0205 ディズニーランド10個分の豪農大地主が建てた館「孝順寺」(新潟県)
孝順寺のご利益
病気平癒
(阿弥陀如来のご利益)極楽往生、苦悩解消、厄除け
孝順寺の360度ビュー
孝順寺について
その昔、この地を訪れた親鸞上人へ老婆が焼栗を差し上げました。
親鸞がその栗を庭に埋めたところ、1年に3度実をつける栗に育ったという「保田の三度栗」が育った場所です。眼病にご利益があります。
阿弥陀如来を本尊とし、極楽往生、苦悩解消、厄除けのご利益がありますが、その他に、ここには元大地主の歴史ある素晴らしい館があります。
建築物や和風、レトロ好きの方は見逃せないノスタルジックポイントです。
じつは現在の孝順寺の本堂と境内の敷地は、新潟県の千町歩地主、豪農の斉藤家の旧邸で、戦後の農地改革によって、寺が競売で買い取ったものです。(※ 見学には寺院への事前連絡をおすすめします)
千町歩というと東京ディズニーリゾート10個分ほど、1,000ヘクタールもの面積に相当します。
大正13年(1924)の農林省調査では北海道を除くと、個人では日本で9人しかいなかった千町歩地主ですが、そのうち5人が米作りの越後平野のある新潟県に集中していました。
地主といえば小作農から搾り取るだけの狡猾で悪徳、というイメージが強いかもしれませんが、ここまで巨大な地主になるにはそれだけではなかった、ということを画像(今回は公式サイトのリンク)のあとに紹介します。
青空と老松に囲まれた境内
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五頭連峰を借景とした池泉回遊式の日本庭園
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紅葉の見頃の庭園
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くれ縁から見る庭園
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迫力の一本物のくれ縁の桁
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紫檀や黒檀、鉄刀木などの銘木を随所に使用した居室。天井は見事な二重折り上げ
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仏像や掛け軸のある居室。見事な天井と存在感のある机
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本尊をおまつりする本堂。
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雅な金色の本尊、阿弥陀如来
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眺めるほどに味がある廊下
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鐘楼
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石碑
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紅葉と青空が美しい中庭
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その他の写真はこちら(公式サイト)
https://koujunji.com/scenery/
千町歩の大地主たちは独自の経営方針を持ち、それぞれの家訓として伝えながら地域を束ねて、結果として発展していきました。
孝順寺は千町歩地主、斉藤家の邸宅でした。斉藤家は明治時代に千町歩地主になり、大正、昭和には村長や貴族院議員なども務め地域の人々の尊敬を集めるようになっていたのです。
大正から昭和にかけて、村が不景気の波に襲われたとき、斎藤家は村民の仕事をつくるため、10年がかりの邸宅の建築工事を始めました。
山から木材を切り出し、大工も職人もすべて村人で、地域の力を結集した大工事となりました。その館・庭園が孝順寺に買い取られ今に至っています。
千町歩地主たちはこぞって自宅の建築を行っています。
小作人や村人が十分な収入を得られるように、予算や期間に上限を設けず、莫大な資金をかけて実施していました。
大工事があることで人材も育ち、村人の協力を得ながら家も家業も地域とともに存続させていく。小作人があっての地主ということを家訓として代々伝えていくことで千町歩地主たりえたということなんだと思います。
千町歩地主について詳しく2編で書かれた記事を紹介します。
今回の孝順寺の館の主、斉藤家については後編に掲載されています。