、また理想を求めたくなる気持ちが湧いてきた。不安を抱えたままの自分だっていいってようやく気付けたから。

以前のnote「わたしとわたしの内緒のはなし」

https://note.com/poyo3_/n/nd4f97b812bee

に、この時の気持ちを少し綴っています。

でもいろいろ考えすぎて、分からなくなっちゃって。
とりあえず分からないまま上司に話そう、ということを「試し」てみた。
小さい会社なので、上司というより経営側の方である。
正直に「仕事を続けるべきか分からない」と話した。
(本当に小さな会社でないとこんなこと言えないよね、ぶっ飛んでるよね)

上司はわたしに、
「ずなちゃんの人生なんだから、辞める時がやってくるのは当たり前だと思っているよ。ここはやりたいことへの資金づくりだと思えばいいよ!」
という言葉を投げかけてくれた。

嬉しさと、経営者にそんなことを言わせてしまった申し訳なさが芽生える。

わたしは更にこの会社でやってみたいことと、
自分自身の夢を話すことを「試し」た。
辞めたい気持ちがあるのに、何故かアイデアは浮かんでくるから、口に出さないのは勿体無いと思った。
ずっと考えていたけれど、実行力は乏しいし、何しろ「わたし主導でやるんだろうな、手に負えるかな、ちゃんと形にできるのかな」なんて杞憂が次々出てきて、口を噤んでいた。

話してみたら案外おんなじようなビジョンを描いていて、まあそれはすぐに実行に移せることではないけれど、想いだけは通じ合って嬉しくなった。
わたしのやりたいことも否定せず聞いて、盛り上げてくれて。
何を話せばいいか分からなかったことなどすっかり忘れていた。

それからだろうか、気持ちが好転し出したのは。


相変わらず仕事に対してうんざりする気持ちはあるけれど、捉え方や同僚に対しての接し方も少し変わった気がする。柔らかい目で見れているというのかなんというか。
あまり好きじゃない自分勝手に見えていた上司のことも相談したら、
「あの人なりの苦労があって、不器用だからそんな言い方しちゃうんだよね(要約)」
と言われれば腑に落ちたし、わたしの視野の狭さが際立った。
まーむかつく時もあるけれど、程よい距離感は大事。
以前より積極性を持って取り組めている気がする。

それから個人活動もちょこちょこ「試し」ている。

「やってみたいと思ったらとりあえずやってみる。」

地元の町民ライターに応募した。
気になっていたけれど文章に自信がなかったし、記事案は一つしか思い浮かばなかったから躊躇していた。
それでも動き出せば何か分かるかも!って飛び込んでみた笑

もし良ければ読んでみてください。

https://note.com/misatomachiko/n/n26fc4cf409c7

このnoteやInstagramもその一つで、綴って頭の中をスッキリさせる為でもあるけれど、わたしは同じような気持ちを抱えている人に、仲間がいるって安心できる内容でありたいと思う。
だから、言いたいことは隠さずに言いたい。
正直自分が抱えている問題を曝け出すのも本当はどうなのかなって思う。本来、変にプライドが高いし、他人の目を気にするタイプだし。
勇気がいる。今回のnoteもそんな自分を「試し」てる。
これを読んだことでわたしに対する見方が良いようにも悪いようにも変わったとしても、もうどうでもいい。投げやりな意味じゃなくってね。
多分わたしに何かしら興味を持ってくださる方たちが読んでくれていると思うから、少し安心して綴っていける部分はある。
閲覧数は少ないけれど、いつか必要な誰かに届いてくれればいいなと思う。

そしていろんな人と話す機会が増えたことが何より嬉しい。
SNSの活動を通してや、外出先でのお店の人や同じ場所に居合わせた人との交流が、良い刺激になっている。
引っ込み思案のわたしがいろんな人と関わりを持つこと自体、自分でもびっくりなのだ。多分この付かず離れずの距離感が心地良いんだと思う。
わたしがいろんなところへ「試し」たことで繋がれているのかなって、少し思ってもいいんだろうか。
勿論みなさんが優しいっていうことは大前提である。


他にも試していることや試したいことがあるけれど、それはまた別の機会に話したい。


何か興味があるものを見つけた時、不安は感じる。
でも「わたしはわたしを試すんだ…!」って鼓舞して、やってみる。
「挑戦」っていうとなんか騒々しいので、「試行錯誤」して生きている感覚に近い。

どうせ何しても不安は顔を出すから、何かしちゃっても大丈夫さ!って言い聞かせながら。


まー飽き性だから、燃え尽き症候群にならないか心配ですね。

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